第3話



夏の太陽が照り付けて身体の水分が奪われるようだった。シュウはこの町の長い坂を降りて駅に向かっていた。コンクリートが焼けて、太陽が高く登り気温も上昇する。電柱を何本も過ぎると陽炎が揺れるのが見えた。額に汗が滲む。


「黒鉄〜」


シュウが枯れ果てたような声で黒鉄の名前を呼んだが、こちらに顔を向けただけで返事はない。


「黒鉄ってば〜」


黒鉄はそっぽを向いて、ただ黙々と歩き続ける。なるべく日陰を渡ろうと大きく左右に揺れる。先程から何度か呼び掛けてはいるものの、どうやら家の外では喋らないようだった。いや、喋らない猫の方が普通ではあるのだが。黒鉄は普通の猫のように何食わぬ顔をして歩き続けた。


10分程歩き続けた所で、商店街の並びに切り替わる。城下町のような木造り格子の家々に風勢があり、色々なお店が並んでいた。しかしどの店も閉じている。


黒鉄が淡々と歩き続ける後ろをノロノロと付いていくだけのシュウは、色の変わる町並みに目線を動かし感心した。場所によって雰囲気も情緒もまるで変わるようで面白い町だと思う。

それはどこか昭和のようなレトロなポスターや、街灯などが残っているからだろうか。目に付くものは今まで見た事のない新しい風景で新鮮味があった。


「先に神社に行って用事を済ませようか…


独り言を呟いているかの様だが、これはあくまで黒鉄に語り掛けて居るのである。人気のないこの町で、猫に喋りかける姿を見て変に思われたりしないだろうか、そうであっても他に意思を伝える術を知らないのでしょうがない。シュウは高く昇り続ける太陽の下でひたすら歩き続けた。


黒鉄の目線が横になったまま歩いて居た。視線の先にあった魚屋を通り過ぎた後に大きな木の並木道に入る。太陽の光を遮る木々達の影は色濃くコンクリートの道路に映っていた。風が冷たく感じる。


駅は田舎さながらの小さな木造の駅。駐輪場には何台もの自転車が並べられていた。ここの住民達は自動車をほとんど使わないのだろうか。そんな事を思いながら黒鉄の歩幅の小さな脚達を前後させる姿を見てシュウもまた重い足を運んだ。


駅の前の通りを過ぎ、道の脇を逸れる。整備されて居らず、進むと生い茂る草木が行く手を阻むようにシュウの身体にぶつかる。


「おいおい、黒鉄…本当にこんなとこに神社があるのか?」


黒鉄は土の道を歩く。埋もれる黒鉄を見失わないように目線を下に向けたまま腰を屈めて生い茂る草木を抜けた。


目の前に広がるのは青々と稲を伸ばす田園風景であった。


「….すごい」


思わずそう呟かずには居られない程に色濃く映る景色に目を奪われる。黒鉄はそれから田んぼの畔を少し歩いた所にある石段の前に腰を下ろした。


見上げると上の景色は見えない。石段には苔が散乱し、段の間には草が伸びている。ほとんど誰も此処には来ないのだろうか。古い神社なのだろう。


「黒鉄は行かないのか?」


黒鉄は喋らなかったが、シュウの瞳をジッと見詰めて石段の脇に体を落ち着かせた。ここであるのは間違いないが、黒鉄はシュウに一人で行かせる気である。それに対してシュウは少し戸惑いを感じた。


夏の太陽が昇っては居ても、木々に遮られたこの場所はどこかじんわりと冷たい風が吹き抜ける。あの町の風とはまた違う。古い神社に行く、というのは少しだけ怖い。今さら引き返すわけにも行かず、シュウは石段を登り始めた。


蝉の鳴き声が耳を刺すように煩い。石段を登る足は重く、息が上がる。ただゆっくり歩いていた先程とは違って確実に有酸素運動を繰り返し、次第に口から息を吐くのが精一杯になってくる。


