帰り道のこと

「いやあ、本当に五千回振ろうとするとは思わなかったのよー? 途中で勘弁してあげようと思ったのに、あたしうっかり寝ちゃってさ」

 ベッドの上で、彼女がケラケラと笑う。日は落ちて空に星が瞬き始め、それでも窓から入ってくる賑やかな声は熱を帯びる一方だ。

「うっかりで済むかよ、辛かったんだぞあれ!」

 仕返しとばかりに、彼女の足を毛布の上からむぎっともむ。普段なら『何すんのよ!』とぶん殴られるところだが、響いたのは「にぎゃあああああああ」という情けない悲鳴だった。

 神のご加護でも治せなかった傷、その名も筋肉痛。

 いくら言動が情けないとはいっても、僕も男だ。それなりの体重もあるし、背も彼女より高い。

 そんなのを『勇者』という『武器』として振り回したのだから、彼女の体が悲鳴を上げないわけがない。

 魔王を倒して、それが間違いのない事実となり、周りを囲んでいた小型の魔物が跡形もなく消え去った後。

 彼女は「あいたたたたたた!」と言って座り込み、そのまま動けなくなってしまった。

 洞窟で一晩休んでも彼女の痛みは治まらず、荷物や遺体をまとめて運ぶ準備を終えてから、僕は彼女をおぶった。遺体と一緒の冷たいそりじゃ、あんまりだろうと思ったから。


 魔王を倒した帰り道。行きで、もうこれ生きて山を降りることはないんだろうなあ、なんてひっそりと考えて、内心恐怖で震えながら、それでも仲間や彼女の確固たる歩みに励まされて、肩を並べて歩いた道。

 行きは上りだった坂を、仲間二人の遺体を乗せて洞窟のつららを詰めた急ごしらえのそりを引いて。

 彼女をおぶって、下りる。

 そんな状況だというのに、なぜか僕はひどくドキドキしている自分に気づいていた。


 洞窟を出て緊張の糸が切れたのか、彼女は眠ってしまっていた。

 稽古で、容赦なく体を押し付けてきた彼女。普段は、絶対にこぶし二つ分の距離をあける、彼女。

 今、すうすうと寝息を立てて、僕の背中に無防備に体を預けている……彼女。


 うん、そうだ。僕は魔物が物陰から出てこないか心配でドキドキしているんだ。

 そりを引っ張りながら彼女を背負っていることで、息が上がっているんだ。

 魔物はいなくなっても、獣は襲ってくるかもしれないじゃないか。まだ危険なんだ、それに緊張しているだけだ。

 熱いのは、彼女の手足が炎症を起こして腫れているからで……。

 自分に言い聞かせながら、一歩一歩、進む。

 と、背中の彼女がむにゃむにゃ言いながら僕にむぎゅっと抱きついて。

「……あったかい……」


「つめたーい!」

 彼女の叫び声で我に返ったとき、僕は転んで頭から盛大に沢に突っ込んでいた。冷たい。あと痛い。

 いつの間にここまで歩いてきたのか僕には記憶がなかったが、とりあえず背中の彼女と後ろのそりは無事だった。

「大丈夫?」

 彼女に問われ、

「だ……大丈夫」

 立ち上がるために一旦彼女を背中からおろして振り向きかけ、彼女の衣服が水で体に張り付いている様子から慌てて目をそらす。

 腫れてほてっている手足に沢の水が気持ちいいのか、彼女は少しの間水の中に座っていた。

 やがて、全身びしょぬれで頭にたんこぶを作った上にいつまで経っても目をそらしている僕に向かってこう言った。

「この後村に着くまで、あたしのこと下ろさないでよねっ!」

「……はい」

 何だろう、たぶん、色々な意味で危なかったのだけれど……というのは、今に至っても彼女には黙っている。


 それから、何とか歩き続けて、山のふもとに着いた。

 更に歩き続けて街道に出て、村に着いた。

 そして、今に至る。

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