第2話 教会

 男は力が抜けきったエリーゼを抱えたまま教会の扉を開ける。すると、中から子供の元気良い声が飛んできた。

「お帰り、ルドルフ兄ちゃん!」

 10人ほどの子供たちが、一斉にルドルフの元に走り寄って来た。

「戻った。今日の土産は干し肉だ。全員分あるから、きちんと分けて食べろ」

「わーい! 肉だ、肉!」

「寄越せよ、肉ぅー!」

「やーめーろーよー!」

 我先にと肉を取り合おうとする子供たちの頭を、年長の少女――セシリアがごつんと叩く。

「こらっ! みんなで仲良く分けるの。ルドルフお兄ちゃんが悲しむわよ」

「「はぁーい……」」

 ルドルフはセシリアに意味ありげな笑みを向けた。

「ふっ……」

「な、なによ、お兄ちゃん……」

「いや。前なら率先して奪い合っていたセシリアが、成長したものだと思ってな」

「もう! そんな昔話をされても困るから! 私、もう15なんだよ」

 ルドルフはエリーゼを教会らしい長椅子に寝かせる。それから椅子の下に仕舞ってあったタオルで、彼女の濡れた身体と頭を拭いた。

「……って、その女の人はどうしたの? 行き倒れ?」

「そんなところだ。テスラを呼んできてくれ」

「分かった!」

 そんな会話をぼんやりと聞いていたエリーゼは、ようやく身体を起こす。

「……ここまで運んで貰って、申し訳ない。この礼は、いつか必ず……」

「そう畏まるな。身体が冷えている。そこで静かにテスラを待っていろ」

 ルドルフはそう言うと教会の奥に入っていった。そして入れ違いで中年のシスターがやって来た。

「こんにちは、お嬢さん。寒いところを大変だったね」

「あ……う、その……」

「お腹、空いているんだろ? 白菜のスープでも飲んで温まりなさい。ほら、こっちに用意してあるから」

 エリーゼは導かれるままに奥に連れていかれ、机に座らされた。目の前には湯気立っているスープが出されていた。机の対面にも皿が置かれている。

「い、いただきます……」

 一口含むと、それだけで身体に熱が戻るような気がした。思えば、朝に食べたきり何も食べずに雨に打たれていた。身体中のエネルギーを使い果たしていたのだろう。気が付けば涙を流しながら夢中で食べていた。

「良い食べっぷりではないか」

 いつの間にか食堂に来ていたドルフがどっかりと対面の椅子に座り、薄い笑みを浮かべていた。先ほどの軍服とは打って変わり、簡素な服に着替えている。

 しかし、どことなく漂う威圧感に、エリーゼは委縮してしまった。

「この人、これでも満面の笑みなんですよ? お兄ちゃんったら表情筋が死んでるから、怖い顔しかできないけど」

 スープを盛りつけていたセシリアが、からからと笑いながらルドルフの頬を引っ張る。

「やめろ。引っ張るな」

「そ、そうなのですか……?」

「そうです。あ、お姉さんの名前は何ですか?」

「……エリーゼ、と言います」

「エリーゼさんですね。素敵なお名前です。私はセシリア。スープを作ってくれたシスターがテスラ。こっちの怖い人はルドルフって言います。ほらまた眉間に皺が寄ってる」

「……そんなに怖いのか、俺は」

「怖い怖い。エリーゼさんが怖がっているよ」

「善処しよう……」

 ルドルフは難しい顔をしてスープを啜る。すると、僅かだが顔が緩んだように見えた。

「……」

「……」

 スープを啜る音だけが響く。

「……あの、ルドルフ殿」

「どうした」

「今回は、本当に助かりました。しかし、私にはこの剣くらいしか、金になりそうな物がなくて……」

 エリーゼは腰に刺していた愛刀を机の上に乗せる。これを失えばいよいよ自分は一文無しだが、もはや騎士としての自分は死んだのだ。それなら、親切な彼らの役に立てた方が有意義だろう。

「これを……受け取ってもらえないでしょうか」

「……礼の為に拾った訳ではないと言ったはずだが?」

「これは私なりのケジメです。それに、もう私には必要のないものだから……」

「どういうことだ?」

「……私は、騎士試験に落ちて勘当されたのです」

「ほう。では名家の出身か」

 ルドルフはその剣を手に取り、鞘から抜く。鏡面のように磨かれた刃を手袋の上からそっと触れ、眺めた。

「見事に手入れされた美しい剣だ。が、今は曇っているな。雨に打たれたからか」

 パチン、と再び刃に収め、ルドルフはそれを受け取った。

「預かっておこう、エリーゼ殿。これだけの対価を払ったのだから、生活の立て直しができるまで教会で好きに世話になるといい。いいな、テスラ?」

「アンタがそう言うなら止める理由なんて無いさ。権利者様?」

「……やめてくれ。そんなつもりじゃない」

 ルドルフは眉間に皺を寄せ、溜息を吐いた。


 宛がわれた部屋で、エリーゼはベッドに寝転がって天井を見つめた。

(これから、私はどうしていこうか……)

