第3話 幼馴染の歪んだ保護欲
昼休み。
僕は黒江ちゃんたちに校舎の隅っこ、外階段まで連れて行かれた。
普段から人の通らない場所である上に、今はお昼時で人気はなく、辺りはしんと静まりかえっている。万が一人が来ても校長先生自ら丁寧に世話をしている生け垣が視界を遮ってくれるそんな場所。
黒江ちゃんたちはあまりよろしくないことをするときここに集まる。
バサリ
予感は当たってしまった。
「どうよ」
黒江ちゃんと特に仲良しな、仲田さんがカバンから取りだしたのは、口にするのもためらうような、いかがわしい本だった。
パッと見て肌色ばかりのページを押しつけるように僕に見せてくる。
「翼くんはどの子が好きかなー? これなんて黒江に似てない? ウリウリ、そんな顔してないでちゃんと見なよーホラホラぁ……」
「だ、ダメだよ、仲田さん。エッチな本はいけないんだよ」
変な汗が湧いてきたので視線をそらす。僕も年頃の男子だから興味が無いわけではないけれど。
「いけないってなにがー? なにがいけないのー?」
水着を着てない水着写真や、パンツの代わりにモヤモヤをはいている写真がいっぱいのその雑誌を見てはいけないと思いつつ目がいってしまう。
ハッと気がつくと、その雑誌の横に仲田さんの顔が並んでいて、さもおかしそうにニヤニヤ笑いを浮かべていた。
途端に熱くてグルグルしたものが僕の中を駆け回り始めた。
耐えきれなくなって、向こうでスマホをいじっている黒江ちゃんに助けを求めた。
「やめてよ、黒江ちゃん。なんでこんなことするんだよー」
「なんでって。翼があんなこと聞くからだろ?」
黒江ちゃんは僕に顔を近づけてきた。唇の雰囲気がさっきと違う気がするから、トイレでリップを塗り直したのだろう。
黒江ちゃんは吐き捨てるように言った。
「ザー●ンってのは精液のことだよ」
「ふぇ? せ、せーえき? せいえきってあの精液?」
「そ。精液、精子、保健の授業で習っただろ。その……チ●チンから出るやつだよ! 赤ちゃんの素になるやつ! ぶっかけってのはそれを他人にかけること。その様子。自分がなに言ってんのかわかったかバカ」
(ザー●ンて精液? それを人にかける?)
「ふぇええええええええっ!? それって下ネタじゃないかぁ! 僕、さっきみんなの前で大声で言っちゃったよ!?」
「だからバカだって言ってんだろうが! アホ!」
「わー! バカだけじゃなくアホって言ったー!」
精液のことはわかる。子供を作るための材料。そういうことはとてもデリケートな部類だから、迂闊に発言してはいけないことも。前に姉から叱られたことがある。
(え、でも、だって、なんでザー●ンって言うの?)
最初から精液と言ってくれたら僕にも理解できたのだが。
クラスのみんなに絶対変なやつだと思われたに違いない。
「……あれ? でも、それとこのエッチな本となんの関係があるの?」
「それはね」
仲田さんのサイドテールが楽しげに揺れる。
「翼君に今からここでオ●ニーしてもらうからだよ」
「え……?」
僕は焦った。
「オ●ニーってなに?」
また知らない単語が出てきたから素直に尋ねた。
仲田さんにはそれがまた面白いらしくてお腹を抱えて笑い出してしまった。
「高校生にもなってオ●ニーも知らないって! ありえなーい。さっすが純粋培養。箱入り息子。黒江の教育の賜物だねー」
「由香うっさい」
「へー。姉弟暮らしで男友だちがいないとマジこうなるんだー。やばいウケるー。ねえねえ、翼くん、じゃあオ●ニーじゃなくて自慰って言えばわかる?」
「G? アルファベットの? あ、ゴキブリのことだ」
「ブッブー」
「え、じゃあ、あ、おじいさんのこと?」
「惜しい!」
「惜しくねーし! 由香、あんたペラこくなよ」
とか言っていたら、黒江ちゃんのもう一人の仲良し国吉さんが戻ってきた。
その手には水道の蛇口の回すところを大きくしたような物を持っている。
それが自転車のサドルだってことに気づくと、僕の頭の上の疑問符は消えるどころか更に大きく膨れた。
「それをどうするの? それだけじゃどこにも行けないよ?」
「でもぉ翼くんにはこれでイってもらうのぉ」
今のが面白いところだったらしく、仲田さんは爆笑して国吉さんを叩いている。
僕はこれからなにをされるのか気が気ではない。現状に理解が追いついていない。
(結局オ●ニーってなに? おじいさんは惜しいの惜しくないの?)
