第34話 誰との対決

 当日。僕たちは都内某所のとあるビルへとやってきていた。

 とある動画サイト運営会社の本社ビルである。

 恋愛遺伝子メインヒロイン決定公開オーディション。

 すうぃーとぱいん現社長が用意した決戦の舞台は年齢制限付き動画配信サイト4545動画と提携した視聴者参加型イベントだった。

 オーディションの模様を動画で生配信し、受付期間中のメール投票によってヒロイン役の声優を決定しようというのである。

 意外にも、ミル様の所属事務所は協力的でこのイベントに際しても色々と配慮してくれたらしい。

 未成年者がエロゲに出演するのはどうかと思うのだが、プロはまた考えが違うのだろうか。かくいう僕は詳しいプロフィールは伏せられている。

 こんな大舞台になるとは思いもよらなかったものの、この機会を得られたことには感謝している。これが僕にできる最後のチャンスだと思うから。

「おい、大丈夫か、翼。なんか震えてんぞ」

 黒江ちゃんたちも付き添いで来てくれている。僕は安心させる一言を吐く。

「ただの武者震いなのだ!」

「なのだっ!? お前緊張しすぎてキャラ壊れてんぞ!?」

「全然大丈夫なのだ。絶好調とはこのことなのだー!」

「うわぁ、全然直んないんだけど、どうすんだこれ」

 そのとき控え室の片隅にいる僕たちのもとへやってきた人がいる。

 見た目ロリータな金髪ツインテール。

 自称美少女プロ声優にして今日の対戦相手ミルドレッドその人だった。

「負ける勝負とわかっていて、臆せずよく来たわね! そこだけは褒めてあげるわ!」

 こう見えてさすがはプロ声優か、人前に出るというのに堂々として貫禄がある。身に纏う空気、風格から、早くも実力差をヒシヒシと感じている自分がいる。

「だけど、私様の勝利は揺るがない。新作のヒロインの座はこの私、ミルドレッド様こと『今日から公称十八歳』ミルドレッド・ブラック様がいただくわ!」

「隠す気ないのだ!?」

 あまりの開けっぴろげぶりに動揺。裏名義にしたってそのまんま過ぎる。

「? ちゃんと名前変えてるじゃない」

「ブラックつけただけじゃないか」

「茶●林おじさまも裏名義は邪●林よ」

「……」

 男性の大ベテランを例えに出されても困る。まあ本人がそれでいいなら別に構わない。

「ともかく獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。シロート同然だって一切手加減しないから覚悟しなさい?」

「望むところだよ」

 僕たちは激しく火花を散らし合い、別れた。


 間もなく本番が始まる。僕は生配信が行われるスタジオ、その入り口前にスタンバイしている。確認用の画面にはテーブル席が映っていた。

 あそこに五人の審査員が座り、その前で僕とミル様が順に演技をする。

 二人の演技が終わったところで投票タイム開始。各審査員の持ち点五十票と視聴者各一票を合計して票数の多い方が勝利。新作恋愛遺伝子のヒロインの一人、香織役になるというわけである。

