第18話 土下座
一旦落ち着いて話そうということになった。
追い返すこともできたけど、ここまで情報を得られては、ポスターの内容など検索して遅かれ早かれ特定される。ならば話がこれ以上こじれる前にきちんと説明しようということになったのだ。
黒江ちゃんたちは最近の僕の様子を不審に思い、人には言えないようないかがわしいバイトにでも足を突っ込んでしまったではないかと心配して尾行してきたのだという。
その想像はほとんど当たっていた。エロゲ制作はものがものだけに世間的にいかがわしいと思われて仕方ない。
違いがあるのは僕がこの仕事をイヤイヤやっているわけではなく、自ら進んでやろうとしていることだ。
そのことだけは、黒江ちゃんにわかってほしいのだけど。
黒江ちゃんは烈火のごとく怒り、小野寺さんたちが取りなそうとしても聞く耳を持たない。大人に対しても頑として怯まず渡り合う。さすが黒江ちゃんだった。
といっても、怒りの熱が高いのは黒江ちゃんだけで、他の二人はそうでもない。
仲田さんは小野寺さんと話してデレデレしてる。
小野寺さんは自分の絵を見せては称賛されてまんざらでもなさそうだけど。
仲田さんの表情が上手に絵を描いた子供に対するそれだと気づいたらどうするだろうか。よくできましたー、わーいほめられちゃったーとはいくまい。
国吉さんは服部さんと盛り上がっている。意外なことに国吉さんもエタエル好きだったらしくて「ウィンビィが」「カスミが」という言葉が二人の口から勢いよく量産されている。どうやらさっきの嬌声のメインは国吉さんだったらしい。
安兵衛さんは「いやぁ、うっかりだったなぁ」と言いながらさっさといなくなってしまった。今度からうっかり安兵衛さんと心の中で呼ぼうと誓う。
そんな中、直見さんは真っ向から黒江ちゃんに対していた。
「美幸くんは既に我が社において非常に重要な人材となっているの。辞めてもらうわけにはいかないわ」
直見さんならそう言ってくれるのはわかっていた。とはいえ、やはり嬉しい。
「なにが重要な人材だよ、始めたばっかのバイトだろ。別に翼じゃなくてもいくらでも務まんだろーが」
「そんなことはないわ。彼の代わりなんていない。私には彼が必要なの」
「んなっ!? なにが私にはだ、てめえ、適当なこと言ってんじゃねえぞ!」
「適当ではないわ。私の本心よ。彼は私のもの。絶対に手放したりしない」
そう言うと、直見さんは強く意思表示するようにグイッと僕を抱き寄せた。
「ふぁぁ!? ちょっと直見さん!?」
いつかも味わった直見さんのやわらかな弾力。そしてミントの香りが僕を包む。
「あーっ!? なにしてんだよっ! 翼お前もヘラヘラすんな!」
「え、違うよ、僕はヘラヘラしてなんか……」
「あーもう! こっちこい!」
今度は黒江ちゃんに抱き寄せられた。僕はまだウィンビィの衣装のままだ。広く露出した背中に、黒江ちゃんの胸が押しつけられて、制服越しにブラジャーの模様がつくんじゃないかと思った。
「力尽くで美幸くんを捕まえることに意味などないわ」
「そんなこと言っててめえも翼の腕つかんでるじゃんか!」
直見さんと黒江ちゃん。タイプの違うかわいい女の子二人に取り合われて困る。男の子なら夢のようなシチュエーションなのかも知れないけど、困る。なにってちょっと気持ちいいのが困る。
「彼を放しなさい」むにゅ。
「てめえこそ放せ」ぐにゅ。
「あなたが先よ」ぷにゅ。
「てめえが先だ」ぐにょりん。
「あなたよ」ぷにょあん。
「てめえだっ!」ぐにゅぐにゅん。
幸せと困惑のサンドイッチ。
「ちょ、ちょっとやめて……二人とも気持ちい……いや苦しい……」
「ストップ、ストーップ! でござる」
救いの声は服部さんから発せられた。
「ああん? なんだよ、ござる女」
「いやいや、お二人の美幸殿に対する気持ちの程はよーくわかったでござる。しかし、そろそろ放してやらないと二人の愛情で美幸殿が溶けてしまうでござるよ」
僕は二人に揺さぶられる形で目を回しかけていた。
「……愛情とかじゃねえよ。キモいこと言うな」
「私も、創作欲に起因する行動であって、そういったものではないと思うわ」
「なるほどなるほど。委細承知。しかし、二人とも大事なことを忘れておられる。即ち、美幸殿自身の気持ちでござる」
服部さんはよどみなく言うと、僕に問いかけた。
「美幸殿、同級生の女子にこの仕事をしていることを知られてしまったわけでござるが、しかも彼女らからは仕事を辞めるよう要求されているわけでござるが、それでもこの仕事を続けようと思うでござるか?」
僕の気持ちは決まっている。聞いてもらえてよかった。
「はい、僕はこの仕事を続けたいです」
直見さんはあからさまに安堵し、黒江ちゃんは明らかに舌打ちした。
「こんなこと言いたくはないけどさぁ、このこと学校に知られたらまずいんじゃない?」
間延びした感じで言ったのは国吉さんだった。
「学生が成年向けのゲーム作ってるわけでしょぉ? 美幸くんだけじゃなく、直見さんも、会社もすっごい怒られちゃうんじゃない?」
その通り。痛いところを突かれた。
うちの学校は申請さえすれば学生のアルバイトに寛容であるが、さすがにバイト先がエロゲ制作会社と知れば禁止するに違いない。退学まではいかないまでも処罰はありえる。