石段も歳を重ねて居るのだろう。削れて丸みを帯びたものから、崩れているもの。大人2人がすれ違うのもやっとな位に狭くて勾配な坂に作られた石段である。とてもじゃないが老人には応えるだろうし、今体力のないシュウにとっても厳しい修行のように感じた。


「はぁ、はぁ……くそぅ」


鳩尾がキリキリと痛み出し、心臓も爆発しそうな位に呼吸を重ねる。時間にしては数分だっただろうが、石段を登り切った所でシュウはそこに身体を休めた。


こんな古びた、誰も居ない神社に透子は何の用があったのだろうか。予想通りに神社は全く整備のされていない小さな鳥居を持った社である。二つ並んだ狛犬も苔や雨で薄汚れている様は少し不気味に感じた。こんな所に誰も居ない、誰も居なかったと言って早く石段を降りて帰ってしまおう。


シュウが神社を見渡してから腰を上げた瞬間に、白い布地が目に入った。


「ッぁ……!?」


喉が乾いて声が小さく出た。


いきなり現れた人物にシュウは身体を震わせて驚いてしまったが、よく見れば普通の大人の男の人である。神社の人なのだろうか、薄いキナリの布地のような着物を纏って足には下駄を履いている。透子とはまた少し髪質が違うだろうか、白くて短い髪が生えた男の人だ。


「こんにちは」


「こっ…….んにちわ……」


うわずった声で挨拶を交わした。男は目を細めて嗄れた声で言った。


「透子はんのお使いの者かな?待っておったよ」


「あっ、そうです。それです。これ、渡してくれって言われまして」


シュウはズボンのポケットに入れておいた、透子のお守りを男に渡す。男はそれを遠巻きに眺めてから、手に取ってニヤリと笑った。薄気味悪い男だ。


「ぁはぁ、これ、待ってたんよ。お使いご苦労様やねぇ……」


「あ、じゃあ俺はこれで……」


シュウは即座に立ち去ろうとした。何だかここは薄気味悪いのだ。いきなり現れた男にしても、この神社にしてもなんだか現実味がないように感じて、恐怖を感じさせる。受け入れがたいような変な雰囲気を思わせる。


シュウがふり向こうとした時に足下の砂利が音を鳴らした。



「まだ、御供え者……貰ってませんけど?」



「えっ……?」


おそなえ物…そんな物は用意などしていなかった。透子はただ神社に居る人物にお守りを渡してくれとだけ言って居たのだ。何だこれは大人の事情なのか、仕来りなのか?汗がこめかみを伝うのを感じた。


「御供え者貰ってませんけどねぇ……?」


男が急に近付いて来て、シュウが身構えた。男の手がシュウの肩に触れた瞬間に、まるで静電気のようなバチバチとした閃光がシュウの身体から男に駆け巡った。


「ひやぁっ……!?」


男がよろめいて、バランスを崩して地面に倒れ込んだ。シュウは驚きを隠せないまま硬直している。


「や……やっちまった…!透子の手付けのガキに手を出しちまった……!くそ、御供え者無しでここに来るなんて!!!!あの女め、くそ、やっちまった。もうバレバレだ!お終いだ……!」


顔面蒼白。そう言うのだろう。男は尻餅をついた体制でシュウの顔を青ざめた顔で見詰めながら言った。


「すみません、大丈夫ですか?」


態度も雰囲気も慌ただしく豹変してしまった男にシュウは少し身を引いたが、あまりにも身を拗らせてしまったために心配の声をかけた。






(ーーふふ、そうさ……手を付けたんだ。お前がやった事は私に筒抜けだよ)


まるで憎まれ口でも叩かれているのを盗み聞きしているようである。


透子は自分の部屋で運命盤のようなものが描かれた木造りの盤を前にし、胡座と頬杖を付いて線と点を見詰めていた。手に持っているのは和紙で出来た小さな紙人形である。それを点と線の上を滑らした後、脇に置いておいた札をかがげて一気に下に振り下ろした。



