偽装の心理 8

文京区三田にある首都出版は、

業界最大手の出版社だけあって、

そびえ立つその二十階建ての白亜色の自社ビルは、

その前に立つ者を圧倒するような力があった。


氷山遊と鳴海徹也、河井聡史の三人は、

首都出版のロビーに入った。

ロビーは高級ホテルのそれのような造りで、

床や壁には大理石がふんだんに使われた、

一流企業らしい趣があった。

その場に行き交う人々も老若男女おり、

そのタイプも千差万別だった。

スーツ姿の男女や一見してモデルのような美男美女、

それにカメラマン、センスある私服を着た

クリエイター風の人物も少なくない。


 受付に向かうと、鳴海徹也は警察バッジを見せて、

訪問の意図を伝えた。

受付係の若い女性は内線電話をかけ、

鳴海の用件を簡潔に話していた。

相手は週刊キャピタルの関係者だろう。

それから名刺サイズの訪問客用証明書に名前を書くように言われ、

安全ピンの付いたアクリル製のネームプレートを渡された。

鳴海徹也と河井聡史、そして氷山遊の三人は、

そのネームプレートを胸元につけると、

七階にある週刊キャピタル編集部の場所の説明を受け、

エレベーターに向かった。


エレベーターを降りると、広いフロアに出た。

ここも行き交う様々な人の姿があった。

鳴海は視線を走らせて、週刊キャピタル編集部を探した。

長い廊下の先に、その編集部はあった。

両開きのドアは開き放たれていた。


室内は相当の広さがあった。

事務机が、すぐには数え切れないほどある。

高い天井からは首都出版が発行している、

数ある雑誌のそれぞれの編集部所の名が

書かれたプレートが吊られていた。


鳴海たちが編集部に一歩踏み入れると、

すぐさま一人の中年の男が声を掛けてきた。


「連絡のあった、真代橋署の鳴海さんですね?

  私は週刊キャピタルの副編集長をやっています

  福沢と申します」

男は名刺を指し出した。

それには週刊キャピタル編集部副編集長福沢光之助とあった。

福沢は白いものの混じった髪をオールバックにし、

ブルーのシャツに、肘当ての付いたラクダ色のジャケットを羽織り、

白いチノパンにブラウンの皮革製スニーカーを履いていた。


「ささ、こちらへどうぞ」

福沢は編集部の奥まった場所にある、応接セットに案内した。

3人がけのソファに鳴海たちが腰を落ち着けると、

女子社員らしき若い女性が、お茶を運んできた。


「さっそくですが、

  衣澤康祐さんをご存知ですよね?漫画家志望の・・・」


「ああ・・・噂は耳にしていますよ。何でも自殺したとか」

福沢は乾いた声で言った。口元には微かに苦笑いを浮かべている。

鳴海は何か違和感を覚えながらも、再び口を開いた。

隣ではいつものように、河井聡史がメモ帳を開いている。

氷山遊は相変わらず能面のような無表情で、福沢の顔を見つめていた。


「その衣澤さんは、こちらの週刊キャピタルで

 デビューすることが、決まっていたようなんです。

 それは彼の悲願だったみたいで。

 その彼が自殺を選んだことに、疑問を感じましてね」


「え?ウチの雑誌で?そんなことは聞いて無いですね」


「聞いてない?」


どういうことだ―――?


