第2話 翼の立ち位置

 公立白墨高校は平野にある。水郡線白墨駅から徒歩十分。自転車なら四分くらい。

 制服はブレザー。創立から十年と少しの若い学校で、この春から僕の母校となった。

 駅を出て田んぼ沿いの車道を登校していると少し前に早坂くんが歩いているのが見えた。数人の女子たちに囲まれている。

(あ、どうしよう……)

 声をかけようか迷う。

 昨日はあれから、疑問は一つも解決されることはないうちに解散となり、キスを強要してきた早坂くんも少し冷静になったのか、なにも言わずに帰って行った。

(話しかけられるのは迷惑かな。僕はそれでも、彼と友だちになりたいって思うんだけど……でもでも、またキスを迫られたら困るし)

 迷っている内に早坂くんたちは先に行ってしまった。一瞬、目が合ったような気がしたのだが、嫌われたのかも知れない。

(もしかしたらあれをきっかけに仲良くなれるかも知れなかったのに)

 僕は友だちが少ない。特に男子は。

 だから、親交を深めること自体はやぶさかではなかった。

 恋人にしたいとさえ、言い出さなければ……。

 昨日の告白を思い出し、胸の鼓動が早くなるのを感じた。

(あんな風に告白されたのなんて初めてだからかな。同性だけど……あれ? ちょっと待って。ドキドキしているのは告白されたからだよね? 僕も男の子が好きってわけじゃないよね?)

 そんな風に思考に埋没していたので曲がり角から出てきた人にぶつかってしまった。

 ボイン!

 なにかやわらかいものでほっぺたを叩かれた。

「ご、ごめんなさい……うわぁ」

 謝ろうとしたそれがおっぱいだということに驚く。大きい。視界がおっぱいで埋まる。慌てて飛び退いたら、壁に後頭部を痛打した。いつのまにか校舎に入っていたらしい。痛い。これは天罰だ。

「あ、あなたは昨日の」

 黒い幽霊さん。

(午前中にいるなんて本当にうちの学生だったんだ。今日も黒のセーラー服姿だけど)

「あの、昨日は、その……結局あなたがなにをして欲しかったのかわからなくて……」

「あれをこうして……冒頭はもっと膨らませて」

 彼女は心ここにあらずといった様子でふらふらと歩み去って行く。僕が言うのもなんだけど、危なっかしい足取りだ。幽霊だから朝は弱いのだろうか。

「おい、翼」

 バシン!

 背中に衝撃。

「ふひぃ!?」

 痛い! 肩甲骨の、ちょうど手が届かない辺りが痛い!

 こんなことをしてくる相手には心当たりがあった。そうと思えば僕の名を呼んだ声も、彼女らしいハスキーなものだった。

「ひどいよー、黒江ちゃん」

 振り返った先にいたのは、ギャル風女子高生の籠原黒江ちゃん。幼馴染みで友だちだ。

 日焼けサロンに通っていて、まだ夏前なのにこんがりと日焼けしている。化粧やファッションに詳しく、友だちの多い明るい性格だ。

 黒江ちゃんには友だちが多いのに、その友だちの僕には友だちが少ないのは不可解というしかない。

「翼、今あいつと話してなかった? なんで? 幽霊なんかと知り合いなの?」

 ああ、彼女が幽霊に見えるのは僕だけではなかった。

 そう思うとホッと安堵する。

「知り合いって程でもないんだけど、一応。黒江ちゃんはあの人のこと知ってるの?」

「有名じゃん。あいつ」

 直見ライチ。通称黒幽霊。

 一つ上の先輩。映画の貞子みたいな外見で、学校指定のブレザーではなくてセーラー服を着ているのが特徴。一応、学校指定ではなくても学生らしい服装ではあるので、校則違反であるかはグレーゾーン。

