第4話 家族

 エリーゼが目を覚ますと、そこは見知らぬ病室であった。

(ここは……グールはどこだ……? 早く、倒さないと……)

 身体を起こそうとすると、全身が痛んだ。

「あっ……うう……」

 その声を聞いて、ベッドの脇に座って寝ていたルドルフが、急いでエリーゼの方を掴んだ。

「無理をするな、貴殿は怪我をしている。敵はもういない。今は安静にしろ」

「てき……いない……?」

「そうだ。貴殿の活躍によって、だ。エリーゼ殿……」

 ルドルフはエリーゼの右手を握り、微笑みながら語りかけてきた。

「俺のことが分かるか?」

「……ルドルフ殿……」

 エリーゼは、ルドルフの顔を見てようやく、意識が覚醒した。全身が包帯に包まれているから動きにくかったことも分かった。

「わ、私は……生きているのか」

「生きている。セシリアも無事だ。街にも被害は出ていない」

「そうか……よかった……」

 それを聞き、エリーゼは安らいだ顔をして、張り詰めていた息を全て吐き出した。

「セシリアは……怪我はしていないのですか?」

「薬草を塗ればすぐに直る擦り傷だ。それよりも、貴殿の方が重傷だな。左腕は痛むか?」

「はい……少し」

「少しなわけがあるか。気を遣う必要は無い。何か食べたいもの、飲みたいものがあれば言ってくれ」

 ふと、エリーゼはルドルフの目が今朝の色とは違っていることに気付いた。

 その色は哀れな子犬に向けたものではなく、まるでセシリア達に向けるような、温かい雰囲気があるような気がした。

(まさかな……)

 エリーゼは馬鹿げた考えを笑い、目を瞑った。

「では……何か、甘くて冷たい飲み物を……」

 言い終わる前に、ルドルフは立ち上がった。

「蜂蜜入りの果実水でも持って来よう。少し待っていてくれ」

 早口でそう言うと、部屋から飛び出していった。何となくルドルフに持っていた威圧的なイメージが覆ってしまい、どこかむず痒い思いがした。

(こんなに心配してくれるなんて……)

 ふと、幼い頃に熱を出して寝込んだ時を思い出した。

 手拭いを代えに来るメイドは、余計なことを口にしなかった。ラインハルトは騎士学校で忙しかったし、父も仕事があった。

 幼心に、寂しかった。

(その私が……こんなふうに心配してもらえるなんてな……)

 目を覚ましてすぐにルドルフが向けた笑顔が、頭から離れない。嬉しさで顔が熱くなるのが分かる。

 コツコツ、と廊下を歩く音がした。足音は真っ直ぐ部屋に近付いてきている。ルドルフが飲み物を運んできてくれたのだろう。

 エリーゼが目を覚まし、飛び切りの笑顔を向ようとして――凍った。

「無様だな」

 父、ヴァーツラフが冷たい目をして立っていたのだ。

 喉が閉じ、言葉が出ない。胃液が逆流しそうになる。

「やあ、エリーゼ。心配したよ」

 その横には、柔和な笑みを浮かべた兄・ラインハルトがいた。

「勘当したとはいえ、まだ書類上は血縁者だったからね。君を引き取りに来たよ」

「あ……う……ごめんなさ……」

「お前にはほとほと失望した」

 縮こまるエリーゼに、ヴァーツラフが歩み寄る。

「たった三匹程度のグールに苦戦してこの様か。剣が無ければ何もできないのか?」

「ち、ちがっ……」

「何が違う? その程度の覚悟しか持っていないから、騎士試験にも落ちるのだよ!」

 ラインハルトは少し離れた場所に立って二人を傍観している。普段、ヴァーツラフが失敗した部下に声を荒げる姿を見慣れている彼にとっては、この程度はそよ風程度の出来事にしか思えなかった。

 そうして気を抜いていた。

 だから、憤怒の形相で近づいてきたルドルフに気付くのが遅れた。

 ぐい、とルドルフがヴァーツラフの襟首を掴む。

「ぐっ……な、何をする!」

「何をする……? 逆だろう。何をしている、貴様? 誰の許可を取ってエリーゼ殿に暴言を吐いている」

「お、俺はこいつの父親だ! 部外者は出て行け!」

「部外者ではない。エリーゼ殿は俺の家族だ」

「はっ……何を言っている?」

 ヴァーツラフが小馬鹿にしたように笑う。

「家族だ、と言った。エリーゼ殿は俺の妹を……セシリアを命がけで守った。今度は俺がエリーゼ殿を守る番だ」

 殺意を剥き出しにするルドルフに、ヴァーツラフが殴りかかろうとする。が、ラインハルトがその腕を掴んで止めた。

「ちっ……父上、おやめください!」

「邪魔をするな!」

「違います、この方は……ルドルフ・エーデルファーネ様です!」

 ヴァーツラフは目を見開き、まじまじとルドルフの顔を見る。

「いかにも。俺はルドルフ・エーデルファーネだ。信じられないと言うなら、我が武を以て証明致すが?」

「我が父が、大変失礼仕りました……」

 ラインハルトは片膝を着き、最上級の敬礼で命乞いをする。

 このニルヴァリオ帝国には、騎士と傭兵がいる。騎士は国に雇われるが、傭兵は誰の下にでも付きどんな仕事でもする。傭兵に名誉は無く、薄汚い使い捨ての駒として蔑まれる。

 しかし、たった一人、いかなる騎士も及ばない名誉で称えられる傭兵がいた。

 ルドルフ・エーデルファーネは、傭兵の身でありながら皇帝から騎士の称号を与えられ、最高の勲章を与えられた男である。彼の率いる傭兵団『ブラック・パレード』は大貴族が率いる騎士師団と遜色ない戦力を持ち、国内最強の軍団と名高い。