 騎士試験は一生に一度しか受けることができない。そのため、どうにか他の生きる道を探していかなければならない。そう考えた時、騎士学校で培った経験を活かすなら、傭兵しかなかった。

 騎士と傭兵。どちらもこのニルヴァリオ帝国において戦闘を仕事にする職業だが、社会的地位の差は歴然としている。騎士は国家によって雇われ給料を与えられるのに対して、傭兵は日雇いの兵士のような役割を果たしている。また、戦場でも最前線に配置されることが多く、死亡率が非常に高い。給料は多いように見えるが武器や食料などは自前で揃えなければならないため、実質的な儲けは騎士に及ばない。そのため、多くの傭兵は傭兵団という共同体に所属し、助け合っている。儲けは全員で山分けになるが、死の危険をぐっと減らせることを考えると傭兵団に属さない理由は無かった。

 だが、エリーゼが傭兵団に属すとなると困難が幾つもある。

 一つは、何のコネもない事。

 二つは、良い傭兵団に入団するためには名を上げなければならないこと。

 三つは、一文無しであることだ。

 自身の将来を思うと気分が暗くなる。後悔と絶望が押し寄せて来て、剣で自分の首を掻っ切りたくなった……が、既にそれすら自分の手元には無い。

(手放して正解だったのかもしれない……騎士の剣が無くなり、私は『昔』に拘れなくなったのだから)

 エリーゼは目を瞑り、気を静めることにした。そうしていると、一日の疲れがどっと出て、一気に夢の世界に引き込まれていった。

 ――夢の中で、エリーゼは騎士だった。

 人々を守るため大盾と剣を構え、魔人の大軍にも、巨大な魔獣にも臆さず戦場を輝かしく駆け回る。そして誰よりも戦果を挙げ、父に微笑みを向けられる……。

『よくやった、エリーゼ。お前は我が誇りだ』

『はい、父上』

 鶏の声で叩き起こされる。

 両目からは大粒の涙を流していた。


 教会の朝は早い。

 太陽が出たばかりの時間、エリーゼが身嗜みを整えていると子供たちが続々と顔を洗いに井戸までやってきていた。中でも格別早く来ていたのが、セシリアだった。

「おはよう、セシリア」

「おはようございます、エリーゼさん。昨日はよく眠れましたか?」

「ああ、お陰様で」

 どうやら、早朝の井戸は女子のものらしい。身体を洗いながら世間話をしていると、五人ほどの女の子が集まって来た。

 それぞれ、タオルを濡らして寝汗を拭いている。

「わー、エリーゼさんの肌、すごい綺麗」

 セシリアが自分の肌と比べて驚いていた。

 エリーゼの肉体は鍛えてあるため女性にしては筋肉質であるが、擦り傷やシミが殆んどない、陶器のような肌をしている。年頃のセシリアには、それが羨ましかった。

「そ、そうかな……そんなにまじまじと見られると恥ずかしいが」

「ごめんなさい! でも、なんだか絵画みたいでつい……」

 そうセシリアが言ったため、一緒に洗っていた子供たちが寄ってきて、興味津々に撫で始めた。

「すごい、すべすべ!」

「いいなー、私も私も!」

「ちょっ……く、くすぐったい!」

 人にこうして肌を触られること自体が無かったため、エリーゼの肌は酷く敏感だった。その様子を見てセシリアはにこにこと笑顔を浮かべている。

(気を遣ってくれたのだな……私がみんなと早く打ち解けれれるように)

 そう思うと、エリーゼの顔にも笑顔がこぼれていた。

 その日は全員で朝食を食べた。パンとスープ、それに少量の干し肉だ。

 食卓にはルクスブルクの屋敷のような静かさは無く、がやがやと喧騒に包まれているが、不思議と居心地は悪くなかった。

(……何故、ここのみんな楽しそうにしているのだろう)

