第14話 仲間入り

 それで結局どうなったかというと。

 新人の初収録にしたって、散々な結果だった。

 まず、収録に想定されていた倍の時間がかかった。

 それはつまり、時間とお金を余計に使わせたということだ。ディレクターさんたちスタッフの拘束時間、収録スタジオのレンタル代。

 それだけでも申し訳ないのに、あの後も何度もダメ出しを受けて、収録した声はかろうじて使えるレベルだったというのが救いようがない。

 収録でヘトヘトになってしまったので、帰りに会社によって休んでいこうということになった。毎日のように通っていると、自宅じゃないのに「帰ってきた」って気分になる。

 休憩室でもあるダイニングのソファに身を預け、心も足も失敗を引きずっている。きっと本職の声優さんはもっとうまくやるんだろうなと思っては気が重くなった。

「ありゃりゃ、お疲れでござるなぁ。初収録はどうだったでござる?」

「正直、全然ダメでしたー……あ、ありがとうございます」

 服部さんに礼を言ってお茶を受け取る。細かい巧拙はわからない。反省点は山盛り。改善策は要相談。正直いいところなしの僕だった。直見さんに同意を求めると、

「……私はまずまずだったと思うわよ。始めでつまずいたけれど持ち直したじゃない」

 直見さんは僕が落ち込まないようにそう言ってくれた。

 けど、いくら僕でも今日の出来映えがまずまずという評価に達してないことはわかる。

「改めて声優さんてすごいなって思いました。見学にいったときの声優さんはすごく上手でリテイクもほとんどなくて、声優の仕事っていうのはこういうことなんだなって思いました。なのに……」

 こんなことを言うつもりではないのに、僕の口からはどんどん弱音がもれていく。

「いざ僕がやってみると全然同じようにはできなくて、やっぱり僕ってダメだなーって。僕は全然特別じゃない。選ばれた一握りの人たちじゃないんだって、才能の差を思い知りました。だから……」

 だから?

 だから、どうするというのだ。

 だから、辞める? 始めたばかりなのに?

 最初の仕事で辛い思いをして、うまくいかなかったからって?

「だから……その、向いてないなって思って……」

 答えになってない。まだ言葉は続いている。

「だから、辞めます?」

 そう言葉を結んだのは僕ではなかった。スーツ姿の小野寺さんだ。

 感情の見えない厳しい表情。見た目は直見さんより幼いのに、大人の威厳を感じる。

「もっと才能のある人は他にいて、自分は声優に向いてないから、だから辞めたいと思っているのか?」

「え、えっと」

 そうなのだろうか。僕は辞めてしまいたいと思っているのだろうか。

 もっとうまくできる人は他にいるから。

 どうせ僕が辞めても代わりはいるから。

 苦しんでゲロまで吐いて、そんな辛い思いまでしてやることはないって。

 僕が答えられないでいると小野寺さんは小さくため息をついて、

「別にいいと思う。いや、もしそんな風に考えているなら、むしろ辞めるべきだ」

「ちょっと、小野寺さん!?」

「なにを驚くことがある。私たちが作っているのはエロゲなんだ。仕事に貴賤などなく、私は自分の仕事に誇りを持ってはいるが、世間的に見ればいかがわしいと思われる業界なのは間違いない。自分たちの作品を公共の場で見せられるか?」

「イエス、アイキャン」

「直見さん、君はおかしい」

 断言した直見さんはバッサリ否定されてしまった。

 僕も小野寺さんに賛成だ。

「羞恥心の問題ではない。君たちのような年端もいかない青少年がエロゲ制作に関わること自体が倫理的によいことではないという、当然のことを私は言っているんだ」

「そういうデラちゃんだって、見た目はロリっぽいくせにぃ」

「服部。今は真剣な話をしている」

 服部さんが場を和ませようと茶化すけれど、小野寺さんには通用しなかった。

「若いんだ。なにも無理してこの業界に関わらなくてもいい。他にも探せばいくらだって仕事はある。なんだったらまだ学生なんだ、学業に励むのが本分だろう。もし声優という仕事に興味があるならば養成所に通ってゆっくり学んでもいい。性急な考えで自分の可能性を狭めるような選択をするべきじゃない」