 やがて番組がスタートした。司会のお姉さんが番組主旨を説明。審査員が一人ずつ紹介されていく。

 先輩声優、有名ボカロP、人気エロゲ実況主、音響エンジニア、そして……。

 最後の一人、シナリオ担当直見ライチ。

 入場間際、目が合う。だが、彼女は何を言うでもなく行ってしまった。

「直見羅壱、シナリオ担当。よろしくお願いします」

 ノリのいい司会のお姉さんとは対照的にボソボソと話す。

 自作を語り書くときの生き生きとしたライターの顔ではない。つまらなそうな黒幽霊の顔だった。

『羅壱先生キター』『え、女だったの?』『テンション低すぎw』『これあかんやつや』『あなたが貞子か』

 画面に視聴者のコメントが流れる。無責任な言葉にムッとしたが言っても仕方ない。

 制作スタッフは、今日は直見さんだけで、小野寺さんも服部さんもここにはいない。絶賛修羅場中なので。

 社長は来ているはずだが、見える範囲にはいなかった。

「それでは本日の主役、オーディションを受けるお二方に登場してもらいましょう! まずはこの方、KSMプロ所属ミルドレッド・ブラックさんでーす!」

『うおおおおおおおお』『ミル様キター!』『ブラックw』『ブラックてww』『ミル様闇堕ちw』『←こらやめろ』『アセリア好きだったよー』

 すさまじいコメントの弾幕が画面を埋め尽くす。既に第一線で活躍している人だけあって、その人気はすごい。というかやっぱりバレてる。

「今日は私様の宴へようこそ下僕ども! こんな時間にこんな番組見てて暇なのかしら? まぁ、せっかく集まったんだし盛大にブヒブヒ鳴かせてやるから楽しみにしてなさい!」

 ミル様がそう言ってビシッとポーズを決めた瞬間。

『ミル様罵倒いただきましたー!』『今日も安定のミル様w』『ブヒーブヒヒーw』

 コメントは大盛況。ミル様の口汚い言葉にも慣れているのかむしろ嬉しそうだ。一部ミル様を知らない視聴者が『?』となっているのが、それも少数で、場の空気は完全にミル様一色と言っていい。

「さすが新進気鋭注目株のミルドレッドさん。すごい人気です! 画面がコメントに埋まって見えません! 皆さん落ち着いて、落ち着いて下さーい!」

 司会のお姉さんも慌ててすっかりブラック扱いを忘れている。

(この中に入っていくのか)

 本来なら、どちらかといえばエロゲはホームのはず。だが、場はどう見てもアウェイ。

 ここへたかだかエロゲに2作出ただけの新人が出ていってどうするのか。気後れする僕の肩をタンと叩いて励ましてくれるのは黒江ちゃんだ。

「ビビってんじゃねーぞ。お前が選んだ道だろ?」

「黒江ちゃん……」

「思いっきりやってくるし」

「大丈夫。美幸くんかわいいから」

「ありがとう。仲田さん、国吉さん。僕がんばってくる」

 応援してくれる三人と拳を突き合わせる。

「ぶちかましてこい、翼!」

 大きく頷き、前へ。

「それでは続いてもう一人の声優さんに登場してもらいましょう! すうぃーとぱいん所属の新人声優、美幸翼さんでーす!」

 ドテッ! ズパーン!

 僕は盛大にすっ転んだ。

『転んだ?』『転んだw』『いきなり転倒とかw』『なにこれドジっ娘w』

「おっとどうしました大丈夫ですか、美幸さん」

「だ、大丈夫ですっ! というか、その名前本名なんですけどっ!?」

 別に僕も理由もなくなにもないところで転びたかったわけではない。

 生でいきなり本名を呼ばれ動揺しない限りは普通にやれたはずなのだ。

「え、これ本名なんですか? 台本には美幸翼って書いてありますけど」

『本名なんだw』『大事故発生w』『生で本名バレw』『これはキツイwww』

 他社メーカーの仕事ではちゃんと芸名を使っている。

 だが、この番組の台本では手違いで本名で記載されていまったらしい。

「じゃあ、なんてお呼びしたらいいでしょう?」

「も、もう美幸でいいです」

 お姉さんのミスでない以上、全部言い換えてもらうのも申し訳ない。

 観念して立ち上がると。

「み、美幸ちゃん、スカート! スカート!」

「え……ひゃぁぁ!?」

 転んだ拍子にスカートのすそがめくれて装飾用のボタンにひっかかっており、画面に僕のパンツが大写しになっていた。

 慌てて直したものの、時既に遅し。僕の下着の柄はネット回線を経由して全国にお届けとなっており。

『しまパンキタァァァ!』『パンツー! パンツー!』『神様ありがとう』『これはいいパンチラw』『ナイスパンティ』

(騙してごめんよ、みんな。盛り上がっているところ悪いけど、それ男のパンツなんだ)

