第13話 たとえ雑魚でもプロ意識

 言われた通りにトイレで待つ間、自責の念に駆られた。

 こんなはた迷惑なダメ人間は消え去ってしまえばいいのにと思った。

 誰かと顔を合わせたくなくて、個室にこもった。

 やがてコンコン、ドアがノックされる。

「美幸くん、私よ」

 着替えや臭い消しなどを持ってきてくれた直見さんは、エンジニアさんたちのことは気にするなと言い、外の日当たりのいいベンチへと誘った。

(怒っているよね。愛想もつきたよね。こんな僕なんか)

 無言のままでいる僕に、直見さんも無言のまま付き添う。

 沈黙が針のむしろ。宣告を待つ死刑囚のような気持ちで座っている。

 いや、むしろ死刑執行された方がまだ楽か。

 またあのブースに戻ることが心底恐怖に思える。

 誰も僕があそこにいることを望んでいない。女の子でもない。声優でもない。ならばあそこにいる理由がない。僕がいる必要がない。また、期待には応えられない。

 ないないない、なんにもない。

 怖い……。

「……怖いよね」

「……え?」

「とても怖い。認められないことが、必要とされないことが。自信満々でしゃしゃり出て、誰もお前なんか待っていないよ消えろと言われるのが」

 直見さんは言う。

「怖い、よね……」

 僕の心を見透かすように。

 それは……こんなこと言ってはいけないのだけど。

 ひどく、僕の心をいらつかせる。

「そうだよ、その通り……とても、怖い。でも……」

「でも?」

「でも、怖いのは僕だけで、君はそうじゃないでしょう」

 そんなことを言うつもりはないのに。

「君は怖くなんかない。僕がちゃんと仕事をするか、迷惑をかけないか心配なだけだ」

 誰かを傷つけたい。飽きられるより先に突き放したい。なりふり構わず逃げて、いなくなってしまいたい。そうすれば自分の苦しさを紛らわせることができると。

 そんなはずはないのに。

「そんなことないよ」

 でも、彼女は。

「私だってちゃんと怖いわ。君に夢を預けているから」

 そんな僕を抱き寄せた。

「ほら……」

 トクントクントクン……。

(あ……)

 聞こえる。

 彼女の心音。不安の鼓動。

 その音はよるべなく、子供のように怯え、されど僕に寄り添うように、溶け合うように脈打つ。僕は彼女の胸の中に安らぎを見つけた。

「……あーあ、弱音聞きたいなぁ」

「……え?」

「どこかに手頃な弱音、ないかなぁ。執筆の参考にしたいなぁ」

「あ、あの」

「うん? なあに美幸くん。弱音ある?」

「あるけど……なにそれ、わざとらしすぎるよ」

「いいじゃない別に。わざとらしくて」

 顔を上げると、直見さんは微笑んでいた。

「今なら誰も聞いていないから、ね。聞かせて」

 直見さんのその言葉が涙が出そうなくらいありがたかった。


 ぽつりぽつりと気持ちを吐露する。

 一度流れ出した愚痴は堰を切ったように勢いを増していった。

「もっとゆっくりって言ったり、もっと早くって言ったり、大人しくって言ったかと思ったらもうちょっと感情込めてって言うし……白百合先生と考えた演技プランは否定されちゃって……もう僕には正解がわからないよ」

 ディレクターさんがどんなキャラクターにしたいのかわからない。

 言うとおりにしたくても指示は曖昧でイメージがつかめないし、繰り返せば繰り返す程ひどい泥沼にはまっていく気がする。

 直見さんは僕のグチを静かに聞いていて、僕が言いたいだけ言い終えると口を開いた。

「美幸くんは難しく考えすぎなんじゃないかしら。正解なんてものは存在しないわ。そんなこと考えてもムダよ」

「えっ? でも、ディレクターさんの考えている正解の声を出さないといけないんじゃないの? それが声優さんの仕事なんじゃないの?」

 僕はそう言ったけれども、

「違うわ」

 直見さんは首を振った。

「声優の仕事は、声で納得させることよ。ディレクターを、脚本を、そしてゲームを通してお客さん《ユーザー》をね」

「声で納得させる?」

「ディレクターは壁じゃない。いいえ、壁だとしても、踏み台にして乗り越えるべき壁。もっと高い次元にいくために、もっといい声を出すために。それが君の仕事」

(そうか、そうなんだ。ディレクターさんの指示に困っている場合じゃない。あの人だってなにも僕に嫌がらせをしているわけじゃないんだ)

 僕がすべきことは池山田Dの言葉すら足場にしてお客さんに声を届けること。このキャラの声を、もっとよい声を。この女の子を好きになってもらうために。

 休憩時間が終わり、僕たちはスタジオに戻った。

「やれるかい?」

 値踏みするかのような池山田Dに僕は答える。

「はい、やります!」

 僕の演じる女の子はどんな子なのか。

 脚本さんはどんなイメージでこのセリフを書いたのか。ディレクターさんはこの子をどんな風に魅せたいのか。どんな声ならお客さんを喜ばせられるのか。

 考えてきた演技プランは全部忘れて再構築。引きずらない。振り返らない。

 考えるだけ考えて、考え続けて収録に挑む。

 普段は大人しいけれど二面性のある女の子、笹中瞳。僕がしゃべらなきゃ、この声は届かない。直見さんは立場上現場では口を出せず見守ることしかできない。

 窓の向こうで胸をぽんと叩く。

『たとえ雑魚でもプロ意識!』

 僕は逃げない。

「あっあっあっ……らめぇぇぇ、いく、いく、いっちゃううぅうっ! 先輩のオチ●ポしゅごしゅぎるのぉぉ! イくイくイくイくぅ! ザー●ンミルクで私のオマ●コパラダイスいっちゃうぅう!」

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