第11話 本番決定

 それからは、毎日の日課に休み時間の練習が追加された。

 あの恥ずかしい発声練習や台本読みに直見さんは毎回付き合ってくれた。

「私が君を引き込んだのだし、遠慮はいらないわ」

 そう言いつつ、たまに「あっちの方から、おいしそうなネタの匂いがする」といなくなることも度々だったけども。

 なんでも、直見さんも少しだけ声優の経験があるらしい。僕と同じような想いをしたのかな。さすがにエロゲの声優ではないみたいだけど。

 人前でする演技は照れるけど、いい勉強になる。本番では当然人前に出るのだから今から慣れておかないといけない。シナリオ担当の直見さんは収録時に居合わせることも多いということなので、その意味でもいい練習になった。

 おかげで最初の頃より緊張してかまなくなったし、スムーズに読めるようになったと思う。着実に上達してる。費やした時間は裏切らない。そう思って自信がついた。

「今日は機嫌がいいみたいね。お菓子を食べるSDキャラみたいな顔してるもの」

 エロゲでそういう表現があるらしい。そう言う直見さんに、

「実は、黒江ちゃんたちと仲直りしたんだ。しばらく微妙な感じだったんだけど」

「黒江……というとあのギャルっぽい」

「見た目は派手だけどいい子なんだよ。最近はバイトがあるからごはんや遊びには付き合えないけど、また今度カラオケしようねって話をしたんだ」

「そう……それで」

 直見さんは神妙な表情で鼻をスンと鳴らした。鼻の調子でも悪いのかな。

「それより、はい。これ」

「……なに、この袋は?」

「クッキー焼いてきたんだ。直見さん、お菓子好きでしょ?」

「……人並みには。でも、私はお昼は食べないわよ」

 直見さんはお昼ごはんを食べない。休み時間を一緒に過ごすようになってから、軽いおやつ以外は口にしてるのを見たことがなかった。尋ねても、

「食べると気持ち悪くなってしまうんだ。だから食べない」

 と答えるだけだった。

「食べないのは知ってるよ。体に悪いとは思うけど、女の子には色々あるもんね。無理に食べてとは言わないよ」

「ええ」

「だから、クッキーにしたんだ。凝ったものはムリだけどクッキーくらいなら僕でも焼けるから」

「ということは、これは手作りなのね?」

「うん、そうだよ……やっぱり食べたくないかな?」

 急に不安になる。いつもお世話になっている直見さんに感謝の気持ちを表したくて、はりきって作ったんだけど……

「迷惑だったかな、ごめんね。僕ったらすぐこんな空回りしちゃって、黒江ちゃんにもよく落ち着けって叱られるんだけど……残りは責任もって自分で食べるから」

 直見さんはゆっくりと首を振った。

「いえ、食べるわ。一つちょうだい」

「いいの? 本当に気を使わないでいいんだよ」

「いえ、食べたいの。君のクッキー。君の手で」

「え? 僕の手?」

「あーん」

「え、え?」

「あーん」

「えっと……じゃあ、うんと……あーん」

「あーんっ……んっ」

 直見さんの口へとクッキーを運ぶ。

 サクサクサク。

 小動物にエサをあげるみたいでちょっと楽しい。

「ど、どう?」

 緊張して答えを待っている間、直見さんは延々と咀嚼しつづけ。

「美幸くん」

「うん」

「なんていうか、言葉にしがたいのだけれど、あえて大仰な表現を使うとするならば」

「う、うん……?」


「クソまずいわ!」


 直見さんの目がカッと見開かれた。

「うぇぇ! そ、そんなはずは……パク……うぇぇ……本当だ、まずい。ちゃんと焼けてないー。おかしいよ。味見したのはもっとちゃんとしてたのに! ずるいよ!」

「ずるいとは誰が? クッキーが? オーブンが壊れているのかも知れないわね。それか、生地にムラがあったか」

「ふえ~ん、直見さんごめんよぉ。失敗しちゃった」

 またこんなミスをするなんて。僕ってやつは、なにをやってもうまくいかない。

 反省する僕の前で直見さんはやおら残りのクッキーをつまむと二口三口。耳障りな噛み音が聞こえてくる。

「うん。やっぱりまずいわね。岩石のように堅いかと思えば粉っぽくもあって蒸せそうになるのをこらえたところですかさず絶妙なザリザリ歯ごたえ……これは、なんていうか、砂利喰ってるみてえだ!」

「ふえええ、ごめんよー! もう食べなくていいよー!?」

 しかし、直見さんは屋上や外階段のときのようにものすごい興奮状態で、クッキーを僕からひったくると、

「いいえ、ありがとう! 逆にありがとう! この食べられないほどではない微妙な味と最悪の食感が私の血肉となるのを感じるわ! これが物書きとしての栄養になるのよ! まずいまずいまずい! 脳みそよ、刻め! これがドジっ子の味! メシマズプライスレス! センキュー! セーンキュー!」

「わぁぁぁ、また変なスイッチ入っちゃったよぉぉ、ごめんよ、やめてよ、僕が悪かったよ、食べるのやめてー!」

「いいえ!」

 ガシ!

