第4回 #匿名短編コンテスト・光VS闇編

光の線の集積として、きみ。

 いくら言葉を尽くしても救えないのが人なんだ。教室では笑わない加瀬かせくんをみると強く思う。だったら絵画や音楽はどうなのかというと、わたしにはまだわからない。


 すりガラスの窓からは午後のやわらかい陽が染み出している。画用紙を鉛筆がこする音、油絵の具の匂い、わたしたち。これだけで構成される放課後に、邪魔が入ったことは一度もなかった。理論上は、どんなことでも臆面なく言える空間。加瀬くんが自ら口を開くことはあまりないけれど。

 彼のくちびるが微かに弧をえがくのを観る。彼の瞳があかるいのを観る。画家とモデルの関係でいられるあいだだけ、わたしたちの間には確かな糸がうまれる。わたしは視線をずらさずにそっと声を発する。

「デッサンて、光の一色だけでものを描くよね。でも色があるように描けるのって考えるとふしぎ」

「それ言うなら陰じゃないの。黒なんだから」

「どっちだって一緒だよ。いちばん暗いところの隣には、回り込んだ光があるって先生言ってたし」

 しばらく宙を見ていた彼が真面目につぶやく。

「まぁ、確かにね」

 なんだかおかしくなって、吹き出してしまった。笑っちゃいけないと思えばなおさら。彼の眉間に浅くしわが寄る。きれいな顔がもったいないな。

廣田ひろた、あんまり笑わないで」

「ごめんごめん。ちゃんとやるから」

 表情を抑える。頼んだのはわたしの方だ。この細いつながりを切るのは彼にとって難しくない。そもそも断るのが面倒で引き受けてしまった、くらいの話だろうし。でも、彼を照らせるのじゃないかという幻想のままに言葉を重ねてしまう。

「ひかり、光の線。かく。えがく。線があつまる……ひかりの線の集積として、きみ。これじゃ下の句にしても字余りか」

 反応はなかった。独り言と認識されているらしい。

「加瀬は笑ったり喋ったり、あんまりしないね」

「問題ある?」

「ううん。ただ勝手に、わたしが気になるだけ」

「カウンセリングごっこ始めるんだったら帰るけど」

「まってまって、もう黙るから」

 立とうとする彼をとどめるようにわたしも腰を浮かせてしまう。実際にカウンセリングを受けているのはわたしのほうかもしれない。クラスメイトの誰とも付き合いがなさそうな彼を言葉のはけ口にして、絵を理由に目の前にとどめて。彼はわたしを邪険にしない。それをいいことに彼をどうにかしたいと思ってしまうなんてばかみたいだ。教室のなかに友達が多いのがいいことだなんて、まったくもって真実じゃないのに。危うさを感じるのだって、わたしの主観にすぎないのに。


「顔を上げてくれないかな」

 また椅子に掛けなおした彼がぶっきらぼうに言う。はっとして顎を上げた。

「もう少し下。うん、そこ」

 さっ、さっ、と鉛筆を走らせる音がまた忙しなくなる。わたしからは見えない位置の画用紙にまた陰が重なっていく。彼の絵が上手いのは美術選択ならみんな知っているはずだ。美大志望らしいことも。でも美術の時間にだけ、彼の表情が優しくゆるむのを認識している人はどれだけいるのだろう。道具を扱う手つきがすごく丁寧なことに気づいている人は。

 わたしを描いて。彼ひとりしかいなかった美術室でそう頼んだ理由を自分にすら説明できないでいる。好奇心ならまだましで、同情だったら我ながらひどい話だと思う。その他大勢の仮面を外せば同情されるべきなのはきっとわたしだ。好きなことに実直で才能にも恵まれた彼ではなくて。

 彼が鉛筆を置き、また別の一本を取り上げる。さっきよりも硬質になった音が芯の濃さを変えたことを教えてくれる。

「廣田は教室じゃそういうこと喋んないのな」

「そういうって、どう」

「短歌? とか」

「だって」

 嗤われる。なんて言えない。変な奴って思われるのが嫌だなんて。

「話、あわないじゃん。普通」

「ふぅん」

 それ以上は追及されない。文芸部にでも入ればとでも言ってくれたらおあいこなのに。器の大きさの違いを見せつけられた気がしてしまう。

「っていうか、聞き耳立ててたの」

「ごめん、なんか見ちゃうんだよね。どうやって描こうかなとか」

 練りゴムを紙にすべらせながら彼はやっぱり楽しげで、ほんとうに好きなことは人を輝かせるのだと思う。

「さて」

 イーゼルから画板を取り上げて、わたしのほうに向ける。紙の上でモノクロに置き換えられたわたしはどこか憂いを帯びて、瑞々しいまでの現実感をもってこちらを見ている。彼の目にうつるわたしがこうなのだとしたら。胸の底を走る震えが止まらなかった。

 フィキサチーフの缶とデッサンを持って出て行く。彼なりの着地点にきたのだろう。終わりなどないかのような絵の世界で、ゴールを決めるのもまた才能なのかもしれない。わたしからすれば彼には迷いというものがみられない。


「廣田」

 ただ名前を呼ばれてどきりとする。

「黒い紙に白でさ、光で描く技法もあるって知ってる?」

「黒板に描くみたいな?」

「イメージはそう」

「なに、もう一枚描いてくれるの」

「廣田が良ければ」

「それは、いいけど。迷惑かと思ってた。最初に頼んだのわたしだし」

「人物デッサンとか、なかなか機会ないからね」

 さっきは帰ろうとしたくせに。

「個人的なことを詮索するのはやめてほしいけど」

 わたしの思考を読んだかのように付け足す。話しながらも画材を片付けはじめた。わたしも座っていた椅子を部屋の隅に積む。

「喋るのはいいの?」

「ずっとでなければ、まぁ。廣田の使う言葉に興味はあるんだよね」

「えっ、嘘ぉ」

「なんでだよ」

「びっくりするよ。興味ないと思ってた」

「絵ってものをよく観なきゃならないんだよ。短歌とかも一緒なんじゃないの」

「そう、かもね」

 今日ころがしていた言葉を思い返す。光、ひかり。彼はああみえて聴いていたのだ。


「わたくしを光と陰のあつまりへ編みかえてゆく君の鉛筆」


 口が滑った。降りてきた歌はそのまま呟きとなって彼の前に落ちる。

「ほんとに歌みたいだ。はじめて聞いた、短歌ってやつ」

「大体は文字だもん。当然だよ。文芸って実は半分視覚芸術だと思ってる。かなで書くか漢字で書くかでも印象かわるよ」

 こんど見せて。なんて言ってきたりはしないのに、たぶんわたしが彼の前に自作をさらすことはもう決まってしまっている。

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