第22話 休日ショッピング
幾日か経ち、僕は二度目となる収録に挑むためスタジオを訪れていた。巨大な生き物の胎内に飲まれるようなこの感覚はまだ慣れない。
今回の収録メーカーは前回と同じブランド。音響監督も同じ池山田D。
ディレクターさんたちがやってくると僕を見てまず驚いたようだった。
当然だろう。この前会ったときは男の子の格好をしていた僕が、今日は春色のブラウスを着て、ヒラヒラのスカートをはいているのだから。
「え、あれっ? 女の子? 男の子だったよね? あれ、違った?」
「いや、私も男の子だったと……でも、どう見ても女の子ですよね」
「つーか、なに、かわいすぎでしょ……ありえないレベルで」
戸惑いの声が聞こえてくる中、傍らに立つ直見さんの顔を見上げる。
「大丈夫よ。君はきっとできるわ。彼らの凝り固まったアナルに一発ガツンとぶちこんであげましょう」
「その表現は不適切だけど、うん、言いたいことはわかったよ」
彼女に頷き返し、池山田Dたちの方に向き直る。
さあ、お仕事の時間だ。
「あ、あっいい……そこ、そこいいの、ううん……もっと下、力いっぱい押し込んで……強いのがいいの、つーくんのならお姉ちゃん痛いの我慢できるから……ね、来て……そうそこよ、そこがお姉ちゃんの弱いところなのぉー! んっんっんん~っ! にょぉぁぁ」
「お姉ちゃん変な声出さないでよう」
僕の姉、美幸美鳥は燦々と降り注ぐ太陽の光の下、砂浜にしいたレジャーシートの上に寝そべって、日焼け避けのオイルを塗られている。
……という感じだったらいいのにね、なんて言いながら僕のマッサージを受けていた。
実際のところ、ここは抜けるような青空の下、陽光を照り返すコバルトの海と白い砂浜なんかではなく、60ワットのLED蛍光灯が照らすアパートの一室であるし、姉も水着姿ではなく、下着だけの格好だ。ブラのホックを外して胸の下に垂らした形になっているところは、それっぽくはあった。
同じ妄想なら南国のエステの方が気分が出るのではないかと思ったが、
「えーでもそれだとイチャイチャ感がないしー」
という姉の意見で却下された。姉弟でイチャイチャ感もなにもないだろうに。
揉み慣れた姉の肌は、もちもちとして、僕は改めて女性の肌一つとっても人それぞれなのだと思う。
直見さんの肌は硬質的なイメージがあるけれど、ふれてみると意外とやわらかい。弾力のある陶磁器のような肌。
黒江ちゃんはもっとハリがあって、チョコレートでできたゴムみたいな感じ。
姉のは、ふかふかして、中にお肉の代わりにクリームがみっちり詰まっているのではないだろうか。
姉弟のスキンシップと名付けられたマッサージタイムを終え、僕はいよいよその白封筒をカバンの中から取りだした。その中には、給与明細を記した紙が入っている。預金通帳も添えている。とうとうエロゲ声優としての初任給が振り込まれたのだ。
口座は以前から作ってあったが、晴れて給料が入金されたのは初めてのことだった。
これでお姉ちゃんの役に立てる。
誇らしい気持ちでいっぱいだったが、姉は頑としてそれを受け取ろうとはしなかった。
「なんで? 僕はきちんとお金を稼げるようになったんだよ」
ずっと姉の力になりたかった。女手一つで僕を育ててくれている姉の負担が少しでも減るようにと、そのためにがんばったのに。
「その気持ちだけでお姉ちゃんとっても嬉しいわぁ。つーくんがんばったわねぇ」
姉は頭を撫でて褒めると、表情を整え、
「でも、お金を稼ぐだけじゃダメだとお姉ちゃん思うの。稼いだお金をきちんと自分のために使えるようになって初めて一人前なのよ」
「お金を自分のために使う……?」
自律。他人に縛られず自分自身で立てたルールに従って行動できること。
子供はいつか巣立ちのときがくる。そのときに飛び行く先を決め、自身の世話ができるようになって欲しいと姉は言う。
家族は支え合うものだけど、決してその翼にはなれないのだから。
「大切なお金なんでしょう。立派に使ってみなさいねぇ、つーくん」
そんなことがあって、次の休日に買い物に出かけることにした。
二作目のスタジオ収録は一度目と比べたら遥かにスムーズに進み、結果ディレクターさんたちからも好評だった。改善点はいくらでもあるけれど、まずは働いていく上で自信のついた一日だった。
それはとても喜ばしいことなのだが、同時に一つの事実を決定づけた。
収録には女装が必要だということ。