 しかし、風変わりなことをするものだから校内では孤立している。

 証言一。

「チョーぼっちでさ。誰かと話してるの見たことないよね。昼休みになるとカバン持ってすぐどっか行っちゃうし、あれきっと便所飯だぜ、キッモー」

 証言二。

「こないだすれ違ったらさ、なんかずっとブツブツ独り言つぶやいてんの。かと思ったら、隅っこで他人のことガン見してるし。キッモー」

 証言三。

「授業中にめっちゃノートってると思ったら、ありえない量書いてんの。ページ真っ黒。あれ絶対授業のことじゃないでしょ。黒板の字より多いし。呪文だって呪文。キッモー」

 以上、黒江ちゃんの先輩からの情報でした。

 なるほど、まとめるとやっぱり変な人らしい。

 昨日の不可解な言動は、理解できなくて当然だったのだ。

「てか、ライチって外見じゃないでしょーあれ。マジ引くわー、ハハハ」

 黒江ちゃんたちは嘲笑するけれど、僕はそれについては疑問に思う。笑うことでもないのではないか、と。口には出さないが。

「つーか、そんなことはどーでもいいんだよ。だから、なんで翼があいつのこと気にしてんのさ」

「べ、別になんでもないよ?」

 ひとりぼっちなら僕でも仲良くなれる可能性があるのではないか、なんて目論んだとは恥ずかしくて言う気になれない。

「ふーん?」

 でも、黒江ちゃんは付き合いが長いだけあってお見通しみたいで。

 急に顔を近づけてくる。逃げても追いかけてきて、僕はいつのまにか壁際まで追い詰められてしまって、その壁に黒江ちゃんはドンと手をついた。

 世にいう壁ドンである。

「……あんさ、友だちならあたしらがいるじゃん。あたしらで十分すぎるわけじゃん? それなのに、なんかあたしらに不満でもあるわけ?」

 黒江ちゃんは不機嫌さを隠そうともしていない。

 であるのに、そのしわを刻んだ表情さえ魅力的に映る彼女の美貌。

 不用意な近距離に動揺する。

「ふ、不満なんてないよ。黒江ちゃんにはよくしてもらってるし」

「あたしって優しい?」

「うん。優しい! 優しくて美人。こんな素敵な女の子他にいないよ」

 黒江ちゃんに対しては、ここは褒め称えるのが定石。

 彼女はにこーっと見る見るうちに笑顔になった。

「……へへへ。だよねぇ。翼ったら鈍くさくてチョードジで、あたしがいないとなーんにもできないんだから」

 バシバシ、背を叩かれる。

「うん……いつもありがとう、黒江ちゃん」

 感謝の言葉に嘘はない。

 けれど、それは素直に喜ぶことのできない、僕の慢性的な悩みにも関わることだった。

「ぷはは、また女とつるんでやがる」

「美幸ちゃんそれ以上女の子になると、チンポが腐って落ちちゃいますよー」

 通りすがりの男子が意地悪い笑みを浮かべながらからかいの言葉を投げてくる。

「……ッ」

「うるせーな! てめえらがもげろ!」

 萎縮する僕の代わりに黒江ちゃんが彼らに言い返す。彼女はいつだって物怖じぜず、頼もしい。

「女に守られて情けねえー」

 クラスメイトたちはバカにするような捨て台詞を吐いて退散していった。

「翼、気にすんな」

「あの、黒江ちゃんありがとう」

「いいってことよ。翼はなんにもできないんだ。あたしが守ってやるよ」

「……うん」

 目下の悩みは、男子の友だちができないこと。

 それと、度の過ぎたドジっぷり。

 僕は昔からどうにも要領がよくないみたいで、いつも失敗ばかりしている。運動も勉強も人付き合いも他の男子より上手くはできなくて、周りからガッカリされてばかりで、いじめられて「飛べない翼だからニワトリだ、アホウドリだ」と悪口を言われていた。

 そんなときいつも僕をかばってくれたのが黒江ちゃんで。

 彼女は見た目で誤解されるけど成績優秀で、男子に負けないくらい運動もできて、昔空手の道場に通っていたからすごく強くて「アホウドリは英語でアルバトロスっていうからこいつのあだ名はトロスだ」なんて言ってくれた。