シュウは唖然とした。急に男が猛烈に咳き込んだ後、何かを吐き出そうと下を向いて丸まっていた。小刻みに震える姿を見て、何をして良いやら、何が起きて居るのか全く理解出来ず足も動かない。


「た、叩いてくれっ……!」


叩いてくれ、男はそう言ったのだった。こちらを睨み付けるような顔で言ったものの、随分と苦しそうに震えて蹲る。


「たっ……叩くんですか!?どこを?」


「は……や、はやくっ!」


急かされるように言われ、シュウは細い腕から伸びた拳を男の背中に振り下ろした。ドスンッと鈍い音がして、ぐぇっと男が何かを吐き出した。


カロンッとまるで軽い音がぶつかったのを見てシュウは口を閉ざした。すみだった。燃え切ったであろう炭の塊が男の口から這い出でたのだ。


男はペッペッと唾を吐いて残りを吐き出すと、大きく息を吐いて涙目になりながら嗄れた声で喋った。


「助かった。すまんかったな……ゲホッ!ゲホッ」


男は立ち上がると吐き出した墨を重くそに蹴り飛ばしてふぅと溜め息を吐く。


「一体何が?大丈夫ですか?」



突然相手の身体に異変が起きたのだから戸惑い、状況を理解出来て居ないところを見るとこいつは透子のお使いになってからまだ時間はそう経ってはいないのだろうと男は思った。華奢な少年の身体を見て顔を顰める。


「言うなれば、お前にちょっかいを出した俺へ透子からのお仕置きさ。ささ、帰ってくれ。これ以上何かあったら俺の命はもう助からないだろう」


シッシッと追い払われるように男が手を振り払う。まるで男の背中を叩くだけのために来たようだ。シュウは背中の重荷が外れるような、何だか遣る瀬無い気にさせられた。

石段をまた神社からゆっくり降りて行く。次第に木蔭で休む黒鉄の姿が見えた。


「黒鉄〜、俺一体ここに何しに来たのか全然分かんないんだけど」


問いかけながら石段を降り切ると、黒鉄はまたも大きな口開けて欠伸をした。返事はない。もうただの猫に戻ってしまったような気がしたが、黒鉄はふぃっとシュウの顔を横目に見て歩き出した。


「はいはい、付いて来いって事ね」


家を出る前はサカナ一つであんなにだらし無い猫の姿になったくせに今じゃ澄ました顔で涼しげに歩く普通の黒猫である。



駅前の方角に戻って魚屋に寄る。冷気が立ち込めて店内は涼しく半袖だと寒い位だった。

「おやぁ、見ない顔の子だ。いらっしゃい」

魚屋のおじさんはガタイの良い体つきでこちらを見て行った。対比にならないくらいシュウの体は貧相に見えた。


「あの、干物が欲しいんですけど…」

「ああ干物ね。あるよ。アジ、カレイ、ホッケにハタハタに」

「あっ、あーえっーと………」


店の外で待つ黒鉄に目をやると、口をあんぐりと開けて待つ黒鉄の姿がある。クーパッ、クーパッと黒鉄の口が閉じたり開いたりして見えた。

アージ?シュウも黒鉄に向けて口をパクパクさせる。正解なのかどうなのか、黒鉄は口をクーパッ、クーパッと再び開けたり閉じたりさせる。


「アジとホッケで。3人前分」

「はいよ、700円ね。歩くのかい?」

「10分くらいですが」

「なら保冷剤入れておくからな」

「ありがとうございます」


「気ぃつけて」


おじさんに見送られて店の外に出ると、熱気がムンっと身体に染みる。地獄か〜。


またこの坂を上って行かなければならないと思うと憂鬱だったが、黒鉄はさっきからこちら(正確に言えば干物の入った袋)をチラチラ見ながら軽快に歩き出す。


こうして見ると猫の動きの表情ってのは分かりやすいのかもしれない。



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