偽装の心理 13

晴男は湯呑みに残った茶を、すするように飲み干すと、


半ば諦めたような口調で言った。




「息子も二人とも死んじまったんで、しゃべりますけどね。


  長男の孝一は地元の公立高校を卒業して、


  しばらく定職にも就かず、いろんなアルバイトをしていましてね。


  家に帰ると・・・その頃は我々は町立の団地住まいだったんですが・・・


  孝一の奴、夜遅くまで勉強してたんですよ。


  それで私は不審に思って、ある日孝一を問い詰めたんですよ。


  そしたら何て言ったと思います?


  大学に行きたいとぬかしやがったんですよ。


  これには私も頭にきましてね」


晴男がそこで言葉を区切ると、


氷山遊は彼を真直ぐに見つめて、疑問を口にした。




「その口ぶりだと、孝一さんが大学に進学することを


  快く思っていないように聞こえますけど」




「そりゃあ、そうでしょう。ウチは貧乏だったんだ。


  大学になんか行かせる金なんか無いんですよ。


  思わず私は孝一をぶん殴りましてね。


  どういう了見で大学なんか行く気になったんだって、


  はらわたが煮えくり返りました」




「殴った?孝一さんを?」


鳴海は思わず口を出していた。


大学に行きたいと懇願している息子を、進学するなと言って殴るとは。


たとえ経済的な理由があるにしても、やりすぎなのではないか?


孝一がアルバイトしながら勉強していたのも、


おそらく受験勉強をしていたのだろう。


そう思うと、鳴海の心に彼に対する、切ない同情の気持ちを抑えきれなかった。




「すると孝一が言うには、奨学金制度とかがあって、


  優秀な成績を収めた者には、


  お上から補助金が出るって話じゃないですか?


  いくら出るんだと訊いたら、それ相応の金額でびっくりしましたよ。


  それに孝一がいままでにやってきた


  アルバイトの貯金もある程度あるようだったし、


  それで私は美恵子と相談して、その奨学金を頭金にして、


  家を建てられるんじゃないかとね。


  勿論、孝一のアルバイトで稼いだ金も没収しました。


  その頃、親戚やら近所の人たちは、


  次から次へと家を建てていましてね。


  我々夫婦は惨めな気持ちになってました。


  それで奴らを見返してやろうって気持ちもあって、


  家を建てることにしたんです」




「それって奨学金の不当入手になるでしょう?」


氷山遊はあくまでも冷静な声音で言った。




「奨学金の全部を頭金にしたわけじゃないですよ。


  一部はちゃんと孝一の大学の学費に使いました」


晴男は語気を強めた。


いったい自分の何が悪いんだとでもいうかのように。




「孝一さんの学費はどうしたんですか?」


氷山遊は、険しい表情の晴男の顔にも動じず、


極めて冷静な口調で訊いた。




「普通の大学では学費が足りなくなるんじゃないかと


  おっしゃってるんでしょう?


