第11話 境目
急に身の危険を伴う仕事を言い渡されたその日の夜。
夜外で食事をすることは、ここに来てからほとんどなかったが、今回ばかりは誰もいない家でゆっくりとした時間を過ごすことがとても恐ろしいことのように思えた。
とは言えあまり遠出は出来ないため、ここら辺で唯一この時間でもやっている喫茶店がある事を思いだして、そこに行くことにした。レストランや宿屋と併設された酒場は結構軒を連ねているけど、どこも落ち着いた話を出来るような場所ではなかった。
その喫茶店は確か昼間に一度行ったことがあり、そのときは人も疎らで落ち着くにはもってこいといった感じだったが、夜の帳も降りた今宵はそこそこ席が埋まっているようだった。
別に誰かと話したいわけではなく、自分以外に誰かがいる状況でゆっくり考えたいだけだったので、空き気味のカウンター席を避けて、部屋の隅の方の丸テーブルの席についた。付いて直ぐに注文を聞きに来た店員に、なんとなく声を出すのが憚られ、メニューを小さく小突いて注文したいものを示した。
踵を返して去って行く店員を見て、さすがに礼儀がなっていなかったなと少し後悔した。もし自分が店員ならキッチンに戻るやいなや気の知れた友人スタッフに愚痴を吐くだろう。ごめんなさい、と心の中で呟いた。
頼んだ苦めのコーヒーを飲み、思った通り苦く顔をしかめながら、ため息を一つ吐く。ちびちびと苦いコーヒーをすすりながら、果たしてあの仕事を受けるべきだったのかどうなのかを悩んでいた。もはや受けている手前、今更悩んだところでどうにもならないのだけど、よくよく考えれば考えるほど、短絡的に結論を出し過ぎたと感じてしまう。
詳細は追って連絡されるとのことだったが、今はその詳細を聞くのが少し怖い。でも詳細を聞かないで仕事を迎えるのもそれはそれで怖い。逃れようのない現実に押しつぶされそうだった。
考えたって良い結論は出ない、それが分かった上で何かを考えていないと不安になってしまう。そんな状況に、またもため息を一つついたそのときだった。
「ここ、いいです?」
ころっとした子供のような声に、視線は上がらず子供と話すような高さでその声の持ち主を見やった。見えたのはオレンジ色のカーディガンに深緑のジャンパー。首から提げた大きなカメラが印象的だった。
こちらが応える前に、その声の持ち主はイスを引いて腰を落とした。それでようやく顔に視線が行く。目鼻立ち整った女性だった。目も声に似てころっとしており、その遊び心がオーラから見て取れるよう、ついでに言えばふわふわとカールしたミディアムヘアも遊び心で揺れているようだった。
「えっと」
「すみません、もうカウンター席しか空いていないようで。もし本当にお邪魔なら別の席に移りますので」
言われて見回してみると、もうすぐ日付も変わるというのにほぼ満席だった。
「ここはベットタウンですけど、特にこの時間帯に仕事が終わるような人が多い地域で、遅くまで落ち着ける喫茶店はもちろん、宿屋や酒場も遅くまで繁盛しているんです」
「あ、そうなんですね」
へーと思うと同時に、別に同席は許してないんだけどなぁと引っかかってしまった。別に良いのだけど。
それからいろいろなことを話して、気付けば日付も変わっていた。意気投合とまでは行かないが、それなりにお互い心を開いて話し合える程度には仲良くなっていた。
彼女の名前はハル。とある新聞社の記者兼カメラマンなのだという。まだまだ駆け出しで覚えることも多く、仕事も大変で躓いたりしたときはこうして一日をリセットしに来るのだという。
「なるほど、じゃあアリスはまだまともに新しい仕事も始まってないのに、急に大変な仕事が始まっちゃうんだね」
「そうなんです。よく分からないし、結構危険だって聞くし、結構怖いの」
「アリスなら大丈夫そうだけどね?」
何で出会って数分の人に大丈夫そうと言われるのだろうか。自分に問題があるのかハルの方にあるのか分からないから何とも言えない。
「ハルはここに来たって事は仕事上手くいかなかったの?」
「そうだねー。今日の仕事自体はまぁいつも通りだったんだけど、私もアリスと同じで先の予定に気が思いやられる大仕事が入っちゃってさー」
「どんなどんな?」
あくまで初対面の印象だが、ハルはカメラマンが好きでカメラマンをやっているタイプのようで、仕事が楽しくて仕方がないという感じ。それならば、大きな仕事もそのチャンスな面に強く反応するような気もする。実際友達でそういうタイプの人は大きな仕事をプレッシャーではなくチャンスだと言っていた。
「うーん、なんか私に不釣り合いなほど大きなイベントの記者とカメラマンを任されそうでね。出来ないよーって」
「なんか、ハルはそういう仕事もかかってこいって感じに見えるけどね」
「それよく言われる! いつも仕事は大好きだけど大きい仕事をやりたいというよりは、自分に見合った小さい仕事を堅実にこつこつやっていきたいタイプなんだよね」
いわれて、あまりのしっくりこなさに唖然としてしまった。何がそう思わせるのだろう、前衛的なファッションだろうか、やる気に満ちあふれた表情だろうか、人間話してみないと分からないものである。
「極端な話、撮らなくてもお金もらえるならそれでいいしね」
すごいさばさばしてた。ギャップとかそう言うのではなく、第一印象が何もかも間違っていたみたいだった。
「アリスもそんな感じでしょ?」
何言ってんだこいつと思った。まぁ、あんまり間違ってはいないけど。でもなんかこの子に言われるのは違うなと思った。
「どうだろう?」
わざとらしく微笑んでそう返すと、ハルは
「わ-、私だけ悪い人じゃーん」
と、にやけていたずらに微笑んだ。
いろいろ思うことはあるけど、結局のところすごいいい人なんだと思った。ちょっと私に似ているのかもしれない、そんなことを思った。
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