第30話 ボーイフレンド

 それ以来、直見さんと顔を合わせる機会は激減した。

 会社では執筆部屋にこもりがちになり、休み時間の練習にも顔を出さなくなった。たまに会ったとしても、

「あ、直見さん、ちょっといい?」

「ごめんなさい。今、執筆中だから……」

 まるで別人のようによそよそしかった。

 制作終盤。だが、残りわずかのはずの香織ルートは待てど暮らせど完成せず、スケジュールは遅れ始めていた。

 とりあえず、出来上がっているところまでの台本で練習をしつつ、資料の整理や関係者への書類のコピーや発送といった雑用をこなす日々を過ごす。

 そうしていても、あのときの直見さんの涙が頭にこびりついて離れない。

「服部さん、直見さんの様子どうですか?」

 休憩に入ってきた服部さんにインスタントコーヒーを淹れながら話しかける。

「んふ、美少年コーヒー……直見殿ならこないだまでプチスランプだったでござるね」

「抜け出せましたか?」

 服部さんはクールにブラックを飲みつつ、

「うんにゃ。今や大スランプ。あれはドツボにはまったでござるな」

「……そ、そうですか」

 薄々そんな予感はしていたので驚きはなかった。

 やはり、先日の一件がその引き金になったとしか思えない。

 しかし、だとすれば、なにが彼女を追い込んだのか。

 取材としてラブホで仮想兄妹プレイをしていただけなのに。

(……役に入り込み過ぎちゃってヤバかったけど……)

「進捗状況は大丈夫なんですか?」

「んー。なんとか延期は免れたいところでござるが……これ以上遅れると正直難しいかも知れないでござるなぁ。シナリオのしわ寄せは拙者のところにモロにくるので勘弁願いたいが。まぁ、こういうことは一度や二度でなし、仕方ないことと諦めているでござるよ」

「前にもあったんですか?」

「さよう。ライターなんてものは大なり小なり作業が遅れて不思議はないでござるが、執筆が詰まるタイミングまで似ているのはさすが兄妹でござるなぁ」

(……ん?)

 飲みかけのコップをテーブルの上に置く。

「兄妹って、誰と誰がですか?」

「おろ? あ、そうか。美幸殿は会ったことがないんでござるな。実は、すうぃーとぱいん立ち上げメンバーに相武マイラという男がいたのでござる。うちのシナリオを一手に引き受けていた男でござってな」

 服部さんはクイっとコーヒーを飲み干した。

「直見殿は彼の妹なのでござるよ」

(直見さんが前任のシナリオさんの妹……? それって、それって……)

 なにかのシナプスが、つながりそうでつながらない。

(つまり、どういうこと……?)


 直見さんは妹ルートのシナリオでスランプに陥っている。

 直見さん自身が兄のいる妹である。

 共通事項は妹。

 スランプの原因は、自分が妹だから、妹キャラのシナリオを書くことに抵抗があるということだろうか。

 それにしては、シナリオの大部分は書き終えている。

 残りは主にセ●クスシーン。自分が妹だから、妹のセ●クスが書けないというのか。

(いや、こう言ってはなんだけど、あの羞恥心を置き忘れてきたような直見さんに限ってそんなこと……)

 あるかも知れない。

 彼女は、正確には羞恥心がないのではなく、ズレているだけなのだ。かつ、恥ずかしさを覚えても、ブレーキを踏まずアクセルを踏み込む性格である。

 しかし、だからこそ、妹属性のキャラに自分を重ねても、暴走こそすれスランプになることはないのではないだろうか。

(うーん、わからぬでござる……あれ?)

 服部さん風考えごとをしながらの帰り道。ふと思考が途切れた瞬間に見知った人が家電量販店に入っていくのが見えた。

 話しかけづらい相手である。しかし、話したい相手でもあった。

(今の僕は変わったんだ)

 仕事をこなして自信もついた。これからは自発的に行動しようと決意を固めて、彼を追いかけた。

 小走りになって、彼を探す。店の一画、赤紫と黒ののれんで分けられてコーナーの向こうへ消えていく彼の背中を見つけた。

(この中だよね……?)