 直見さんは僕の頭をつかんで近づかせまいとして、その隙にクッキーの残りを口の中に放り込む。そして、女の子らしからぬ豪快さで咀嚼し、嚥下し、

「悪いのは君のお菓子作りの腕であって、君はちっとも悪くない!」

「それってなんのフォローになってない気がするよ!」

「そうかしら。私は本気で嬉しいのよ。このクッキーを食べることができて」

 直見さんはグイっとハンカチで口元をぬぐう。

「だって、これは私のために作られたものなのでしょう?」

 ハンカチが離れた後にはほほえみが浮かんでいた。

 僕はまずいものを食べさせてしまった申し訳なさと、文句を言いながら食べる彼女の得体の知れなさと、あとちょっとのうれしさで感情のパニックになってしまった。

「全部きれいに食べちゃった……」

 この数日で少しはわかったつもりでいたけれど、やっぱり彼女は全然わからない。

「大変そうだな」

 ある日会社にレッスンを受けに行くと、たまたま休憩中の小野寺さんとすれ違った。

「つらかったら、いつやめてもいいぞ。君はまだ学生なんだから」

「いいえ、やれるところまでがんばってみます!」

「……そうか」

 小野寺さんに労いの言葉をかけてもらったのだと、そのときは思った。


「うれしい……そのクッキーはあなたのことを考えながら作ったから。食べてもらえて、本当にうれしい」

「はい、ストップストーップ」

 会社でのレッスン中、台本読みをしていた僕は先生の一言で一旦朗読をやめた。

 どこか間違えただろうか。難しい単語はなかったけど、と思う僕の横で直見さんが、

「どうですか、先生」

 と、訪ねる様子は三者面談の保護者おねえちゃんみたいだった。

 白百合先生は腕組みをといて、

「うん、まぁ、ギリギリ合格ってとこかしらね。一ヶ月前までズブの素人だったにしては、かろうじて聴けるレベルにはなったんじゃないかしら」

 辛口コメントであるが、

「やったぁ~……」

 へなへなと緊張が解けるのを感じた。

 厳しい白百合先生にしては上出来の評価なのだ。

「演技力も発声もまだまだだけど、今の段階でこれなら及第点と言えなくもないわね。すぐ周りが見えなくなるところがあるけど、その分集中力はあるみたいだし、まあ、この私が教えてあげているんだからこれくらい上達して当たり前なんだけど……」

 白百合先生は僕と直見さんを順に見て、

「あなたたち、時間外も練習してたでしょう?」

 ギクリ。

「き、気づいてたんですか?」

「プロだからね。ま、その姿勢は立派ね。嫌いじゃないわ。ただこれから先この仕事を続けるつもりなら練習するペースとその環境には注意しなさい。いざ本番と言うときに声がガラガラです……なんて話にならないわ。適度な水分補給……お茶だとのどの油分がなくなるからミネラルウォーターがいいわね、それと声のコンディションを考えたマネジメントを気にする癖をつけなさい。そして、まとめとしてこの言葉を贈るわ。

『たとえ雑魚でもプロ意識!』

 あんたはどれだけ下手くそで、他人に迷惑をかけまくって、どうしようもない見習いだったとしても、仕事をする以上プロなんだってことを常に胸に刻んどきなさい! はい、これでセレブ白百合のありがたい話、終わり!」

「あ、はい! ありがとうございました!」

 長かったレッスンの日々が終わった。一ヶ月間の短期集中特訓。用事がなければ土日もできる限り会社に足を運んだ。これからも先生の指導は続くが、今日で一旦一区切り。

「やったわね、美幸くん。たった一ヶ月で白百合先生に及第点をいただけるなんて、すごいわ。声優って外からだとそのハードさがわからないから音を上げてしまう人もいるのに……君は私が見込んだ通りの人よ」

「そんな。直見さんが協力してくれたおかげだよ。僕一人じゃついて行けなくなっていたかも知れないし。本当にありがとう」

「ふふっ……いや、そんな、感謝されるようなことは。誘ったのは私だし、クッキーもらったし」

 直見さんは表情を変えずに左右に揺れた。これは照れているらしい。

 この一ヶ月、直見さんは僕をサポートし続けてくれた。自分の仕事もあるのに感謝してもし足りない。おかげでどんなアルバイトをしてもすぐ解雇になってしまう僕がここまでやってこれたんだ。

「特訓を終えたお祝い……というわけでもないんだけど、美幸くんに贈り物があるの」

「えっ。嬉しいな。なんだろう」

「きっと君も喜ぶと思うわ……はい、これ」

 と、直見さんが差し出したのはA4用紙の束。

 ではなく、台本。それも課題練習用ではない。

 タイトルは『マヨナカ学園偏愛クラブ』

 すうぃーとぱいんではない、他メーカーのゲームだ。

「収録は一週間後」

「え?」

 頭の回転が追いついていない僕に、直見さんは爆弾発言。

「美幸くんには、次のステップとしてうちと提携している他メーカーさんの作品に出演してもらうわ。これはその収録台本」

「それって、つまり……?」

「美幸くんの初収録にして記念すべきエロゲ声優デビューよ! がんばりましょうね!」

「ふぇええええええ!? できないよ。できるわけないよ! 早すぎるよ!」

「諦めたらそこで試合終了よ」

「そんなどこかで聞いたようなセリフを言ったってごまかされないよ!?」

 僕はすっかり動転してしまって。

 だから、そのとき白百合先生と直見さんとのやりとりにも気がつかなかった。

「ライチちゃん、そのディレクターって『新人潰しの池山田』じゃ……」

「……しー。それは美幸くんには秘密です」

「でも彼の『終わりない迷宮』で収録中に泣かされた新人は多いわよ。この子じゃ耐えきれないんじゃないの……?」

「それでダメになるなら、その程度ということです。この程度の試練を乗り越えられなくてはこの先やっていけない」

「でも、あなたのお気に入りなんでしょう?」

「ええ、ですから……彼なら必ずやってくれるものと信じています」

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