 重ねてはいてごまかしているけど、むしろ男だとバレないかが心配である。本名の上に女装まで広まったりしたら、恥ずかしくて明日から学校に行けない。年齢制限のある動画サイトだから、クラスメイトたちは見えないはずだけど。

「ちょっとしたアクシデントが発生しましたが、気を取り直して意気込みをどうぞ」

「あ、は、はい。えーと、ぼ、私は、まだまだ未熟なふつつか者ですが、精一杯やらかしますので、どうかお願いよろしくします!」

「あははー。そんなに緊張しなくていいのよー。落ち着いてねー」

 司会のお姉さんに気を遣われる程平静ではなかったらしい。

 説明が遅れたが、今回のイベントに挑むにあたって女装をしている。

 女子になりきることが現在の僕の最高のパフォーマンスを生み出すからだ。顔出しに際して、正体バレを防止するという効果もある。

 黒江ちゃんや仲田さんの協力もあってメイクから下着まで完璧キュートな女の子に仕上げてもらったわけだが、こんなにミュールが歩きづらいとは……。

『大丈夫かこの子』『いかにも新人処女臭いw』『かわいいぞーがんばれー』

 意外と好意的なコメントも流れていた。

「それでは早速ですが、お二人にはオーディションの準備に取りかかっていただきましょう。先攻後攻の順番はじゃんけんで決定されます。勝者先攻敗者後攻で。さぁ、見合って見合ってー。出さなきゃ負けよーじゃんけんぽーん!」

 結果はミル様先攻。

 一旦僕はそでにはけて、スタンバイする間に審査員たちが前評判で予想を立てる。

 美幸翼の演技を知る者は視聴者を含めてほとんどおらず、知名度も実力もあるミル様がエロい演技をどこまでやれるかというところに焦点が当たる中、直見さんだけが、

「美幸くんが勝つに決まってます。そういう風にシナリオ書きましたから」

 と流れぶった切る発言で場を凍り付かせた。

「さ、さて、果たして直見先生の言う通りになるのか、それともミルドレッドさんが実力を遺憾なく発揮するのか! 準備が整ったようです。それでは、先攻ミルドレッド・ブラック。演技開始です! タイムトゥプレイ!」

 マイクの前に立つミル様が目をつぶり、すぅと一呼吸。

 目を開いた瞬間。

「おはよう、お兄ちゃん」

 総毛立った。

 そこにはミル様の姿はない。香織がいた。

 見た目は変わらない。でも表情が全然違う。完全に香織。

 香織がどういうキャラかは事前に説明されていた。

 世話焼きでしっかり者ぶろうとしているのにドジな面もある。甘えたがりで臆病。でも精一杯背伸びして健気にそれを隠そうとする。

 お兄ちゃんのことが大好きな少女。

 一瞬で役に入った。心を奪った。

『おはよう、お兄ちゃん』

 たったワンフレーズで!

 ミル様の声質はキンキンとした高音。ともすれば蓮っ葉で高慢な印象を与えかねない。だが、その特徴的な声はそのままに、見事に香織を演じきっている。僕が構築してきた演技プランとは違う。

