第8話 人間は理性だけじゃ生き残れない
翌日の放課後。
昨日も訪れた一軒家へとやってきていた。
普通の家に見えるが、ここは実はエロゲの制作会社すうぃーとぱいんなのである。
僕でもできる仕事をしようと覚悟したつもりだったけど、一度逃げ出しただけに気まずい気持ちはぬぐえない。
「昨日逃げ出したくせに今更なんのつもりよ。よく平気な顔して戻って来れたわよね。信じらんない」
なんて言われるんじゃないかと思って、ベルを鳴らせないまままごまごすることかれこれ十数分。
押そうか押すまいか考え中の僕はさぞ不審に見えたことだろう。こんなんじゃ通報されちゃっても仕方な……。
「ねぇ君」
「はい! お巡りさんごめんなさい!」
とっさに謝ったけれど、相手は婦警さんじゃなくて眼鏡をかけたポニーテールの女性。昨日会った服部さんだった。
「ん、ふふ、あはは。お巡りさんではないわよ。確か美幸くんだよね。私、私、服部でござる。ニンニン」
動揺する僕に服部さんはおどけて忍術のポーズをしてみせる。
「今日はどうしたの? うちに用事? また直見に呼ばれた?」
「あ、あの、いえ、呼ばれたわけではないんですけど、その……」
「ふーん? まぁ、時間があるなら寄っていきなよ。お茶の一つも出すからさ」
お言葉に甘えて上がらせてもらう。
「あの、ところで、変なこと聞くかもなんですが」
「うん? なに?」
「昨日は語尾にござるってつけてましたけど、標準語もしゃべれるんですね。一瞬わからなかったです」
「ああ。それは外じゃ使わないよ、TPOは心得ているでござる」
玄関の敷居をまたいだ瞬間、服部さんは口調を変え、笑いながら靴を脱いだ。
服部さんの靴はフットワークの軽そうなスニーカー。他にも靴がたくさん靴箱にしまわれている。この中に直見さんのもあるだろうか。
勇気を出して二年のクラスまで行ってみたが、直見さんは今日学校をお休みしていたらしい。ここに来れば会えるかなと思ってきたんだけど。
「TPOってなんですか?」
「タイム、プレイス、オケージョンの頭文字をとった言葉で、TPOをわきまえるというのは、まあ、時と場所そして場面をちゃんとわかってますよという意味でござるな」
そうなんだ。こういう言葉ってなんとなく聞いたことがあるって感じでよく考えると意味を知らないことがある。
「他に聞きたいことはないでござるか?」
服部さんは差し出すお茶にさりげない言葉を添えてくれた。
「あの、直見さんは今日は来ているんですか?」
「名前札が表向いていたから来ているはずでござるよ」
「名前札?」
メンバーの名前を書いた木の札を玄関横につるして、その表裏で出社しているかどうかわかるようにしている。社長さんが有名な映画を見て始めたら意外と好評だったそうな。
けど、直見さん会社には来てるんだ。
「直見殿にご用事ということであれば呼んでくるでござるよ」
「あ、あの、その、いえ」
「ん?」
ここまで来ておいて往生際が悪いとは自分でも思うけど、まだ心の準備ができていない。直見さんと顔を合わせることに怖じ気づいてしまう。
「いかがしたでござる? む、そういえば直見殿も昨日荒れていたでござるな……ふーむ?」
「ぎくり……」
荒れてた、てことはやっぱり怒っているんだ。
「……ふむ。まぁ、なにがあったか詳しくは聞かぬでござるが、時間をかけると会いづらくなることもあるでござるよ。ここは腹をくくってみてはいかがかな」
「……お願いします」
「うむ」
(ありがとう、服部さん。僕、勇気を出します)
……出すつもりだったんだけど。
すぐ戻ってきた服部さんに手招きされて、二階にある直見さんの部屋をのぞいた結果。
大量に丸められた紙くず。
棚から出されて乱雑に積まれた本。
直見さんは神経質に室内をグルグル歩き回り、パッとノーPCに向かってダダダっと打鍵したかと思ったら、うまくいかないようで頭をかきむしり、バンとPCを閉じ、また歩き回り、急にA4の用紙にメモを取り始めた思ったら、それを丸めて放り……。
「あの、これは……」
「大スランプでござるな」
服部さんは苦笑い。
「昨日よりも酷くなっているでござる」
もしかして学校にもこないで一日中こんな感じ……?
「直見殿ー直見殿ー。今、大丈夫でござるかー? 美幸殿がきてるでござるよー……?」
「くぁwせdrftgyふじこ」
「……手遅れでござるな。壊れてやがる」
服部さん曰く、スランプ状態の物書きは手負いの獣より危険とのこと。
もう少し落ち着くまで待とうということで一旦居間に戻ってきた。
「……結構、あんな感じになるんですか?」
「まぁ、まれによくある光景でござる。今の時期は珍しいでござるが」
それはやっぱり僕が原因てことだろうか。
(あんな直見さんの前にノコノコ出て行ったら、八つ裂きにされちゃう……!)