もちろん、どんな格好であっても最高の演技をするのがプロというものだ。いいことかはわからないけど、パジャマ同然の姿でやってきて貴族役を完璧に演じる人もいるというのは白百合先生から聞いた話。
だが、今の僕には女装は不可欠な上、とても有効なことがわかった。キャラのイメージにあった服に着替えると演技の完成度が断然高まるのである。
あの出来事のときにエタエルのウィンビィのコスプレをしたことで実力以上のパフォーマンスを発揮できたことをヒントに、試しに女装してみたら演技のノリがよくなった。
そして、着る服によってもそのキャラに対する感情移入というか演技の没入感が違うのだ。スタジオ収録を経て、本番でも通用することが実証された。
不本意ながら、服部コスプレ案は正解だったことになる。
が、しかし、僕は男の子だ。当然女物の服は持っていない。この間はたまたま小野寺さんからイメージに近い物を借りられたけれど、これから本格的にやっていくなら自前の女性用の
姉からお金の話をされて、思いついたのがこの女装の先行投資だった。
というわけで、今日は色々なジャンルの服飾店が集まるビルに来ている。建物に入った瞬間、化粧品のいい匂いが漂ってくるようなところだ。さすがに男子一人で女物を買うのは気が引ける。というか絶対できない。どういう基準で選べばいいかもよくわからない。なので事情を知る女性についてきてもらったわけなのだけど……。
「美幸くん、このチェックのスカートがいいわ。これにしましょう。これとブラウスを合わせてこの赤い帽子をかぶるの。絶対かわいいし、似合うわ」
「どこの週末アイドルだよ、バカか。それよりトップスはこっちの黒キャミに大きめのTシャツをレイヤードしてアウターはアニマル柄のパーカー。パンツはスウェットが着やすいだろ」
「完全にヤンキーじゃないの。ツタヤやドンキに行くんじゃないのよ。今日の主旨わかっているのかしら。美幸くんの声優としての仕事着になるのよ。移動時にも着ることを考えて汎用性が高くかつかわいいものがベストでしょう」
「そんな格好のやつ、秋葉原か中野にしかいねーよ! 服の合わせやすさならこっちの方が上だろ。カジュアルで普段着ににもいけるよ」
「だから、それはかわいくないっていっているでしょう!」
「それはてめーの価値観の押しつけだろうが! 似合えばいいんだよ、似合えば!」
「ま、まあまあ二人とも落ち着いて、抑えて……」
「美幸くん、今は発言を控えてもらえるかしら。今この人の意見をねじふせなくてはならないの」
「翼、お前は黙ってろ。今はこいつと話をつけなきゃなんねーんだよ」
「……」
どうしてこうなったんだろう。
仕事で使う服だから、直見さんたちに相談したら今度の休日に一緒に買いに行こうという話になって、そしたらそのことを知った黒江ちゃんが付いてくると言い出して、現状。
それぞれの選らんだ服を持って言い争っている。二人はどうしてこんなに仲が悪いのだろう。まるで犬猿の仲だ。一応和解はしたが、この間のイザコザが尾を引いているのか。
二人には仲良くして欲しいって思うのだけど……。
しばらく喧々囂々主張をぶつけ合った二人は、やがてこのままでは埒があかないことに気づいたのか、妥協案に落ち着いた。
つまり、一度僕に試着させてみることにしたのだ。十分想定できた事態とはいえ、その後僕は二人の着せ替え人形と化した。
結果。
いくつもの変遷をたどり、僕の服は決定した。カラフルでかわいいポイントを押さえながら、好戦的でかっこいい服。
「あら、いいわね。私、柄物のジャケットを着たヤンママを見る度ああなんて頭の悪そうな服だろうと思っていたのだけれど、こうしてみるとコーデのアクセントになってとてもかわいらしいわ」
「だろー? あたしの言った通りだろ? でも、黒のオーバーニーなんてオタク女が同属に対してコビ売ってるだけだろって不快感しかなかったが、これはこれでありだな」
「ふふ、そうでしょう。絶対似合うと思ったの。あなたのアイデアを聞いているうちに」
さっきまでの険悪なムードが嘘のようにお互いを褒め合う。
子はかすがい。ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
難しそうに見えて、意外に簡単なものも世の中にはあるのかも知れない。
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