鳴海の眉間に縦皺を深く刻みながら、その言葉を呑み込んだ。


「ちょっと待ってください。

  詳しいことは担当編集者に訊いてみないと・・・。

  おーい、西川」


 鳴海は福沢の視線の先を追った。

西川と呼ばれた若い男は、デスクでノートパソコンに向かい

キーを叩いていた手を止めると、

首を揉みながら鳴海たちの所まで歩いてきた。

グレーのトレーナーにジーンズといったラフな姿だ。

小太りで銀縁メガネをかけている。


「何スか?福沢さん」


「西川、最近自殺した新人を担当していたのは、

  たしかキミだったよな?」


「はあ?衣澤君のことですか?」

西川は生あくびをこらえながら答えた。


「ま、ここに座れ」

福沢は自分の隣のソファを指し示した。

西川が腰を落とすと、福沢は彼を紹介した。


「こちら、真代橋署の刑事さんだ。

  あの件について、いろいろと訊きたいそうだ」

福沢がそう言うと、西川の態度に変化があった。

半開きだった両目に警戒の色が浮かんだのを、鳴海は見逃さなかった。

西川は腕を組むと、ソファの背もたれに

体重を預けるようにのけぞった。


「衣澤さんの日記には来春発売の週刊キャピタルに、

  彼の作品が掲載される予定とあったのですが」

鳴海がそう尋ねると、西川は口元にぎこちない笑みを刻んだ。


「掲載?来春号に?そんな話はないですよ」


「しかし、彼の日記には・・・」


西川は鳴海の言葉をさえぎるように右手をひらひらさせた。


「僕が担当しているだけで、

  漫画家志望の新人は十人以上いるんですよ。

  衣澤君はその一人に過ぎないんです。

  まあ、よく作品を持ち込んで来てたけど、

  光るものはなかったですね。

  彼には才能があるとは思わなかったな。

  それにもう三十歳を越えてて、オレより歳食ってるし。

  漫画家を目指すには遅すぎるというか・・・ははは。

  僕も半分付き合わされてたみたいなものでね。

  貴重な時間を無駄にされて、その上自殺して、

  こうやって警察の質問に答えなきゃならない。

  正直言って、こっちも迷惑してるんですよ」


西川の人を見下すような態度に、鳴海は本能的な怒りを覚えた。

だが、深呼吸して考えをまとめようと努めた。


日記に書かれていたことは、何だったのか?

衣澤自身が、嘘を書いていたということなのか―――? 


鳴海は何気に、左隣りに座っている氷山遊へ顔を向けた。

その顔を見て、鳴海の目が細まった。

氷山遊の表情は冷徹さを増し、その両の瞳は西川を見つめていた。

彼女の目は怒りとも蔑みともとれる光をたたえていた。


福沢が西川の意見をつなぐように言った。

「というわけで、この件とウチは関係ないんですよ。

  新人なんて掃いて捨てるほどいるんで、

  いちいちかまってる暇は無いんですわ。

  今も締め切り前で、猫の手も借りたいほど忙しくてね。

  この辺でお引取りくださいますか?」


それまで黙ってメモを取っていた河井が、顔を上げた。

「掃いて捨てるほどって、あんたら・・・。

  夢を持つのに年齢なんか関係あるんですか?

  そのために必死で努力してる人間を嘲笑って・・・」


河井の剣幕に、福沢と西川がたじろいだ。


「河井、やめとけ」

鳴海は福沢と西川を睨んだまま、河井をたしなめた。


「だって、鳴海さん」


「もういい。行くぞ。お時間を取らせました。

  では、これで失礼します」

鳴海はそう言いながらも、頭は下げずに立ち上がった。

氷山遊は一言も口にしないまま、さっさと編集部を出て行く。

鳴海と河井もそれにならった。


首都出版を出た三人だったが、

河井はまだ矛を収められない様子で言った。


「何なんですか、あの連中。

  大手出版社の編集者って肩書きが無かったら、

  ただのクズ野郎ですよ。

  週刊キャピタルに連載されてる漫画、

  けっこう好きだったんですけど、もう二度と読まないですよ」


刑事になるという夢を持っている河井にとって、

衣澤康祐の件は他人事のようには思えないのだろう。


「あんたはどう思った?」

鳴海は氷山遊に向かって問いかけた。


「あの西川って男、

  警察からの事情聴取ということを知って、警戒してたわ」


「そりゃ、警戒もするだろう。

  普通なら警察が来て平静でいられないだろうからな」


「そうじゃなくて、まだ何かを隠してる」

氷山遊の確信を帯びた言葉を聞いて、鳴海は立ち止まった。


「何かを隠してる?どういうことだ?」


「そこまではまだわからないわ。

  ただ、西川って編集者、

  腕を組んで後ろにのけぞったでしょ?

  あれは自己防衛をあらわす時に、人が多く見せる

  ボディランゲージなの。

  それに後方に下がるというのは、

  その場の話題から離れたいという意味。

  彼にはもっと後ろめたい何かがあるのよ。きっと」


鳴海が何か言いかけた時、彼のスマホが突然鳴った。

液晶画面を見ると、鑑識課の長谷川からだった。


「もしもし、鳴海だ」


『鳴海さん、現場にあった凶器のM7銃剣のことですが、

  やっと出所が割れたんです』


「よくわかったな。それでどこだ?」


『銃剣の柄の部分にシリアルナンバーが刻印されていて、

  ルートを調べたら販売元がわかったんです。

  販売した店は、九州の福岡市にある、ミリタリーショップでした』


それを聞いて、鳴海は脈拍が上昇するのを禁じえなかった。


「福岡市―――?」

鳴海はその場所の名を反芻した。


それは衣澤康祐の実家のある街だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る