第5話 君を呼んだ理由
「いやいや、失敬失敬。美幸くんがあまりにかわいらしかったものだから、ついテンションマックスになってしまったでござる。こんなにかわいい子が女の子のはずはないと! たとえ見えている罠であろうとこの機を逃すテはないと!」
と、ござる口調で熱く謝罪する眼鏡の人は服部さん。
「すまないな。この人少し残念なんだ。君が理想の少女像にぴったりだったから興奮しているようでね」
と、クールにフォローしているのは小野寺さん。
ダイニングに通された僕は軽い自己紹介を交わした後、お茶をいただいている。
ごく普通の一般家庭的なダイニングキッチン。ますます会社には思えないが、二人はここの社員と名乗った。
服部さんが変人と呼ばれる人の類いであることは疑いようもないが、小野寺さんもどこか外見と言動が釣り合っていない印象を覚える。
ただ、二人ともそれぞれに魅力的な女性に思えた。かわいい。年上の人にこう言って失礼に当たらないかわからないが、フルーツを取り扱う会社にはぴったりに思えた。
それよりも、今、僕はとても居心地悪くそわそわしている。
出会ってからずっと褒めてくれているらしい服部さんの言動が理由ではない。
(いやもちろんそれもあるんだけど、申し訳ないけど彼女の言葉選びは僕には難しくて小野寺さんに解説されないと正直あまりよくわからないし)
居心地の悪さの原因は壁に貼ってあるポスターだ。
髪が赤くて目の大きな女の子のイラストが描かれていて色合いもデザインもとってもかわいい。なにかのアニメなのかなと思ったが、これがよく見たらところどころに。
裸。
女の子の裸の画像がはめ込まれているのだ。
ベッドに四つんばいになってお尻を高く上げているシーン。
女の子が二人抱き合いながら真ん中のなにかをペロペロなめているシーン。
裸ではないもののスクール水着がほとんど脱げかかっているシーン。
(一体なんでこんなものが貼ってあるんだよう)
気づいた途端、物珍しくじっくり見てしまっていた自分がすごく恥ずかしくなって、ごまかすようにお茶を口に含んだ。今、きっと僕の顔は真っ赤に染まっているに違いない。
小野寺さんはわからないが、服部さんは口元も目元もすっかり緩んで……そうあえて音にするなら『ニヨニヨ』というのがぴったりな表情で僕を見てるから、多分バレているのだろう。
(早く幽霊さん来ないかな……あ、幽霊さんじゃなくて直見さんだった)
脳内で定着しかけていたが、さすがに失礼なので直見さんと呼ぶことにする。
その直見さんは二階で仕事をしているらしく、一度服部さんが呼びに行ってくれたが下りてきてはくれなかった。
「堪忍でござる。直見殿は集中してしまうときりのいいところまで書き終えるまでテコでも動かぬゆえ」
「こちらから呼びつけておいて本当にすまない。うちはバカ者ばかりなんだ。他の連中も部屋にこもったらそれきり出てこないやつばかりで」
「デラちゃんだってそうではござらんか」
「うるさいな」
「デラちゃんて、小野寺さんのことですか?」
「さよう。下の名前で呼ぶと嫌がるゆえ」
「下の名前ってなんていうんですか?」
「む……それは、その……なんだ」
「あ、いえ、言いたくないなら別にいいんですけど」
小野寺さんは一見冷静なまま口元をもごもごとし、やがて観念したように言った。
「……シェリルだ」
「え?」
「小野寺シェリルという。祖父がウェールズ出身でな……どうだ。似合わないだろう。いや言わずとも承知している。こんな愛想のない私にこんな名前など」
「あ、いえ、そんな、逆にすごくピッタリでビックリしちゃったっていうか、すごくかわいいですよ」
「む……そ、そうか……」
「はい、とってもとってもかわいいです」
「そ、そうか」
小野寺さんは急にグビグビとお茶を飲み始める。あんなに急に飲んだら舌を火傷しないだろうか。
「時間は大丈夫か? ケーキでも切ろう」
「あ、いえ、そのお構いなく。あの、ところでおトイレをお借りしてもいいですか?」
「それなら廊下を出て左の突き当たりを右でござる。拙者もご一緒いたそうか?」
スパコン!
断るより先にハリセンが飛んだ。
どうやら僕が早く断らないと服部さんが叩かれてしまうシステムらしい。
「はは……一人で行けますので」
トイレに行く途中の廊下の壁にもポスターが貼ってあった。さっきの絵とは違う制服姿の女の子が描かれていて、普通に立っているだけでパンツが見えそうになっているから目のやり場に困る。
(ワカメちゃんじゃないんだから)
こんなポスターを貼るなんて服部さんの趣味なのだろうか。それとも別の人か。
トイレの扉には『空いてます』と書かれた木製プレート。
裏返すと『使用中』になるだろう。そう思って裏返すと果たして予想は当たっていた。
だから、といっても仕方ないけれど、僕はそのとき油断しきっていた。
だって、まさか。
扉を開けた先に、下着姿で便座に腰かけた女子の先輩がいるなんて思わなかったから。
白く美しい肌。すらりと伸びた手足。
彼女の肉体は局部をわずかばかりの布地で覆われているに過ぎない。
「うひゃぁぁぁぁっ!? ごめんなさいッ!」
と、扉を閉めようと思い出した僕の手首がさっとつかまれ、グイッと個室に連れ込まれて、無情にも扉は僕を外に出すことなく閉められた。
「は、離して。見えちゃうっ! 見えちゃう!」
肌色が!