 だが。

『私様の方が絶対に正しいのだ』と強引に反論をねじ伏せる、強烈な存在感。イメージが上書きされていく。

 香織がミル様に同化していく。僕の香織が奪われる。そんなビジョン。

「……お兄ちゃんイジワルしないでぇ……香織、もう限界だよぉ……ほらぁ香織のオマンコ、こんなにグチュグチュになっちゃってるの」

『ミル様が言ったー!?』『あああああああ野郎どもミル様に続けーッ!』『うひゃあああミルミルミルミルー!』『この子は俺んだー!』

 さすがに若干の照れは見えたものの、そこも含めて視聴者は大興奮。最高潮。異様な盛り上がりを見せて一時的なお祭り状態。

 演技終了したときには場はすっかりミル様勝利確定ムードに染まっていた。

『いやぁえがったw』『少し照れてるのがまたw』『もう試合終了でいいんじゃねw』『まあ待てもう一人女の子が喘いでくれるというのだ』『ふむ、なるほど。続けたまえ』

「素晴らしい演技でしたねー。シナリオの直見先生どうでしたか?」

「イメージと違います。美幸くんの勝ちですね」

 直見さんだけはぶれない。

「えっと……ちょっと直見先生のイメージには合わなかったようですが、他の審査員のみなさんは軒並み高評価。本当に素晴らしい演技でした。私もちょっとエッチな気分に……なーんつって、あはは。さて、先攻が終わり、すっかりミル様ムードの中、後攻の美幸ちゃんは一体どんな演技をしてくれるのか。注目の後半戦間もなくスタートです!」

 場を離れるミル様とすれ違いざま、送られた挑戦的な視線。

「あなたにこれ程の芝居ができるかしら?」

 それをあえて受け流して無視する。

「え? ちょ、ちょっとぉ、シカトするんじゃないわよ」

 ミル様が強敵なのは最初からわかっていたことだ。正直勝つのは難しい。

 だが、それとは別に僕には成し遂げないといけないことがある。

 この企画に飽きているようで直見さんの瞳は冷めきっていた。

(その目を覚まさせてやる)

「おはよう、お兄ちゃん」

「……!」

 甘くて軽やか。素朴に可愛く。耳障りにならず、すっと染みいる僕の声。

『ほーなかなかやるな』『思ったよりいい声』

 ミル様とはコンセプトの違う、今僕にできる最高の香織。

 一流の声優の次にしては悪くない反応。だが。

『まあ、ミルミルの勝ちだな』

 あくまで新人の割りには、という領域を出ない。

 ペースを乱さぬよう演技を続けたが、ミル様優勢ムードは覆ることはなく、むしろ流れは決した感がある。このままなら大差で負けるだろう。

 香織役は奪われ、僕は仕事を一つ失う。

(そんなの嫌だ……でも)