 小野寺さんは厳しい。そして多分正しい。

 漫画家やミュージシャンやアイドルのような、それで食べていけるかわからない人気商売を目指すようなものだ。

 いや、僕はもっとひどい。

 作っているゲームがエッチなものな上に、僕は別に将来声優になりたいわけでもないのだから。でも、それでも……。

 クイッと袖が引っ張られた。見れば直見さんがすがるような表情で袖をつかんでいた。

 僕に辞めて欲しくないのか。いつもマイペースで堂々としている直見さんにこんな表情をさせる程のものが僕にあるというのか。 

 わからない。けど、心配しなくていいよ。

 漫画家やミュージシャンやアイドルを目指すみんなが、それぞれに今をがんばる理由を持つように、僕にもきっとそれはある。きちんとした言葉になるかわからないけど。

 心を落ち着かせ、深く息を吸いこんだ。

「ドジの多い人生を送ってきました。人にガッカリされるのが嫌で、そればかり気にしていました。最初は小さいミスでも一個でもやっちゃうともうダメで、それをきっかけに続けていくつもひどい失敗をしてしまう。そんなことばかりでした」

 思い出したくない事実。向き合いたくない現実。

 でも目を背けるわけにはいかない僕の過日。

「僕は失敗することが怖い。僕のせいで何かがダメになることが怖い。僕じゃない誰かが僕よりもうまくやって、それで成功するのならその人に任せたくなる。自分のやることが信じられない」

 でも、胸をはれ。そんな僕がいいと言ってくれる人がいる。

「僕は逃げたくない。僕はやっぱりなにをやってもダメなんだって思って、そこで終わりにしたくない。人からの期待に背を向けるような人間になりたくないんです」

 誰にガッカリされるのも辛いけれど、自分自身にまで失望されたくないから。

「エッチなのはいけないと思います。恥ずかしいです。でも、一度始めた以上は投げ出したりしません。実績はゼロでも、素人同然でも、下手でも、ドジでも、仕事をする以上僕はもうプロだから、だから、えっと、だから……」

 僕は立ち上がり、勢いよく頭を下げた。

「だから、もっとがんばります! これからもお願いよろしくしゃす!」

 ……。

 ……。

「かみましたけども! かみましたけどがんばります!」

 ……。

 ぷ。

「あははははははははははは!」

 笑いが起きた。

「かんじゃったよ! すごくかっこよかったのに!」

 服部さんが率先して笑い始め、それに釣られるように笑い声が重なる。

 そーっと少しだけ顔を上げると直見さんも小野寺さんも笑っていた。

 耳たぶがカーッと熱くなってくる。けど、嫌な気はしない。

「わかった、わかったよ。美幸くん。頭を上げてくれ」

 小野寺さんにはもう突き放すような厳しさはなかった。

「わかってくれましたか」

「ああ、わかった。君がどういう人間なのか、君の覚悟も、かわいらしさも」

「い、いや僕は全然かわいくはないのです」

「わかった、わかった。わかった以上は私たちもできる限り協力しよう。若者を諫めるのが大人の役割ならば、若者を育むのもまた大人の役割だからな」

 正直、小野寺さんは同い年くらいにしか見えない。けれど、とても頼もしく見えた。

「もちろん、拙者も美幸殿のかわいらしさを理解しているでござるよ」

「いや、君のは誤解だ。離れなさい」

「ござるー!?」

「だ、抱きつくのはナシですよ」

「と、言いつつ本心では抱かれたい、と」

「思ってません!」

 小野寺さんはコホンとわざとらしい咳払いをして、なんだろうと思ったら、

「……まぁ、なんだ。せっかく作ったこれも無駄にならないで済んでよかったよ。まぁ、片手間に作ったようなものだから別に捨てても構わなかったんだけどね」

 小野寺さんが取りだしたのは、木札だった。

 会社の玄関先に吊されている、出勤退勤を示すもの。他のスタッフと同じ、かわいらしいフォントで『美幸翼』と書かれている。小野寺さんのお手製だったんだ。

「……き、気に入らなかったか?」

「そ、そんなことないです。感激しました。最高です! 小野寺さんが作ったって知ってびっくりしちゃって。だって、プロの職人さんが作ったのかと思ってました!」

「そ、そうか。いや、そんな大した物じゃないよ。手順さえ知っていれば誰にでも作れるようなものさ」

「デラちゃん、めっちゃ丁寧に仕上げたから大切に使うでござるよ」

「服部ぃ! 君ねぇ!」

 それどころではなかった。

 僕の出勤札。

 仲間として認められた気がして、ここにいていいんだと言われた気がして。

 たまらなく、嬉しい。出勤札を胸に抱くと、心落ち着かせる木の匂い。

 直見さんと目が合って、彼女は目を優しい形に反らしてほほえむ。

「これからもよろしくね」

「こちらこそ、よろしく」

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