振り絞ったはずの勇気がミョミョミョとみるみる小さくなっていく。
しばらく重苦しい沈黙の時間が過ぎ、今日は出直そうと腰を上げかけたとき、服部さんがポツリとつぶやいた。
「くノ一でござるな」
「……え? なにがですか?」
「なにがって、美幸殿に似合うコスプレに決まっているではござらんか! ボーイッシュな外見を生かしつつ、肩から先、太股を大胆に露出させた、活動的でありながらセクシーなくノ一コスこそが美幸殿の魅力を生かすピッタリの衣装だと、拙者の第六感が告げているのでござる。どうでござるか、くノ一、くノ一」
「あ、あの、着ませんから。僕は、だって男の子ですし」
「男子か女子かなんて些細なこと。拙者はそのような次元はとうに超えているでござる……とはいえ、くノ一ヒロイン案は直見殿の反応が芳しくないのでござった。せっかく美幸殿を声優として起用するならば、それにかこつけてコスをさせようという拙者の思惑が頓挫気味でござる」
なんて恐ろしい計画を。僕、女装コスプレさせられちゃうの……?
いや、でもそこは置いといて。
「服部さんは賛成なんですか? 僕を声優にするって」
「……ん? どういうことでござる?」
「だって、おかしいじゃないですか。僕、男の子ですよ? 女の子の声なんで出せるわけないです。演技の経験だってないし……」
そうだ。その通りだ。
言葉にしてみて自分の不安感の正体がはっきりした。
女の子じゃないし、エロゲも知らないし、声優のこともわからない。
それに、今までだって簡単な仕事もこなせなかった。
自分の中に「ない」を見つける度、心が重くなっていく。
胸の奥に深い沼があって、心はそこへどんどん沈んでいくイメージ。沈みきってしまった自分なんてそれこそ価値が「ない」んじゃないかと思う。このまま人知れず沼底の役立たずのまま生き続けるんじゃないかと。
「そういうことでござるか」
服部さんは腕組みし、なにか思いついた様子でテーブルの上に細長い機械を置いた。
なんだろう。小型のラジオかな。お父さんのがこんなだった気がする。
「あの、やっぱり僕帰り」
デジタル画面が波打つ。僕が席を立つよりも、服部さんが立ち上がる方が先だった。どこへ行くのかと思ったら、僕の座っているソファーのすぐ隣に腰かけて、
「さて、今からセクハラをするわけでござるが、我慢するでござるよ」
「ふぇっ!?」
今セクハラって言った?
その確認を行うまでもなく、それは実行に移された。
抱き寄せられ、耳元にフッと息を吹きかけられた。スッキリとしたミントの香り。背筋がゾクゾクする。あごに添えられた指先はひんやりとして、僕は思わず声をもらした。
「ひゃっ」
「もっと、声を出していいでござるよ」
見た目は知的なお姉さん。
服部さんは耳元でささやき、ブレザーの中へ右手を忍ばせてくる。それだけじゃない。もっと色んなところにふれてくる。
なんで? なんで……?
「あ……やめて、やめてください。ダメです。そんなところ……あふぁぅ……くすぐったい、くすぐったいです……」
「どこが? どこがくすぐったいでござるか?」
「へ、へそのところとかっ……あ、脇腹とかっあっ……くすぐったいです」
「美幸殿は素直さんでござるねぇ。ではでは、ここはどうでござるか?」
服部さんの指はどんどんエスカレートしてきて、普段意識してないような体の部位にふれてくる。
ああ、ここをさわられるとこんな気持ちになるんだあ、と自分の体の不思議を突きつけられて、まるで自分の体じゃないような気がしてくる。
服部さんにふれられるのは嫌じゃないけど、むしろちょっと気持ちいいけど……でもやっぱり恥ずかしい。
「あっあっ、ダメェ……そこ、すごくゾクゾクしてぇっ……こそばゆいよぉ……んっダメ、ダメですぅ……お姉ちゃんにもこんなことされたことないのにぃっ……」
「……な、なんて声を。これが世に言う若い燕というやつか、拙者つい本気になっちゃうかも……」
「ふぇ? え? なに? なんれすか? もうダメ、ダメれすよぉ、これ以上はおかしくなっちゃうからぁ。こういうことは大切な人としないとだからぁ……だから、ね。許して。許してくださぁい」
気づけば、すっかり服部さんに押し倒される形になっていた。服部さんの顔を見上げて許してもらえるように懇願する。服部さんは僕のことを凝視して、大きな生唾をゴクリと飲み込むと、眼鏡を外してテーブルの上に置いた。
「わかったわ。ごめんね。私、悪ふざけが過ぎたみたい」
服部さんはござる口調をやめてくれた。よかった。わかってくれた。服部さんはTPOを心得ている人だから。
……あれ? おかしいな。服部さんなんで上着脱ぐの? なにをする気なの?
「私、ちゃんと責任取るわ。美幸くん、私といいことしましょう!」
「わぁぁん! わかってないよぉ、服部さんTPOはどうしたのぉ?」
「TPOなんてくそくらえよっ! 人間は理性だけじゃ生き残れないんだからっ! それじゃあ、いただきまぁぁす!」
「ひゃああああっ!?」
「……って会社の中でなにをしてるんだ君はぁっ!」
ペチコォオン!
と、そこで闖入してきた小野寺さんによって僕は窮地から救い出された。
手に持ったハリセンで服部さんをしばき倒すその姿は美しくも雄々しい戦乙女そのもの。ちょっと武器が浪速風だけど。
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