 いつのまにか僕は贅沢を覚えていた。

 自分にもできるような仕事で、認めてもらうためにすがりついてもがんばろう。

 なんて、今は思ってもいない。ひたむきさは失っていないつもりだ。けれど。

 僕は自分の力で作品エロゲをよりよくしたいのだ。

『美幸くん、クリエイターというのはね、作品をより良くするためなら他の全てを犠牲にできるものなのよ』

 バイト声優のくせに一端のクリエイター気取りかと笑われるかも知れない。

 でも、

『たとえ雑魚でもプロ意識』

 バイトだろうが、学生だろうが、新人だろうが、男だろうが。

 仕事をする以上は逃げるな、全力で向き合え。

 シナリオは遂にエロパートに至った。

「……お兄ちゃん、イジワルしないでぇ」

「……え!?」

 僕の放ったセリフで、場は一気に色めき立つ。

 当然だ。僕は今までの守ってあげたくなるような、あどけない妹の部分を切り捨てて、もっと大人っぽく、色香のある声を作ったのだから。

『おい急にどうした!?』『おいお前らがはやすから美幸ちゃんおかしくなったぞ』『勝負投げたか』

 乱心だ、ギブアップしたのだ、と様々な憶測が画面上に飛び交う。中には真面目に最後までやれと責める声もあった。

 しかし、僕はいたって大真面目。そして、僕の真意を正確にくみ取ることのできる人間が会場内には一人だけいた。

「……っ!」

「ど、どうしました。直見先生、顔色が」

 ブルブルと身を震えさせる直見ライチ。

 怒りが彼女の白磁の肌を朱に染める。

 とうとう彼女はダンとテーブルを叩いて立ち上がった。

「一体どういうつもりかしら。それは当てつけのつもり!?」

 構わず演技を続けようとする僕を、燃え盛るような瞳で睨み付けてくる。

「君、それ私でしょう!? 私の演技! 私で喘いでいるのよね!?」 

 その通りだった。

 僕は香織ではなく直見ライチとして声を作っている。

 女性にしては低音。母音はくっきり発音し、凜とした雰囲気。音域や音の響きなど可能な限り真似してみたが、我ながら上手くいった。

「香織は甘かわな幼ヴォイスがマスト! そんな声じゃない! さっきまでのでよかったのに、ふざけているの?」

 司会や周りの宥める声も聞かず怒り狂う直見さんは鬼のごとく恐ろしいが、怒りの蓄積量なら僕だって負けてはいない。

「ふざけているのはそっちですよね」

「なんですって!?」

 爆発した。

「この台本ほんはなんですか。この投げやりなエッチシーンは! 長年の想いが通じて香織がお兄ちゃんと結ばれる、大切なシーンじゃないですか! なのに、なのに香織はアンアン言ってるだけで、全然気持ちが伝わってこない! 実の兄妹が超えてはいけない一線を超えてしまう背徳感も不安も、お兄ちゃんと一緒なら歩んでいけるという信頼も、お兄ちゃんに背負わせてしまった申し訳なさも、お兄ちゃんに受け入れられた喜びも、なにより、全部ひっくるめて、それでもお兄ちゃんが大好きっていう気持ちも、全然足りない! 書けてない!」

 喉が涸れそうなくらい、叫ぶ。

「こんなの、こんなんじゃ、誰のオチ●チンも勃ちません」

「知ったような口を……」

「知ってます。僕は、先生のファンだから」

 図星を突いている自覚がある。本来なら直見さん自身がこんなテキストは許せないはずなのだ。人の心を揺さぶらない、エロくない言葉を誰より嫌う人のはずなのだ。

「だから、僕は先生の願いを一つ形にしようと思ったんです」

 会場内は静まり、視線を僕ら二人に集まっている。衆人環視の中でその言葉を紡ぐ。

 言えば、彼女に嫌われることはわかっていた。

 でも、僕は。

 彼女に嫌われてでも、彼女の頭をかち割ってやる。


「直見先生は、実のお兄ちゃんとセ●クスしたいんでしょう?」


 パシン!

 渇いた音が響いた。

 直見さんの細い手によってぶたれた僕の頬がジンジンと痛む。

「……あ、ごめん、なさい、つい……」

 ハッと我に返り、謝罪する直見さん。

「でも、君がおかしなことを言うから悪いのよ」

「おかしなことなんてありません。認めて下さい。好きなんでしょう?」

「……好きとか、そんなわけない」

 パシン!

 今度のビンタは僕から直見さんへ。

「嘘つき! 本当のことを言ってよ!」

 パシン!!

 上背のある直見さんの反撃が僕の顔を震わせる。痛くとも、退くわけにはいかない。

 僕に居場所をくれたこの恩人の目を覚まさせるのは僕の役目だ。

「嘘なんかついてない! 大体、兄さんのことは関係な……」

 パシンッ!

「兄さんとか言うな! お兄ちゃんて言いなさい!」

「……はぁぁ!?」

「あなたは、お兄ちゃんが大好きなんだ! 愛してるんだ! だったら、素直にそう言いなさい! それを言えないから! そんな心の枷なんかつけてるから! あなたは今飛べないでいるんだ! 物書きをしてるときのあなたは、誰よりも自由なのに!」