 のれんをめくり、中をのぞくと、

「いたっ、早坂くん!」

「……っ!? 美幸くんっ!? どうしてここに!」

 僕の顔を見て驚愕の表情を浮かべているのは、僕に告白してきたことのある、同級生の早坂くんだ。

「見かけたから追いかけてきたんだ。君と話がしたくて。なにか買いに来たの?」

「あ、いや、これはっ……」

 手に持っている商品を見ようとすると、彼はそれを背中に隠してしまう。

「買うつもりじゃなくて、これはその、傾いているのを直そうとしただけで、つまりはそういうことなんだぜ?」

 視線が泳ぎ、口調はどもり、動揺は顕著。

 彼の視線を目で追えば、棚に陳列されたカラフルな箱の数々と、それらの倍以上ある暗色の中に肌色のまぶしいパッケージ。もしかして、ここは……。

「十八禁ソフトのコーナー……」

 つぶやいた瞬間、早坂くんの顔が完熟トマトのように赤く染まっていった。

 休日に成人向け作品を見つめているところを同級生に目撃される。その心労たるやいかばかりか。

 なんて時に声をかけてしまったのだろう。ここは平静を装い、上手にフォローせねば。

「だ、大丈夫。男の子だもん。こういうの興味あるよね」

「うぐ……」

「心配しないで。言いふらしたりしないから。二人だけの秘密にしよう?」

「う、う、うわぁぁぁぁっ! ひ、人違いです!」

「今更人違いって!?」

 なにがいけなかったのか、早坂くんは恐慌をきたし、立ち去ろうとする。

 以前の僕ならそのまま彼を見送っていたことだろう。

 むしろ、あの屋上においては僕の方が逃げる側だった。

(でも、今は違う……!)

 どんなことにも向き合おう。守られた領域から一歩踏み出そう。

(僕はいつまでもドジでノロマな翼じゃない!)

「待って!」

 早坂くんの手を掴む。僕と違い硬くてゴツゴツした男らしい手だ。

「僕も、僕も好きなんだ。エロゲが。興味あるんだ、こういうの……」

「美幸くんが……?」

「そう、だから、だからさ……一緒にお話しない?」

 そこで気づいた。

 早坂くんの手に握られたソフトが見覚えのあるものだということに。

 すうぃーとぱいん前作『季節を歌うプリンセス』のファンディスクなのだった。


 父親が厳格で家にゲーム機の類いは一切無い。

 漫画やDVDもほとんど買い与えられず、なんとスマホもない。家の中の娯楽と言えば一時間限定のテレビ視聴のみ。それも父親の意に添わない番組は見られず、チャンネルを変えられてしまう。そんな家庭で育った早坂くんの暮らしを激変させたもの。

 それが中古のノートパソコンだった。

 小遣いやお年玉をコツコツ貯めて購入したパソコンで、始めにゲーム性の高いエロゲに触れたのが春の萌芽。抑圧された日々を送っていた彼は瞬く間にエロゲの虜となった。

「そうなんだ。大変なんだね」

「今ではむしろ感謝しているくらいさ。おかげでこの素晴らしいコンテンツに出会えた」

 いくつものブランドのゲームを隠し持ち、その内最近お気に入りの一つがすうぃーとぱいんというわけである。

「原画家さんがね、ねこカメラさんていうんだけど、すごく魅力的な女の子を描くんだ。ふんわりとやわらかい印象で、細部まですごく凝ってて、どの子もかわいい」

(小野寺さんのことだ……)

「シナリオは熱いとこは熱いんだけど、笑えるところは笑えて、メリハリの利いた感じ。女の子のセリフや仕草もかわいくて、面白いよ」

(直見さんのことだ……)

「あとメーカーさんのブログに、ござる口調でキャラ作ってる人がいてね。ネタがいちいちどうしようもなくて、笑えるよ」

(服部さんのことだ……!)

 その後。

 僕たちは店を出て、少し離れた小さな公園のベンチに座って話をした。早坂くんがエロゲにはまった身の上話から始まって今は今日買ったゲームのブランドの話。

 彼は僕がそこでバイトしていることを知らないとはいえ、知り合いが褒められているのを聞くというのは中々こそばゆいものがある。

 自分が、すうぃーとぱいんを身内だと認識していることを、改めて自覚する。

(あ、でも僕がバイトしていることは早坂くんにはナイショにしておかないと……)

 また前のようなことになって会社に迷惑をかけてはいけない。知らぬ存ぜぬに徹しようと密かに決める。

「最近のゲームだと珍しいんだけど、クリア後に出るおまけモードが結構充実しててさ」

「へ、へぇ、そうなんだー」

(知らない振り、知らない振り……)