下着が!
「静かにして、大丈夫だから。それよりごまかして」
彼女はそう言って扉の外を指し示す。
「美幸くん、どうした? なにがあった?」
悲鳴を聞きつけて小野寺さんたちが心配して駆けつけてきてくれたのだ。下着姿の異性と閉塞した狭い空間に入っているこの状況はできれば見られたくない。
直見さんの意図は読めないものの、僕はとっさに、
「ご、ごめんなさい。トイレ、洋式でビックリしちゃって」
我ながらへたくそなごまかしであるが、それでもなんとか言い募ったおかげで小野寺さんたちは戻っていった。納得はしてないだろうが。
再確認。状況は不可解だ。
下着姿の先輩とトイレの個室で二人っきり。呼吸すれば吐息がかかる距離に女子の裸が迫ってる。
(長い黒髪は結い上げているけど、間違いない。直見さんだ)
スラッとしたプロポーションなのに服を脱ぐと着やせするのか胸がとても豊かだ。白い肌に電球の光が下りて、おいしそうな果物のように照り輝いている。
つい胸に目がいってしまうのは不可抗力だ。彼女が立ち上がっていると、胸がちょうど僕の目線の高さにきてしまうからで、僕がおっぱい大好きというわけではない。
視線を下にずらすと、靴下もはいていない彼女の生足が目に入ってしまう。女性らしい腰のくびれから続く脚のゆるやかなラインは目を奪われる美しさだった。
こうして見ると彼女の脚はとても長い。外国のファッションモデルみたいだ。
ひざやくるぶしなど細部に渡ってくすみやゆがみなど一切なくて、まるで脚線美という金型から作った美術品のようだ。
極めつけに、その裸身はレースのついた黒の下着に包まれている。匂い立つような大人の色香が漂う。
「なるほど……これがラッキースケベというやつなのね」
直見さんのつぶやきにハッと我に返る。
(女の子の裸をこんなにまじまじと観察するだなんて。直見さんの体はとてもきれいだけど、だからって、僕はなんてエッチなことを……!)
「も、もう出ていい?」
「ダメ。もうちょっとだけ。あと少し、あと少しなのよ」
そう言ったきり、直見さんは真剣な表情で黙り込んでしまって、彼女が「よし」とつぶやいて、どうやらもういいらしいと認識するまでゆうに五分以上はかかった。
「あの……な、なんでそんな格好してるの?」
「私、服を脱いで考えごとすると集中できるの」
「考えごと? トイレしてたんじゃないの?」
「違うわ。こういうところで考えるとアイデアが湧いてくるのよ。他にお風呂とか」
なんてはた迷惑な習性なのだ。どうせならお風呂がよかった。
いや、誤解しないで欲しいのは、裸が見たい訳ではなく、風呂ならばこうしてかち合うこともなかったというだけである。
それより、そのとき僕は気づいていた。気づいてしまっていた。
彼女の左手にある、まがまがしい形をしたそれに。
気づいてしまった以上は、尋ねるしかなかった。
「……あの、その手に持っているのはなに?」
「ああ、これ? これはバ●ブよ」
彼女は僕の眼前にそれを突きつけて、なんでもないことのように言った。
「バ●ブ?」
「正式にはバ●ブレータといって女性器に挿入して快感を得るための器具よ。まぁ、大人のオモチャね。主にディルド型とカプセル型に分かれていてこれはディルド型。震えたりうねったりする機能があるわ。こんな風に」
お菓子をくれるような気軽さでバ●ブを渡されて、
ブブブブブ……!
「ふぇぇぇ!? なにこれすごい震えてるよ!」
「だからそういっているでしょ」
「やー、止めて止めてー! 震えるのダメぇ!」
直見さんにスイッチを切ってもらって、それはようやく沈黙した。
(わけがわからない。わけがわからないよ!)
わかったのはそれがとてもいやらしい道具だということ。
そして、子供が踏み込んではいけない悪魔の領域の代物だということだ。
「な、なんでこんなものを持ってるの?」
「資料だからね」
「資料……?」
「ええ、そうよ」
衝撃の事実を告げられる。
なぜ壁にエッチなポスターが貼られていたのか。
なぜエッチな道具を持ったままトイレにこもって考えごとをしていたのか。
それは……。
「ここはエロゲ……つまり、成人向けのいやらしいゲームを作る会社であり、私はこのいやらしいゲームのエッチなシナリオを書く仕事をしているの。だからこの、女性に快感を与えるための性的なバ●ブは紛れもなくエロゲの資料ということになる。そして」
ビシッ!
「君はこのエロゲのヒロインに声を吹き込むエロゲ声優をするの! そのために私は君を呼んだのよ!」
その姿はこんなご不浄の中で、こんな格好だというのに、堂々としていて、自分にはいささかの恥じ入る事実はないのだと主張していた。
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