会社としても、この場合どこから追及されるのかわからないけど、このことが世間に露見すれば自粛ムードからの、最悪制作中の作品の無期限中止もありえるかも知れない。
不適切な表現の使われている、具体的には作中の登場人物がが未成年であると捉えられるとして、既に発売しているソフトを自主回収した事例もある。
児童ポルノ規制の気運が高まる昨今、エロゲメーカーの立ち居振る舞いにも慎重さが求められているのだ。
「……確かに、その通りだ。君たちがこの事実を公表するというのならば、私たちにそれを止めることも咎めることもできない。残念だが、美幸くんも、直見くんも制作現場から離れてもらうしかないだろう」
「解雇ってことですか……?」
小野寺さんの言葉に、声がもれた。予想できたこととはいえ、直見さんまで解雇されてしまうなんて。僕は事の重大さを理解していなかった。
小野寺さんは無念そうな、申し訳なさそうな様子で僕たちを見た。
「まぁ、うちらとしても美幸くんのこと密告し《チクッ》たりしたくないしー? 美幸くんさえ取り返せればいいわけだしー。それだったら別に、ねぇ?」
仲田さんは暗にこう言っている。
黙っててやるから美幸翼を辞めさせろ。じゃないとあちこち言いふらすぞ。
黒江ちゃんたちはやると言ったらやる。そのとき、言いふらされて困るのは一方的にこちら側だけなのだ。会社、直見さん、僕、全ての命運を握られている。交渉の余地はなく、従う他ないように思われた。
こうなったのは僕のせいだ。僕がうまく説得できれば、あるいはそもそも尾行されていることに気づいていれば、直見さんや会社に迷惑をかけずこれまで通りやっていけるのに、それができないから。黒江ちゃんが一度こうと決めたことを僕がどうこうできた試しがないのだ。幸い、今回は僕さえ辞めれば他のことには目をつぶると言ってくれている。他に選択肢はない。
僕さえ辞めれば……。
「美幸くん、まさか自分のせいだなんて思ってないわよね」
「え……?」
そっと僕の手が握られる。直見さんが見ていた。
赤みの強い虹彩。学校ではいつも眠たげなまぶたが、しっかりと開いている。
僕のせいではないと言ってくれるのか、と思ったら、
「そうよ、君のせいよ!」
「ええええええっ!?」
そう言われても仕方ないと気持ちの整理はつけていた。
けどまさか、これほど直接的に罵られるとは思ってなかった。
僕の精神的ライフポイントは激減し、あとほんのちょっとの悪口でKOされるかと思ったが、トドメの一撃はやってくることはなかった。
タンと、僕の肩が叩かれた。
「……でもね、これは一番は私のせいでもあるし、君の責任はむしろ少ないというか引き込んだ私が引き受けるし、GOを出した会社のせいでもあるわ。大体、こいつがヘマやったから全部こいつが悪いです、なんてことにはならないの。誰かがミスしたら、それをフォローするのがチームってものだし、なんなら事前にそういったミスが起きないように仕組みを整えるのが組織ってものだわ。それが企業で、仕事で、責任ってものよ! だから、君は、落ち込む必要全然なし!」
直見さんは滝のようにしゃべり、なおもしゃべる。
「といっても、人は人である以上、完全に白というわけにもいかないわ。特にこの業界グダグダな人多くて、ブラック率高いし、もっとひどいこともあってこの程度なんてことないって思うというか、ぶっちゃけ今回の件は、バレなきゃいいってだけの話なのよね!」
「おいおいおい、反省してねえぞこいつ」
「途中までいい話風だったのに……おい、後半はやめないか。他の企業さんをディスるんじゃない」
外野の正しい野次を振り切って、直見さんは言った。
「だから、私が辞めます! 美幸くんは続けさせて下さい!」
「えええええええええっ!?」
これには総ツッコミだった。僕だけじゃない。
「だからって、前後がつながらないぞ」
「そうだ。大体、翼を辞めさせろって言ってんのに、それじゃあ解決しねえだろ!」
黒江ちゃんの言い分はもっともだ。条件が満たせていない。
「わかっているわ。でも、これだけは譲れない!」
「お、おい、ちょっと、待てよ、マジかよ……」
直見さんは広いスペースへと進み出た。まさか。
彼女がなにしようとしているのか察したのは僕だけじゃなかったらしく、黒江ちゃんが顔をしかめた。
とっさに止めさせようとした小野寺さんを制して、
「この事態を招いたのはもとはと言えば私です。私が強引にねじこんだ。任せて下さい」
「……見ていられないことになれば止めに入る」
「恩にきます」
「……」
直見さんは向き直り、
「美幸くんは形ができ始めたところなの。大切な時期なのよ。今を逃したらもう大成できないかも知れない。鉄は熱いうちに打てというでしょ。後からではダメ。絶対に歩みを止めてはいけないの。だから、どうか、私の処罰で怒りを収めて。私のことなら煮るなり焼くなり、どうしてくれてもいいから、なんでもするから、お願いします……」
直見さんは床に直で正座をし、深々と頭を垂れた。
土下座だ。
「お願いします。美幸くんに仕事を続けさせて下さい」
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