自分の無知がこんなにも不安をかきたてるとは。
「さーて、それじゃあ、時間もなくなるし正解発表のお時間です」
仲田さんにオ●ニーとはなにか耳打ちされた途端、心臓が別の生き物のようにバクンバクンと跳ね回り始めた。
「え、え、ふぇええええっ!? オチ、オチ●チンを!? オチ●チンをゴシゴシしごいて精液を出すって! そんなことするの? みんなの前で? で、できないよそんなこと! できるわけないでしょ?」
「できないじゃねぇ」
黒江ちゃんが執行官のように冷たく告げる。
「やるんだよ。これは、お仕置きだ」
「お仕置きって……僕がみんなの前でザー●ンのこと聞いちゃったから?」
黒江ちゃんはそれには答えず一歩近づいてきた。
「……翼、あんた、昨日の放課後、屋上でなにしてた?」
底冷えするような低い声。
「な、なにって、あれは人に呼び出されて」
「誰に?」
僕は大いに逡巡した。
男の子に告白されてキスされそうになった、なんて。
(い、言えない……)
彼と僕の名誉のために沈黙を選ぶことにする。
「い、言えない」
「……」
それが勘に障ったようで黒江ちゃんの表情が更に険しくなる。
「あんた、今朝幽霊と話してたよな。いつからそんな仲になったんだよ?」
そんな仲といわれても話しかけても無視された程度のこと。昨日は興奮していたが。
確か彼女はこんなことを言っていた。
『こんなに声も見た目も、女の子なのに! 男の子だ、この子は! せっかく! 理想のヒロインにピッタリなのに! 新作のシチュにそっくりなのに! 今からでも女の子になれよ! 生まれ直してよ!』
(あれは結局どういう意味だったんだろ? 興奮してたけどとても真剣な顔だった)
「おい、翼、聞いてんの?」
「えっ! うん。聞いてるよ。えーとね」
現実に意識を戻される。
強いていつからっていうならば、
「昨日、から……?」
「は? なんで?」
なんでと言われても質問の意図が漠然としててわからない。だが、それを指摘したら激怒するだろう。
(とゆうか、もう既に怒っている? 怒っているよね? なんで?)
背後に阿修羅が見える。いじめっ子から僕を守るときによく出していたやつだ。しかし、それは今こちらに向けられている。
(怖い怖い怖い。怖すぎてもうなにがなんだか)
「わかりません」
「……へぇ」
低い、とても低い声を黒江ちゃんは出した。
なにか、とてつもなく爆発力のあるものを押さえ込むようなおどろおどろしいトーン。
「あたしに隠しごとするんだ? 翼、あんたもえらくなったもんだねぇ……?」
「ひぃぃ」
悲鳴が上がりそうになるのを必死でこらえる。けど、漏れた。
彼女は僕が持たされていたサドルの金属部分をつかむと、黒い皮の部分を僕の股間に、
グリグリィ! グリグリグリィ!
と押しつける。
「……フィィ!?」
半分痛くて半分苦しい。ショックで僕は逃げようとしたけれども後ろはすぐ壁だ。
黒江ちゃんは悠然と追いついて、再びサドルを押し当てる。
グリグリグリィ!