 変人奇人書き物狂い。日がな一日シナリオのことばかり考えていて、他のことを疎かにしてしまう人。

 けど、物を書いているときの君は、キラキラと輝いて見える。

 僕はその姿に惹かれているのだ。どうしようもなく。

「ぐ、ぎぃぃ……ぐぬ、ふんぐぬにゅうにゅいいういうっ……!」

 一歩も退かない僕に手をこまねいて、直見さんは手を振り上げたまま奥歯を噛みしめ、やがて観念したように腕を下ろした。

「……そう、ね。わかった、わかったわよ、認めるわ。私、好きよ。私は……」


「私はお兄ちゃんが大好き……」


「やっぱり……」

 なぜ相武マイラが残した企画を彼が作るかのように作ろうとするのか。

 なぜ彼の理想の妹キャラだけ上手く書けず、スランプに陥ったのか。

 全ては兄への異常な愛のため。

 現実はゲームのようにはいかない。近親相姦願望はリアルでは重すぎる。

 実妹であり、理想の妹像ともかけ離れた彼女の胸中で、どれほどの葛藤が繰り広げられたのか、想像することしかできない。

 でも、きっかけをくれた人に対する思慕や憧れなら痛いほどわかる。

 僕もそうだから。

「書き直して下さい。あなたは僕を選んだ。半端な仕事は許さない」

 隠したい本音も、醜い欲望も。

「あなたを全部ぶちこんで、最高のエロスにして下さい! それがあなたの仕事です!」

 直見さんは頭をガツンと殴られたように顔を歪めてよろめいて、血の気の失せた顔で僕を見た。その表情は形容しがたく、笑っているようでも、怒っているようでも、茫然自失としているようでもあった。

 やがて。

「……わかったわよ」

「え、あのー先生……?」

 オロオロとする司会をよそに。

「書く。書くわよ! 私はライターなんだから! ここまで言われてこれが書かずにいられるか! 君なんか、君なんか、最高にエロエロなセリフでねじ伏せてやるわ!」

 そして、彼女は番組のことなどそっちのけで、猛然とシナリオを書き直し始めた。

 彼女がノリにのっているときはキーボード打ちでなく手書きスタイルになる。

 今日のためにせっかくセットした髪を振り乱し、鬼気迫る表情で大学ノートにかじりつく直見さん。

『こえええw』『すげえガチだな』『なんか泣いてね?』

 確かに怖いが同時にとても美しい。

 その手に握られる万年筆が誰から贈られた物なのか、想像して胸がチクりと痛んだ。

 直見ライチは超速筆。さらには場所も時間も選ばない。

 配信中の画面の中で、瞬く間に台本を書き上げていく。

「すごい……本当に書き直してる……」

 目の前で行われる奇跡のような光景に、司会も他の審査員たちも一様に息を呑む。

 そうして直見さんが終いには青息吐息になりながら書き上げた原稿は、もはやシラフでは口にできないドエロぶり。

 心の奥底でマグマのようにグツグツと煮えたつ感情をあられもなく描ききり、可憐な少女を醜くも淫らな魔物へと変貌させる。

 たとえ妹属性のない人であろうが、いや、二次元や女性に興味のない人でさえ心のチンコをフル勃起することは免れない。

 趣味嗜好は人それぞれ、この文章に正否意見は分かれるだろう。

 ただ全ての人がこれだけは認めざるをえない。

『このエッチシーンは抜群にエロかった』と。

 この素晴らしさを余すことなく伝えるために、セリフに留まらず、地の文まで完備した僕の渾身の朗読劇。

 フィニッシュ時には不思議な陶酔感と達成感すらあった。

 この時、僕は香織で、お兄ちゃんで、直見ライチと同一であった。

 それらは混ざり合い、反応し合い、自動的であって、その時確かに、僕自身がエロゲであったことを覚えている。

 そして……。

「結果が出ました! 大波乱のすうぃーとぱいん新作恋愛遺伝子メインヒロイン決定公開オーディション! 果たしてその勝者は……っ!」


「すうぃーとぱいん所属、美幸翼ちゃんです!」


 大歓声。祝福のコメントに沸き返る場内と画面。

 疲労困憊し、息も絶え絶えの直見ライチは言った。

「君なんか大嫌いよ」

「僕は好きだよ」

次の瞬間、彼女によって僕の唇は奪われた。

 どよめきの中に一際大きな黒江ちゃんの悲鳴が聞こえた気がした。

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