「おまけモードではヒロイン役の声優さんがフリートークするんだよ。三分間縛りで、マジ原稿ないらしくてさ。テンパっちゃう人もいるんだ」

「へ、へぇーそうな……ってええっ!? それ知らないんだけど! 本当?」

「え、ほ、本当だけど?」

(まさかそんな無茶振りが隠されていたなんて……気づかなかったよ……)

 といっても、メインヒロインの席をプロ声優と取り合う現状、ましてやシナリオ担当がスランプに陥り、延期も危ぶまれているとあっては取らぬ狸の皮算用もいいところだが。

(そうだ。前作をやってるってことは、もしかして……)

 僕は頭に浮かんだ疑問を投げかける。

「ねぇ、早坂くんはもっと前の作品もやってるの?」

「もっと前のって、すっぱいの?」

「そうそう、すっぱ……え?」

「すうぃーとぱいんのこと。やってるよ。さすがに中古だけどマリ恋もブレブレも」

 略称を使われると途端にわからなくなる。

(すっぱいなんて、もう甘くないじゃん!)

 といっても、質問してる手前怒るわけにも行かず。

「確かブレブレまではシナリオが別の人なんだよね。相武マイラって人」

「そう! そうだよ! そこのところもっと詳しく聞きたいな。今の人と比べてどう?」

「わっ! そ、そんな急に近づくなよ、教える。教えるからさ」

 早坂くんは頬を赤らめながらコホンと咳払い。

「今の人と比べて、つっても、俺は実は相武さんのゲームを先にやったんだよ。マリ恋『マリア様に恋してる』ね。ネット調べたら評判良かったからさ。で、やったらすごく面白くてハマっちゃってさ」

(相武さんもすごく上手な人だったんだ)

「で、同じブランドの作品だから次のも買ったんだけど、シナリオの人が変わってたんだ。相武さんのテキスト好きだったからちょっとガッカリしてプレイ始めたんだけど……」

「ガッカリしたの……?」

「いや……面白かったよ。というか……」

 早坂くんは戸惑いの表情を浮かべた。

「全然違いがあるようには思えなかった。まるで同じ人が書いたみたいに」

「え……?」

 最初言葉の意味がわからない。

「文章の癖、よく使う言い回し、語彙。まるでそっくりなんだよ。名前を別名義に変えただけなのかと思うくらいに」

 同じ人が書いたみたいに?

(それは相武マイラの正体が直見ライチ。つまりゴーストライターってこと?)

 という自分の考えを即座に打ち消す。年齢的にも時期的にもそれはないだろう。しかし、ではどういうことなのか。

 悩んでいると。

「と、ところでさ」

 早坂くんの声で思考の渦から意識を引き戻される。

 早坂くんは視線を泳がせたまま合わせた両手の指先をグルグル回している。

「さっき俺と友だちになりたいって言ってただろ。あれってさ……」

 彼を誘うとき確かにそう言った。本心である。

 僕は同性の友人を求めているから。

「あれってさ。『友だちから始めましょう』……ってことでいいのかな?」

 どうしたことか女子に人気のイケメン早坂くんがその整った相貌を赤く染めている。

「うん」

 と答えた途端、早坂君はパァァと顔を輝かせて、

「よしっ! よしっ!」

 とガッツポーズ。その喜び振りにこちらの気持ちも明るくなる。

「早坂くん」

「なんだい!?」

 名前を呼んだだけで勢いよく振り返る。

 男らしくない僕と友だちになることをこれ程喜んでくれるなんて、勇気を出して声をかけて正解だった。この友情を大切にしよう。

「僕たち、ずっと友だちでいようね」

「ああ! ……あ、え、んんっ!? 友だち……?」

「うん、僕と早坂くんは友だちだよ!」

「友だちってことは……そのぉ、たとえばキスとかは……」

「え、キスって……あー! 思い出した! あんなのもう二度とダメだからね! 女の子同士だったらふざけてすることもあるけど、男の子同士はしないものなんだ。知らなかったでしょ?」

「え、あ、はい……」

「友だちだから過去のことは水に流すけど、もうキスはなしだよ。わかった?」

「あ、ああ」

「よろしい!」

 なぜか急に元気のなくなった早坂くんの様子が気になりはしたが、僕は意気揚々と友だちのできた仕上げを執り行う。

 即ち。

「僕たちは友だちです。指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った! へへへ、これからよろしくねっ」

 友だち指切り。

 指を離したままの格好で呆然と小指を見つめ続ける早坂はつぶやいた。

「俺、一生この指洗わないよ」

「なんで!? 洗ってよ! 汚くなるよ!」

 そんなこんなで、男友だちができました。

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