「……か、は」
目の前を電気が走った。
一瞬呼吸することを忘れるような衝撃。
空手をしていたことがあるだけあって黒江ちゃんの腕力は強い。
ミシミシと音をたてるように僕の股間の領域を侵略してくる。圧迫する鈍い苦痛が後から後からお腹に上ってくる。
「や、やめっ……黒江ちゃ、やめてっ……!」
「……お前、なんかやましいことしただろ?」
「え? やましいことって……あ」
男の子とのキス。
「し、してない、よ……」
「ああ? 隠したってわかるんだよ、あたしには。ずっと見てきたんだから」
「隠して、なんかな……んんっ」
黒江ちゃんは最後まで言わせない。僕の下半身は完全に彼女に支配されていた。苦痛も一時の解放も彼女次第。
「脱げよ」
彼女は言った。
「え? 脱ぐってなにを?」
「上の服に決まってんだろうが。早く脱げよ」
「で、できないよ、そんなこと」
「じゃあ、あたしがやってやるよ」
「え、ちょっと、ダメ、ダメだよぅ」
抵抗むなしくボタンを外されワイシャツの下の肌着が露わになる。すぐに肌着もめくり上げられ、まだ筋肉の発達していない胸板が外気にさらされた。
「あは。白ーい。それに、ピンクだぁ。いいぞもっとやれー」
仲田さんが楽しそうにはやし立てる。
「全部白状するって言うなら、ここでやめてやるよ。どうする、翼?」
もったいぶるような問いかけに屈しない。
「ぼ、僕は、あっ……なにも、隠してない、よ」
「……まだいうか、このぉ」
黒江ちゃんの追撃の左手が伸びてくる。
(待って。そこは……)
「知ってるんだぞ、お前の弱いとこ」
きれいに磨かれたピンクのネイル。長くしなやかな指先が目指す先は胸の先端……。
乳首。
「はぅうぅうん!?」
甘痒く鈍い痛み。
普段はそこにあることを意識しない敏感な部位が刺激されてジンジン痛む。
「乳首いじられて感じちゃってない?」
「そんなこと、ない」
仲田さんたちの好奇の視線が突き刺さる。
逃げたくてもサドルが全然外れてくれない。絶妙なところ責められている。校舎の壁とサドルのサンドイッチ。
「あっあっぐぅぅううう……」
苦しい苦しい苦しい。視界にノイズ。思考能力が奪われる。乳首が潰される。また別種の痛みに意識を呼び戻され、苦しさが鮮明になる。
「なんで、こんなことっ……するんだよ……っ! あっ」
黒江ちゃんは暴力的だけど今日は格別だ。
脳裏で光がチカチカ明滅する。
「ちょっ黒江ヤバイって! 翼くんの潰れちゃうって! 目の前でシコらせるって、それだけの話だったじゃん!」
仲田さんの焦った声。
かすむ視界の片隅でオロオロする国吉さん。
「うっさい! 邪魔すんな!」
黒江ちゃんは仲田さんを振り払い、サドルを握る手に力をこめる。
「ハァ、ハァ……これはしつけなんだよ! こいつが二度と逆らわないように! こいつのために必要なことなんだ! だって、だって、こいつは、あたしがいなきゃなんにもできないんだ! あたしのなんだ! ぽっと出の他の女なんかにとられてたまるかッ!」
キスをする距離にある黒江ちゃんの顔は鬼みたいに怖い、が、しかし……。
(泣いてる……?)
昔見た彼女の泣き顔と同じ。不安、怯え、悲哀。それらを瞳の奥に隠して、泣き叫びたいのを我慢している。
痛めつけられているのは僕の方なのに、いじめっ子になったような気がした。
(ごめんね、黒江ちゃん。きっと僕が悪いんだ。一人じゃなにもできない僕が。みんなをガッカリさせる僕が。飛べない翼。アホウドリの僕が。なにもかも僕がいけないんだ)
(でも、僕もっとがんばるから。もっともっとがんばるから。だから……助けて)
飛びそうになる意識の中で必死に声を絞り出す。
「アッ……アッグッ、アックゥゥ……た、すけて……たすけてよぉ……ハァ……んんっ……つぶれちゃうッ、僕のオチ●チンつぶれちゃうッ! チ●チンつぶれておにゃのこになっちゃうーッ!」
「グッッレイトォォォッ!?」
「……!?」
それからの十数秒のことはいつ思い出しても映画のワンシーンを見るかのようにまるで現実感がない。
その場の全員を呆気にとらせるような場違いな大声を上げて登場したのは幽霊さんで、彼女は黒江ちゃんの頬をひっぱたき、立ち上がろうとした黒江ちゃんの足を払って戦意を削ぎ落とすと、うずくまる僕に手をさしのべながらこう言った。
「君、私のものになりなさい」
視界が黒に染まる。
黒い彼女が僕の目の前を埋め尽くす。
不思議と、穏やかな夜に包まれるように安心した。
泣きはらしたように赤い切れ長の瞳に僕を映して、
「君には才能がある。私には君が必要なの」
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