偽装の心理 7

「嘘?」

鳴海徹也は思わず、半身になって佇んでいる

氷山遊子の背中に問い返したが、

静江の証言が虚言という気はしなかった。

彼女は自分に対して、正面から誠実に答えてくれたように思えた。

これまで刑事として、数え切れない人物と接してきた鳴海にとって、

それらの人々の言葉の真偽を見極めるくらいの

力はあるという自負もある。


「あの奥さん、鳴海さんの質問の内容によって、反応が違ってたわ」

氷山遊はなおも言葉を続けた。


「まず最初に衣澤康祐さんの姿を見た時、

  彼はすでに死んでいたというのは、おそらく最初の嘘。

  それからその現場に、彼と彼女以外の第三者はいなかったというのも嘘」

氷山遊の声音は自信に満ちていて、確信しているような響きがあった。

鳴海は頭が混乱していた。


「ちょっと待てよ。どうしてそんなことがわかるんだ?」


「静江さんは事件当日の事を語った時、俯いてた。

  それは嫌悪している事を思い出した時に見せる、

  人間の自然な振る舞いよ。

  でも衣澤さんがすでに死んでいたことや、

  第三者の存在に触れると、静江さんは

  鳴海さんを真直ぐに見たの。その時、彼女は瞬きもせず、

  両の眼球は左右に揺れ動いてたわ。それに瞳孔も開き始めた・・・。

  それに彼女、答えるときに口元に手をやった。

  余計なことは言うまいとする時や、

  嘘に気づかれまいとする時に多く見られる振る舞いなの」

鳴海はまだ氷山遊の言わんとしていることが理解できずにいた。


「よくわからない。ちゃんと説明してくれ」


「人は嘘をつく時、眼球が左右に微動を始めることが多いの。

  それに瞳孔も開く。その場所が明るい場所でもね。

  この動きは本人には制御できない動的心理表現なの。

  いわば心臓の筋肉と同じ。

  自分の意思だけでコントロールすることのできない、

  人間としての自然な振る舞いともいえるわね。

  自分の本心と違うことを言っているから、

  無意識下に脳が反応するの。

  つまり、『NO』というサインを、身体的に発するのよ」


「しかし、市来吉雄の奥さんは、

  オレの顔を正面から見据えて答えたんだぜ。

  嘘をついている人間が、そんな堂々としてられるものなのか?」

鳴海はまだ納得できないでいた。


「あら、鳴海さん知らないの?

  男性は嘘をつく時、視線をそらすことが多いけど、

  女性はその逆。相手の目を真直ぐに見て嘘をつく傾向が多いのよ」


「だが、それは傾向なんだろ?個人差はあるんじゃないのか?」


「たしかにその通り。だから私は念のために確認した。

  あの後、私が直接事件とは関係の無い、

  お店の話や彼女の得意料理のチャーハンの話をしたでしょ?

  いわゆる世間話ね。その話をしていた時の奥さんの瞳は、

  微動もせず瞳孔は縮んで正常に戻ったわ」」


鳴海は返す言葉が無かった。

氷山遊の指摘は心理学者らしい観察と、

洞察力に裏打ちされているように思えたのも確かだ。


氷山遊が言うように、静江が事件当日、

衣澤康祐の部屋を訪れた時、彼はまだ生きていたとしたら。

そして、そこには第三者がいたとしたら―――。

次の瞬間、鳴海は自分の体温はが、急激に上昇した気がした。


事件現場にいた第三者―――

それは衣澤の残した日記に記されていた

『百合加』の名が脳裏に浮かんだ。そう考えたのには何の根拠も無い。

氷山遊のような理路整然とした理由もなかった。

ただ、刑事の勘がそう告げていたのだ。


「鳴海さん、これからどうします?」

思案に耽っていた鳴海に、河井聡史が訊いてきた。


「今から出版社に行く。首都出版の・・・」


「衣澤康祐がデビューしようとしてた週刊キャピタル編集部ですね」


再びタクシーを拾い、三人は文京区にある首都出版へと向かった。

その車中で、鳴海は氷山遊に言葉を掛けた。


「さっきは驚いたよ。まるで人がかわったみたいに、その・・・」


「魅力的に見えた?」

氷山遊は正面を向いたまま、いつもの平坦な声で答えた。


「自分の声のトーンを分析すれば、難しいことじゃないわ。

  鳴海さん、F分の1のゆらぎっていうものをご存知?」


「F分の1のゆらぎ?」


「ヒーリングミュージックやリラックスできる音には、

  ある種の『ゆらぎ』が含まれているの。

  たとえば、高すぎず、低すぎず落ち着いたトーンであること。

  吐息のような透明感のある声質であること。

  自分の声をさまざまな音域で録音して分析、

  その波長の部分を見つけるの。

  その音域を意識して話せば、

  初対面の相手にも信頼感を抱かせることができるわ。

  その声を通して感じられる波長と呼吸が、

  聞く人にとっても心地良いと思わせるテクニックなの」

彼女はそこで言葉を切ると、鳴海の方へ顔を向けた。

鳴海の目に映ったその顔は、市来夫婦の前で見せた、

優しさ溢れる魅惑的な笑顔だった。


「電話で話すだけならそれでいいけど、

  相手と対面するなら声のトーンだけじゃなく、表情も大切。

  鏡を見ながら自分の一番いい笑顔を探すのよ。

  笑顔は相手の気分を良くさせる効果のほかに、自己防衛にもなるの。

  楽しそうな雰囲気の人や、笑顔の人を傷つけたいと思う人はそうはいないから。

  そうすれば相手の心をリラックスさせて、

  本心を見抜くこともできるというわけ」

言い終わると、彼女は元の無表情に戻った。

まるで変身したかのように、一瞬で別人になったように感じる。


「つまり、その笑顔も声も、作り物だったというわけか」

鳴海は吐き捨てるように言った。

だまされたような気分で、自分が滑稽にさえ思えてくる。


「これは単純な心理テクニックよ。

  鳴海さんはいつもそんな仏頂面で聞き込みをやってるの?

  それじゃ、相手から情報を引き出すのは難しいわね」


 鳴海は思わず氷山遊を睨み返した。


「そう、その顔がいけないの。始終怒っているように見える」

氷山遊は平然と言うと、トートバッグから

マカデミアナッツチョコを取り出し、銀紙を剥いで口に入れた。


鳴海は正面に向き直った。

こんな小娘にやりこめられて、腹が立つ思いと

自己嫌悪の感情がない混じって、居心地の悪さを感じていた。

そんな気分を落ち着かせようと、深呼吸をした。


その時、肝心なことに気づいた。

再び、氷山遊の方に顔を向ける。


「市来吉雄の妻、静江が嘘をついてるとしたら、

  現場には第三者がいたことになるな。

  じゃあなぜ、彼女はその何者か―――、

  仮にその真犯人かもしれない者について、

  話そうとしないんだ?

  もしかして、脅迫されているとか?」


氷山遊はマカデミアナッツチョコに頬を膨らませたまま答えた。

「それは違うと思う。

  これは私の憶測だけど、彼女、その誰かをかばってる」


「かばってる?」

鳴海は唖然としたまま、氷山遊の端正な横顔を見つめた。

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