 だから、僕は黒江ちゃんにすごく感謝してるし、一番の友だちだと思っている。

 それに、黒江ちゃんはすごく美人だ。

 さばさばして付き合いやすい性格をしていることもあって、教室でも男子が熱い視線を送ってくることもしばしば。僕が知る限り恋人がいたことはないし、どんなイケメンに告白されてもなぜか断ってしまうけれども、そんなクールなところも黒江ちゃんの魅力だと思うし、幼馴染みとして鼻が高い。

「あ、今日の帰り、由香たちとカラオケ行くんだけど、当然あんたも来るよね?」

「え、今日はちょっと」

「ああん? なんでよ?」

 黒江ちゃんはこういうとき巻き舌になるから少し怖い。

(車のエンジンみたいな声を出すんだもの)

 僕は正直に今日の予定を話す。

「今日はアルバイトの面接に行かなきゃいけないんだ」

「はぁ? バイトの面接? こないだ決まったばかりじゃん。お前またダメだったの? クビになったのこれで何回目よ?」

「うん……五回目、くらい……?」

「五回目って、ありえない! 翼は本当にドジだねぇ。高校生ったって。五回もクビになるやついないよー?」

 本当は八回目。

 ファーストフード店や、喫茶店、コンビニ、ケーキショップ、書店、ファミレス、スーパーのレジ係……。

 高校生でも雇ってもらえるような仕事を色々試したけれど結果は全滅。皿を割り、注文を間違え、機械を壊し、短期間でクビになってしまう。

「なんでこんなこともできないのか、わかんない」

「もっと本気でやってよ」

 本気で、真面目に、真剣に、やっているのに!

 どれだけがんばればいいの? どこまでがんばれば本気だって認められるの? なんでみんなはうまくやれているの?

 悩み、苛立ち、しょげて、やり場のない感情をやり場がないので飲み込んで。

(でも、今度こそはと思うんだ。こんな僕でもできる仕事はきっとあるはず。それを見つけて立派にやり遂げてみせる)

「まー、ムダだと思うけどね」

 黒江ちゃんは僕の思考を読んだかのようにバッサリと切り捨てた。

 この幼馴染みの予言は結構当たるから困る。

「しょーがない。じゃあ、今日のところは許してあげるけど、次誘ったらキャンセルなしだかんね。ラーメンとか、うどんぶっかけとか」

 黒江ちゃんは麺類好きだ。見かけによらず趣味は渋いものが多い。

(あれ……ラーメン? ぶっかけ? そういえば、昨日幽霊さんもそんなことを)

 黒江ちゃんに尋ねた。

「ねぇ、黒江ちゃん。教えて欲しいことがあるんだけど」

「ん、なんだよ?」

「ザ●メンとぶっかけってなあに?」

「ブフウゥッ!?」

 突然黒江ちゃんが飲んでいたパックの豆乳を噴き出した。汚い。

「ゲホゲホ、なッ……いきなりなんつーことを」

「大丈夫? ハンカチいる?」

「あ、あんたそれ自分がなに言ってるのかわかってんの?」

「ふぇ? わからないから聞いているんだけど」

(あれ?)

 いつのまにか騒がしかった教室が静かになっている。

 間違ってクラッカーを鳴らしたように。

 視線は僕たちに注がれている。後ろを振り返っても誰もいないから、やっぱりそうだ。

 黒江ちゃんも珍しく慌てているみたいだし、僕はもしかして誰でも知ってて当たり前なことを尋ねてしまったのだろうか。

「あー! 翼は本当バカだなー! それを言うならラーメンとうどんのぶっかけだろ。なに言い間違えてんだよ。ありえねー!」

 わざとらしいまでに大きな声を出す。ちょうどそのとき先生もやってきて話はうやむやになった。

「黒江ちゃん、僕言い間違えてないよ?」

 前の席に座る背中にこっそり話しかけた。黒江ちゃんは振り返らずにノートの切れ端を投げてよこした。

 シンプルだけど実は小さくヒゲを生やしたクマのキャラが描かれているノート。

 そこにはこう書かれていた。

『昼休みになったら教えてやるよ』

 よくわからないけど、なんだか嫌な予感がした。

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