  だから、孝一には夜学部に通わせるようにしたんです。


  昼間は働いて、夜に学校に通うというあれです。


  入学金はその奨学金から出すとして、在学中の学費は自分で働いて稼げとね。


  それで孝一は家を出て、福岡市内に安アパートを借りて、


  アルバイトしながら大学に通っていたようです」




鳴海は無意識に、自分のいるリビングルームを見渡した。


この家のため、親の見栄のため、


苦学を選択せねばならなかった孝一という青年の心情を想うと、


やりきれない思いがした。




「孝一さんの通っていた大学の学部は何だったんですか?」


そう言った氷山遊を見て、鳴海は気づいた。


彼女は衣澤美恵子の出した湯呑みに、


まだ一口も口をつけていないことに。


鳴海の気のせいかもしれないが、


彼女はその湯呑みを手にすることを、嫌悪しているように見えた。




 「法学部です。午後五時から十一時まで講義があって、


  翌朝にはアルバイトという生活をしてたみたいです。


  本人もかなりきつかったみたいで、


  一度だけ電話で弱音を吐いたことがあって。


  大学を辞めたいとぬかしたんです。それは困る。


  中退されるとすぐにでも奨学金を返金しなくちゃならない。


  だから言ったんですよ。卒業ぐらいはちゃんとしろと」




「困る・・・ねぇ」


河合が呟くように言った。


その声音には皮肉めいた色が滲んでいた。


そんな彼を鳴海は目でたしなめた。


といっても、鳴海には彼の気持ちもわかっていた。


孝一という青年が、どういう人物だったかはわからないが、


自分の奨学金が、どんな目的で


使われていたかに気づいていないわけはないと思った。


自分の学業に使われるはずだった奨学金が、


別のことに利用されている。それも実の両親に。




「卒業後も孝一はアルバイトをしながら、


  司法試験を毎年受けてたみたいです」


そう言ったのは美恵子だった。


長男をおもんばかっているような言葉とは裏腹に、


顔には呆れているような皺が刻まれている。


その言葉を受けて晴男が、話をつないだ。




「なんでも弁護士になりたいとか言ってましたが、


  試験に何度も落ちて・・・


  親は中卒なのにその子供が弁護士先生になんかなれるものか、


  夢を見るのもたいがいにしろって怒鳴りつけてやりましたよ」


晴男は愉快な話しでもしているかのように、半笑いを浮かべた。




「弟の康祐さんについてはどう思ってたんですか?」


氷山遊は針のような視線を、晴男に向けて言った。




「康祐ですか。あいつにも困ってました。


  高校を卒業後、福岡市内の会社で仕事をしていたんですが、


  三十歳を前にして突然、漫画家になりたいから


  上京したいとか言い出しましてね。


  確かに康祐は子供の頃から漫画が好きで、


  何やら落書きみたいなものを描いては友達に見せてたようです。


  高校入試の勉強そっちのけで漫画ばかり描いていましてね」


晴男がそこまで言うと、


彼の言葉を支援するかのように、美恵子が割って入った。




「私も頭に来ましてね。康祐が中学校に行っている間に、


  引き出しの中にあった漫画やらペンやらを、


  空き地に持っていって焼いたんですよ」




「そのことを知った康祐さんの様子はどうでしたか?」


氷山遊の鋭利な視線は、美恵子に向けられた。




「布団をかぶって泣いてたようです。


  私は無視しましたけど。まあ自業自得ですからね」


突き放したように言う美恵子には、少しも悪びれた様子は無かった。


彼女の言い分を手伝うかのように、続いて晴男が口を開く。




「そしたら、いきなり漫画家になりたい―――です。


  呆れて声も出ませんでしたよ。


  当然我々も猛反対したんですが、


  ある日家出同然で東京にいっちまいやがって・・・」




「康祐さんにとっては、いきなりだったとは思えません。


  ずっと彼の胸の内に秘めていた夢だったのではないでしょうか?」


そう言った氷山遊の声音が、わずかに震えていることに鳴海は気づいた。


思わず彼女の横顔を見る。形のいい長いまつげが微かに震えていた。




「そんなことわかりませんよ。心の中でどう思っているのかなんかね」


晴男は嘲笑と怒りのない交ぜになった顔を浮かべた。




「わかりますよ。本当に相手のことを愛してらっしゃるのなら」


氷山遊は、これまでにない強い語気をはらんで、断言するように言った。


だがその強い口調とは反して、


まるで自分に言い聞かせているような、


独り言のようにも感じた鳴海は、再び氷山遊の横顔を見た。


彼女の瞳は目の前にいる衣澤夫婦を、見ていないようだった。


その視線の先は、遥か遠くを見ているように感じた―――。




彼女の言葉が気に障ったのか、晴男の顔が見る間に紅潮した。


「まるで我々夫婦が責められているようですが、


  私たちも息子二人に自殺されて困っててね。


  この家のローンもまだ半分も返してないわけですよ。


  私の退職金と・・・孝一の奨学金・・・の一部ですけど・・・。


  後の金は孝一と康祐に払わせるつもりだったんです。


  私の年金から払わなければならないとなると、後十年以上はかかる。


  いやぁ、困ったものです」


晴男は不愉快極まりないといった顔を、鳴海たちに向けた。




そこで初めて氷山遊は、鳴海たちに顔を向けた。


ここでの話は切り上げましょうと、その視線は言っていた。


それには鳴海も同感だった。


凶器の入手経路、そしてその入手先も、理由も判明した。


それに何よりも、もう衣澤夫婦の顔を見たくなかった。




「お時間を取らせましてすみませんでした。


  これで失礼します」


鳴海がそう言って立ちがあると、氷山遊もそれにならった。


慌てて河合も立ち上がる。


結局、氷山遊は、衣澤美恵子の出した湯呑みに指一本触れなかった。

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