保健所
一般の人々は「獣医師」と聞くと、「動物病院で動物の診療をしている人達」というイメージが強いかもしれない。
だが、「動物病院で動物の診療をしている人達」は獣医師全体の6割程度だろう。
製薬会社やペットフード会社、ペット保険会社にも獣医師はいるし、家畜診療所で働く獣医師もいる。
そして、あまり知られていないが、「公務員獣医師」という存在もいる。
農林水産省や厚生労働省、地方自治体で働く獣医師である。
彼らの仕事は多岐にわたる。
税関で検疫に携わる公務員獣医師もいる。
動物の伝染病や人獣共通感染症の日本への侵入を水際で食い止めるのが、彼らの仕事だ。
屠畜場や食鳥処理場にも多数の公務員獣医師がいる。
BSEに代表される様々な病気の検査、肉や牛乳に残留している医薬品や農薬のチェック。
安全な畜産物を国民の食卓に運ぶのが、彼らの仕事だ。
プールや公衆浴場の水質調査をするような公務員獣医師もいて、彼らはソープランドにすら、水質調査のために出入りしている。
これは伝染病の蔓延を防ぐための仕事だ。
だが、今回は保健所で働くA獣医師について話を進めていきたい。
「保健所」に悪いイメージを持つ人は多いのではないだろうか?
「保健所」に付きまとう「殺処分」のイメージ。
確かに今でも国内で殺処分となる動物は存在する。
確実に数は減ってきてはいるが、まだまだ多い。
A獣医師とは、保健所において、殺処分の最終判断を下す立場の獣医師なのだ。
A獣医師は、時として動物愛護を名乗る人々に槍玉にあげられる。
「動物の殺処分なんて、まともな人間の心があれば、できるはずがない」と。
A獣医師に人間の心はないのだろうか?
保健所に持ち込まれた動物。
彼らに心を開いてもらおうと、精一杯の愛情をかけるのがA獣医師だ。
人間に心を開き、人懐こい性格になった動物は、それだけで新たな飼い主に引き取られていく可能性が高まる。
その可能性を信じ、殺処分の瞬間まで、彼は動物に愛情をもって接する。
彼は心から動物が好きなのだ。
1頭でも多くの動物に、幸せな生涯を送ってもらいたい。
その信念のもと、彼は最も過酷な現場で最も過酷な役割を担っている。
保健所に持ち込まれた1頭の犬を殺処分しようと、新たな飼い主を見つけようと、彼の給料に変わりはない。
それでも、彼のおかげで新たな飼い主のもとへ巣立っていった動物は多数いる。
そんな彼の尽力は注目されず、「動物を殺処分する人」というレッテルを貼られ、それでも動物達のために働き続けている。
先日、彼の勤める保健所の管轄内で、ウサギの多頭飼育崩壊が発生した。
繁殖管理することなく無計画に繁殖させられたウサギ達。
もはや管理する事もできなくなって、多数のウサギが一度に保健所に持ち込まれた。
ウサギの里親探しは、犬猫の里親探しよりも難しい。
犬猫の里親探しは、ボランティア団体と協力体制で行うが、ウサギの里親探しをするボランティア団体はほとんどないからだ。
保健所に持ち込まれた数十匹は、ほとんどが殺処分するより他にないと、誰もが思った。
だが、A獣医師は諦めなかった。
ありとあらゆる人脈を駆使し、全国から里親を募集し、結局、数十匹すべてが、1匹残らず、新たな飼い主のもとへ旅立っていった。
中には障害を持つウサギや高齢のウサギもいたが、それを承知で引き取ってくれる人も現れた。
誰にも注目されない一公務員の仕事。
「絶対に無理」と言われた中で成し遂げた偉業である。
「人間の心を持たない殺処分者」のレッテルを背負いながら、最も過酷な現場で、最も過酷な仕事をこなしている公務員獣医師がいる事を、どうか多くの人々に知ってもらいたい。
そして、A獣医師が殺処分の判断を下さずに済む社会が訪れる事を願ってやまない。
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