 その居心地の良さが、不思議で仕方がなかった。

「エリーゼ殿。貴殿は、これから予定はあるのか?」

 ルドルフが訪ねてくる。

「いいえ……まだ、何も考えていません」

「そうか。ならば、皆の勉強を見てやってくれないだろうか?」

「えっ? 私が……教師の真似を?」

「ルクスブルク家のご令嬢ともあれば、それなりの教養を持っているのだろう?」

「ええ……一通りは教えられましたので。喜んで力になります」

「ありがたい。では、俺は出掛けてくるとしようか。夕方には戻る」

 そう言ってルドルフは席を立ち、そそくさと準備を済ませて出て行った。

 朝食を取り終えたら、きらきらと目を輝かせた子供たちに囲まれてしまった。

「ねぇねぇ、エリーゼさんはどんなことを教えてくれるの⁉」

「剣! 俺、剣の使い方知りたい!」

「そ、そういうのはルドルフ殿から許可を取ってからだ。まずは読み書きと計算だな」

「ぶーぶー、お兄ちゃんと同じこと言うのかよー」

 いかにも活発そうな少年、アルフレッドが文句を言う。すると、昨日はアルフレッドと肉を取り合っていたもう一人の少年、カルロが小馬鹿にするように肩を竦めた。

「アルは相変わらず馬鹿だなぁ。騎士が自分の剣を簡単に教えるはずないだろ」

「んだと、カルロ! またボコボコにしてやるか、この野郎!」

「僕がいつ、お前にボコボコにされたってんだ? この野郎!」

「あ、あの……二人とも、喧嘩は……」

 はわわ、とたじろぐエリーゼ。

「喧嘩は、メッ‼」

 セシリアの重い拳骨が、二人の頭上に落ちる。

「「いでっ!」」

 カルロとアルフレッドは蹲って頭を押さえている。

 どうやら、こうして喧嘩をしてはセシリアに制裁されているのが日常風景のようだ。

 大人しくなったやんちゃ少年を尻目に、エリーゼは言われた通りにそれぞれの勉強を見始める。意外だったのは、カルロとアルフレッドも勉強が始まったら真剣な目で黙々と取り組んでいることだ。

「エリーゼ先生! これの計算のやり方を教えてくださーい!」

 中でも一際熱心なのは、セシリアだった。

「ああ、これは……この文字を代入して……」

「ふむふむ」

 騎士の家の娘として最高峰の教育を受けていたエリーゼから見ても、彼らのレベルは高かった。教会の孤児たちに抱いていたイメージが一変した。

「セシリアは頭がいいな……将来は学者になりたいのか?」

「あはは、そんなことないよ。私は料理人を目指しているの。計算したりとか、異国の本を読んだりとか、色々必要でしょ?」

「料理人……」

「うん! 家族のみんなに、もっと美味しいものを食べさせてあげたいの」

 セシリアは慈愛に満ちた目で、教会の子供たちを見回す。

「家族、か……。いい夢だな」

 エリーゼはセシリアに合わせて笑いながら、湧き上がる嫉妬心をそっと押し殺した。


 午後は、勉強を終えた子供たちがそれぞれの仕事をこなし始める。エリーゼはカルロとアルフレッドに従い、教会の裏にある畑の世話をすることにした。

「おーい、セシリア! もっと気合入れて雑草引っこ抜けよー!」

「ぐぬぬ……まさか、雑草がこんなにしぶといとは……」

「ほら、そこ、根が残ってるだろ。こんなんじゃまたすぐに生えてくる。よく見てろよ……」

 アルフレッドがエリーゼに付きっきりで畑の世話を教えていると、カルロがぼそりと呟いた。

「分かりやすい奴だなぁ……」

「な、なんだとカルロ!」

 二人は会話と同時に喧嘩を始める。もはやそういう生き物なのだろう。しかし、セシリアは薪を拾いに森に出かけているため、彼らの喧嘩を止めらえるのはエリーゼしかいない。

(わ、私がなんとかしないと……)

 自分に気合を入れ、エリーゼは二人の頭頂部に軽く拳を落とす。

「こ、こらっ。喧嘩はダメだぞ。……な?」

 二人がぽかんと口を開けているので、エリーゼも徐々に自身を失っていく。

「あ……うぅ……け、喧嘩は……ダメだ。お願いだから……」

 ついに涙を目尻に浮かべ始めたのを見て、アルフレッドは顔を真っ赤にして慌てて頷いた。

「お、おう! 喧嘩は確かにダメだぜ。反省した! 悪かったなカルロ!」

 そして、カルロはそれを見て笑いながら謝り始めた。

「ぷっ、、ごめんごめん! 真面目にやるよ、エリーゼさん! 僕も悪かったよアル……ぷぷ、くひひひひ!」

「な、なんで笑うの……」

 結局、畑で二人が喧嘩をすることはなかった。エリーゼは釈然としない思いだった。

 ……夕刻。三人が泥だらけの手を洗っていると、テスラが困った顔をしてやってきた。

「ねぇ、セシリアを見なかったかい?」

「セシリア? 見てないぜ。俺らはずっと畑だったからなぁ」

「そうかい……まだ森から帰ってきていないんだよ。何かあったのかねぇ……」

「よければ、私が様子を見てこようか?」

「いいのかい?」

「ああ、任せてくれ。弓矢を借りて行っていいか?」

「台所にあるから、持って行っておくれ。普段は南の山の麓で拾っている筈だから……」

「了解した。行ってくる!」

 エリーゼは駆け足でその方角に向かって駆けて行った。

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