第33話 決意

 帰り道は小雨が降り注いでいた。

 雨雲が空を覆うと、世界は薄暗く色あせて見える。

 駅前の家電量販店で買い物中らしき早坂くんと出会った。

 彼は僕を見るなり顔をほころばせ、はにかみながら近づいてくる。

「やあ、美幸くん! こんなところで合うなんてすごい奇遇もあったもんだね! ん……? どうしたんだ? 道で転んだのか?」

「早坂くん……」

 見知った顔にほっとしたのか、気づけば彼の懐に飛び込んでいた。

「な、ななななぁ……っ!? ど、どうしたのぉ!? 君の方からそんな積極的にぃ!」

「ごめん。ねぇ、聞いてもいい?」

「な、なにを!? 好みのタイプなら答えるまでもなく……」

「早坂くんは僕のこと、好き? 僕が必要?」

「なななーっ!? たはーっ! もちろんだとも! 俺は、君が、大好きさぁー!」

「そっか、ありがとう。それじゃね……」

「俺は君のためなら全てをなげうっても茨の道を歩んでいけるとここに誓っ……あれっ!? 美幸くん、どこだい美幸くん!? カムバーック、マイハニー!?」

 早坂くんは僕、美幸翼を好きだと言ってくれる。

 優しい。

 直見ライチとは大違いだ。


 アパートに帰り着く。まだ日暮れ前、姉は帰ってきては居ない。

 ひどい脱力感に襲われていた。洗濯物を取り込む前に一寝入りしたい気分だ。

「お。翼、お帰りー。遊びに来たぜー」

 ドアの前にしゃがみ込んでいたのは黒江ちゃんだった。

「お、なんだよ、泣いてんのか? バーカ、泣き虫。バーカバーカ」

「黒江ちゃん……!」

 僕は今度こそ涙をこらえられなかった。

 我ながら恥ずかしいことだが、もう高校生だというのにみっともなくピーピー泣きじゃくり、盛大に嗚咽した。

 感情のダムが決壊して制御を試みるのもバカらしい。

 幼児退行した僕を見かねたか黒江ちゃんは僕を抱き寄せ優しく頭を撫でてくれる。

「……どした?」

「うん、なんかね……なんか」

「うん」

「……ごめん、もうちょっと……」

「ああ……いいよ」

 黒江ちゃんは僕が落ち着くのを待って中に入れてくれ、リラックスするからとお風呂を沸かしてくれた。

 顔に張り付いた涙が熱いお湯で洗い流されていく。

 風呂上がりに冷えた麦茶で喉を潤し、濡らしたすだれを立てかけた部屋で涼む。

「ほら、髪拭いてやるからこっち来な」

 強引な黒江ちゃんにタオルでゴシゴシ拭かれる。姉もそうだが、女の子は他人の髪をいじるのが好きなのだろうか。

「ねー黒江ちゃん」

「んー?」

「たとえばの話なんだけど」

「おー」

「誰かが料理のレシピを残したとして、黒江ちゃんはそれを完璧に再現したいと思う?」

「は? なんだよそれ」

 呆れた顔をしかけた黒江ちゃんがなにかに思い至ったところで、その邪推は打ち砕く。

「違うよ。お母さんのことじゃない。そうじゃなくて、黒江ちゃんはもう食べられないとして、誰の料理だったら作りたいと思う?」

「相変わらず質問の意図がわかんねーつか、完全イミフなんだけど。お前質問下手だな」

 黒江ちゃんは今度こそ呆れ顔。

「だいたい、お前、それ、もう自分で答え用意してんじゃねえの」

 近づきたい。同じになりたい。

 心から願う強烈な欲求。憧れ、目標、特別な人。

 僕は知っている。形は違えど彼女がそうだから。

 泰然として周りに流されず自分の好きを貫く人。

 突き抜けた才能を持ち、信念を持ち、それを活かす道を見つけている人。

 でも、彼女にとってのそれは、僕ではない。

 それが悔しい? 寂しい? 気持ちが一方通行なのがもどかしい?

 自分だけを見つめてくれないと嫌?


――「君には才能がある。私には君が必要なの」


――「私だってちゃんと怖いわ。君に夢を預けているから」


――「お願いします。美幸くんに仕事を続けさせて下さい」


(あれは嘘だったの……!?)

 子供じみた独占欲。わがままなジェラシー。

 己と同じだけの想いを相手も抱いていなければ裏切りだなんて筋の通らぬファン心理。

(とても、とても嬉しかったのに……ッ!)

 矛盾に気づいても心が従わない。こんな感情があるなんて知らなかった。

 自分がこんなに滅茶苦茶だなんて知らなかったんだ。

「なんでそんなにショック受けてんだよ……それじゃ、まるで……まるでさ」

 黒江ちゃんは僕の目元が隠れるようにタオルをかぶせて、僕の頭を膝の上に載せる。

 香水と彼女の体臭が混じった匂いに包まれて、やわらかな太股の感触が感情の制御の利かなくなった僕の後頭部を心地よく慰めてくれた。

「……あーあ、こんなに近くにいるのによ……やってらんねー……」


「なんだよ、これ……」

 翌日、残っていた香織ルートを含めて全てのシナリオが完成していた。

 とんだクソシナリオだった。

 僕は直見さんに直訴を試みたが彼女は耳を貸そうとしない。

(そっちがその気なら、こっちにも考えがある)

 すっかり彼女に一矢報いる臨戦態勢を整えながら、決戦の日を迎えた。

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