2.蝋・塔・酔い(同音異義名詞も)

 抱きしめもしないで、千世は私に軽くもたれて立っている。声もない。唐突な動きであっても触れる温度にさえ嫌みがない。言葉によらないコミュニケーションが巧いのはろうのいとこがいたからだと前に聞いた。離れるとき、不本意ながら引き止めたくなった。千世はキッチンから湯気立つ陶のマグを持ってくる。私のものだ。

「ミネストローネ。野菜、とうが立っちゃってたけど煮れば大丈夫だね」

 糖分も、とコンビニのマドレーヌを添えてくれる。窓の外は灰色にけぶっていた。天気が良ければ見える都心の摩天楼も今は影もない。近所の鉄塔だけが曇り空を支えている。やや冷静になって、職場に電話をかけた。同課の男の子が出る。雪を言い訳に状況を問うと「今日は全社休みになりましたよ。俺も帰るとこです」とのことだった。千世はほらね、と言いたげに澄ましている。

 軽い食事が終わったところで、アロマキャンドルをつけてくれた。花の香りに蝋の焦げる匂いが微かに混ざる。

「わたしには差し迫った事情がないから分からないって言うだろうけど。会社は牢屋じゃないんだからちょっとは肩の力抜きなよ」

 一つ年下の大学時代の同期は、時々ぞっとするほど大人びている。一浪二浪は当たり前の美大でするりと現役で入学。酔いに任せて、境遇を羨ましいと叫んだ時でさえ軽く流してくれた。二十代半ばとは思えない落ち着いた物腰。だから時々信じられなくなる。卒業式から謝恩会に向かう道すがら、宵の明星を見上げてルームシェアなんて持ち掛けてくれたことを。幾度も八つ当たりをして、なのにまだ共同生活を許されていることを。

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