第27話 決定。直接対決

「いやぁ、おバカな約束をしたもんでござるなぁ」

 ミル様が帰ってから、休憩に戻った服部さんたちに事のあらましを説明すると、彼女はカラカラと笑った。

「あーうー……すみません」

「あっはっは、美幸殿はしゅんとすると仔犬ぽくてカワユスでござるなぁ」

「う、うにゅうう」

「ちょっ! なにしてんの!」

 肩に腕を回して頬ずりしてくる服部さんを、黒江ちゃんが引きはがす。

「しかし、勝負をすると決めたのは軽率でござった」

 服部さんは八の字に眉根を寄せた。

 声の配役について、すぃーとぱいんではプロダクション会社に委託する形式が取られている。同市他社ではユーザー参加型のオーデション形式をとっていたこともあったが、これは例外と言っていい。

 どの声優を起用するか決めるのはあくまで制作側だ。個人がどれだけ希望しようと熱意だけでオファーが決まるわけではない。

 また、ミル様は表の声優で年齢を含めたプロフィールを公表している。

(十歳くらいだと思ったら十三歳だったんだよね)

 やるなら素性を隠して裏名義を名乗ることになるだろうが、大きなタイトルにも出演経験のある彼女の特徴的な声はいつファンにバレるとも限らない。売り出し中の女性声優に変なイメージがつくことを怖れる事務所側がNGを出すことは十分に考えられる。

 予算の問題もある。会社のバイトとジャパン俳優連合所属のプロ声優を同額で働かせるわけにもいかない。彼女の声は安売りする必要はないのだから。声優を収録に呼ぶ場合、その交通費や宿泊費も会社持ちである。

「そういった諸々の事情をクリアしてバトルが成立したところで結果は正直目に見えているでござるよ?」

「や、やっぱりそう思いますか……?」

 服部さんは一冊の雑誌を取り出した。

『声優じゃん』

 声優とその出演作品にフューチャーした専門誌。ただし、エロゲ声優は載っていない。

 その見開かれたページにさっきまでここにいた少女の写真が掲載されていた。超猫かぶったおすまし顔を披露しているが、間違いない。ミル様だ。今注目の新人声優とある。

「あいつ本当に有名人だったんだな」

 感心したようにつぶやく黒江ちゃんに同意する。

 初対面の印象が少々残念な子であった。ミル様は日本人離れした美少女ではあったが、美少女でも何でも自称するとワンランク下がる。

 セーラー服美少女戦士セーラープルーン。

 自称セーラー服美少女戦士セーラープルーン(自称)

 ほら。

「まぁ、バトルしたいというなら社長に伝えとくでござるよ。ちょうど仕事で確認したいこともあるでござるし」

 社長とは直接顔を合わせたことはない。普段あちこちを飛び回っていて、ここに戻ってくるのは主に夜遅く、仮眠をとって朝早くに出かけるという忙しい人なのだ。

 社内のことは古参社員である服部さんと小野寺さんがとりまとめている。二人は三年前の会社設立時のメンバーで、以前から社長と交流があった。直見さんは社内外注スタッフという扱いだが、個室を与えられるなど待遇がいい。ちなみに僕はアルバイト雇用契約を結んでいる。

「お願いします。僕は彼女と戦わなくちゃいけないと思うんです。たとえ負けることになっても」

 エッチなものというだけで一般作より一段低いものとして扱われるエロゲ。自称を名乗ってもいないのに。

 そうなってしまうのはわかる。僕もそう思っていた。だが、今は違う。

 彼女にもそれに気づいて欲しい。そして改めて感じて欲しいのだ。

 芝居って素晴らしいって。

「美幸殿、美幸殿」

「え? なんですか?」

 電話を終えた服部さんが手招きする。そして、彼女自身戸惑っているように告げた。

「バトルOKだって、言ってるでござる。どうせなら派手にやろうって」

 派手にやる。その意味を理解していなかった僕は、そのときはただ素直に戦う機会を得られたことを喜んだのだった。


「別に、なんでも構わないけれど、私は美幸くん以外ありえないわよ」

 直見さんの執筆部屋。

 事の次第を包み隠さず報告しにいった僕に直見さんはあっけらかんと答えたのだった。

「でも、バトルの結果によっては僕が負けることもあるし、そしたらミルドレッドさんが声をやることになるよ」

「君は負けない」

 直見さんは言う。

「このシナリオは、君が声をあてる前提で書いている。いわば君専用の特注品オーダーメイドだ。君以上に似合う子がいるはずがない。他のヒロインならいざ知らず、彼女がこの役をやることは皆無といっていいわね」

「……っ」

 すごい自信だ。物作りに賭ける執念。火のついた自尊心が立上っているかのように。

「で、でも、相手は今大人気の声優ですよ。僕は最近始めたばかりだし、いくら本が良くても僕がそれに見合う演技をできなきゃ……」

 直見さんは眉をつり上げ険しい表情になった。

「それは侮辱ね」

「侮辱だなんて、そんな、違うよ」

「君にそのつもりはなくても、そうよ」

 黒真珠の瞳が危うい色を帯びる。吸い込まれてしまいそうな、夜闇の眼。

「私が、君を選んで書いたの。絶対最高の仕上がりになる。絶対にね……」

 自分自身に言い聞かせるかのようにつぶやく。直見さんのセリフは言霊となって心に侵入してくる。

 重い。生身にかかる重力が倍増したかのように、彼女の物語に呪縛されたかのように。

(そうだ……これは収録のときの)

 重圧感。

『私の作品に泥を塗るな』

 言外にそう言われているかのような。

 他の現場でもあった、けれど他の音響監督とは比べようもない、殺気すら孕んだ情念。

 でも、今ならわかる。それは、期待の裏返しなのだ。

「……直見さん、ごめん。弱気でいて」

「……」

「勝つよ。直見さんのヒロインは、僕が一番上手くやれる」

 直見さんは微笑んだ。

「ええ、そうよ、その通り」

 鬼のように厳しくて、とらえどころなく気まぐれで。

 女神のように慈愛に満ちた少女。

 直見ライチ。

(本当に、変な人)

 僕の恩人は。

「……ところで、お願いがあるのだけれど」

 しばらくして、直見さんは唐突に口を開いた。

「なに? 僕にできることならなんでもするよ」

 作品をより良くするためなら、なんでもできる。

(それに……)

 女装。コスプレ。卑猥な発声練習。友だちの前での芝居。

 彼女と知り合ってから恥ずかしいことばかりで、今更臆したりしない。

「そう、よかった。お願いというのは他でもないわ」

「なにかな?」

「セ●クスしてちょうだい」

「うん、わかったセック……シュ!?」

「セックシュではないわ。セ●クスよ」

「い、今のは噛んだだけ。セ●クスって、あの男と女がくんずほぐれつの、あれ? 気持ちいいやつ?」

「ええ、そうよ」

「口じゃなくて?」

「ええ、オーラルじゃなくて、マ●コにチ●コをつっこむやつ」

「マっ……ダメだよ。僕はまだ未成年だし、そういうことは。それに、セ●クスって誰とするのさ。一人でするのはオ●ニーでしょ?」

 自慰の意味を理解していながら平然と口にできるようになってる辺りもう随分毒されている気がしないでもない。

「誰って……決まっているじゃない」

 直見さんは照れた様子もなく、さも当然そうに言った。

「私とセ●クスしましょう」

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