 それを知って、ヴァーツラフも急いで頭を下げる。

 ヴァーツラフはメルトマイヤー公爵令嬢の率いる騎士団の、中隊長に過ぎない。格の違いは歴然としていた。顔を知らなかったのは、普段であれば同じ場所で会話をする機会すら無いからである。ラインハルトもパーティで遠くから偶然見かけたのを覚えていただけで、当然、ルドルフの記憶に彼は存在しない。

「もう一度言おう。エリーゼ殿……いや、エリーゼは俺の家族だ。家族に対しての侮辱を、俺は決して許さん」

「ひっ……」

「立ち去れ。次にエリーゼを傷付けてみろ。俺は……徹底するぞ」

「は、ははぁ……っ!」

 ヴァーツラフとラインハルトは、目も合わせずに走り去った。

 ぽかんと口を開けるエリーゼの頬を、ルドルフが軽く撫でる。

「痛くはされなかったか。ふむ、怪我は増えていないな。勝手をしてすまない。だが、見ていられなかった」

「あ……いえ……た、助かりました……」

 その礼も、どこか上の空だった。ルドルフはその表情に憂いを帯びさせる。

「……それとも、俺のような男に家族呼ばわりされるのが気に障ったか?」

「いっ、いえ、そのようなことはっ!」

「そうか、ならばよい。これからは兄上、もしくはお兄ちゃんと呼ぶがいい。分かったな、エリーゼ?」

「は……はひ……」

 訳が、分からなかった。


 入院してから三日後、すっかり血色がよくなったエリーゼがルドルフに付き添われて退院していた。幸いなことに骨折は無く、栄養のある食べ物を食べ、しっかりと安静にしていればすぐに治ったのだ。

 桜が咲いた並木道を、ルドルフとエリーゼが歩く。

「このたびは、病院の費用も全て負担してもらって……感謝に言葉がありません」

「他人行儀な物言いはするな」

「……実感が湧きません、ルドルフ殿……ではなく、兄上」

「む?」

「家族、なんて……。私は、ただ必死に戦っただけで……」

「家族にとって大切なのは、血でも、時間でもない。互いを想い合う絆だけで十分だ」

「絆……」

「お前はセシリアを守った。俺がお前を守る。だから俺たちは家族だ」

「し、しかし……私にそんな資格は……」

 エリーゼは不安であった。自分のような者が、ルドルフ達のように心優しい人々に家族などと呼んでもらう資格があるのだろうか。所詮は騎士試験に落ちた、人生の落ちこぼれに過ぎない。少しだけ勇気を出した程度で、このくらい、誰にでも出来ることではないだろうか……。特別扱いしてもらうのが、申し訳ない……。

 そんなエリーゼの不安を見抜いてか、ルドルフは大きく溜息を吐いた。

 それから思い切り肩を掴み、真っ直ぐに目を見る。

「ひゃぅ……ど、どうしたのですか?」

「俺の目を見ろ。……嫌なのか、嬉しいのか。二択で答えろ。どうなんだ、エリーゼ?」

「う……嬉しい、です……」

「フン、素直に答えられるではないか」

 ルドルフはそのままエリーゼを抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩く。

「るどっ……あ、兄上……⁉」

「お前は勇敢で、優しく、美しく、気高い。が、自信の無さが玉に瑕だな」

「はわわっ……ぜ、善処してみますぅ……」

「その意気だ。さあ、皆がお前を待っているぞ」

 教会についてすぐに、セシリアが泣いて抱き付いてきた。

「エリーゼさぁぁぁん! うわぁぁぁん!」

「あふっ……く、苦しいぞ、セシリア……」

 そう言いながら、エリーゼはすっかり涙声になりつつある。こうして教会の彼らと接していると、エリーゼは今まで自分が使わなかった感情が呼び覚まされていくのが分かった。

 誰かの無事を願い、その生還を祝福し、生きていることに感謝できる。

「皆……エリーゼを、俺たちの家族に迎えたい」

 ルドルフがそう言う。エリーゼは少しだけ不安になった。もしも、嫌な顔をされたらどうしよう、迷惑になったらどうしよう……。しかし、不安が連想して大きくなるまでもなく、セシリアの声に打ち砕かれた。

「意義なーし!」

 アルフレッド、カルロと続き、子供達全員がすぐに答えた。

「俺もなーし」

「僕もなーし」

「つーか、ある人いる?」

「いなーい!」

 この教会にいる子供達は、誰もが孤独を経験している。戦争で親を亡くした者、捨てられて孤児になった者、ギャンブル狂いの親から逃げて来た者……。そうして地獄を彷徨い歩いているところをテスラに拾われたのだ。

 だからこそ、同じ孤独を抱えた者の苦しみには敏感であった。

「やれやれ……この年でまた子供が増えるとは、人生長生きしてみるもんだねぇ」

 エリーゼの快復を祝したパーティの用意をしながら、その様子を見ていたテスラは一人笑顔を溢すのであった。

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村雨の女騎士 Ngg/Ggg @marilyn6

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