第2話 天王洲愛瑠
目を開けたら白かった。
白い天井、白い壁、白い床、青い空には白い雲。おしつけがましい清潔感。
わかったこいつは病室だ。
しかしそれでは答えに足りぬ。
ガバッと勢い身を起こし、私の寝ているベッドの隣に立っている少女に尋ねた。
「ここはどこ? 私はわかる! 今日は何月何日何曜日何時何分? 時計が何回まわった日?」
私の寝ているベッドの隣に立っている少女は答えた。
「ここは戸塚病院三○五号室。あなたは如月さん。今日は四月一日月曜日十二時三十七分。何回まわったかは時計次第じゃないでしょか」
「七十点!」
私は採点評価した。
「場所と時間、とっさに返せたのは素晴らしい! それに時計次第ってのが気に入った! あなた結構頭がいいですね!」
「いやぁ、それほどでも」
「しかし、私の名前は訊いてない! それになにより、まずは自分の名を名乗れぇぇぇ!」
ザシュン!
「ひぃいいい!?」
手刀が風切り、少女の脳天を割り砕く前に、少女は身をのけ反らして病室を転がるように逃げていく。
「な、なんですかいきなり! 見も知らない善良な美少女に向かって、手刀を繰り出す人がいるでしょか!」
「ここにいるではないですか!」
目を背けるな、前を見ろ。私が証拠だ、現実だ。
「だから、非常識だと言っているぅでしゅ」
「結構結構、こけっこっこ。君の常識非常識! 見も知らない善良な美少女とやらが意識のない私をずっと見ていた、とあらばまず疑ってかかるのが私の常識。誤りどきが謝りどきですよ!」
「この人むちゃくちゃでしゅ!?」
「むちゃくちゃだろうが、それが私の生きる道。まともに話をしたければ、まず名を名乗って、その手をのばした物騒なものをしまりやがることですね」
「!?」
非礼無礼は認めよう。しかし、それにも根拠がある。
一般の人は心器など持っていない。心器はなんらかの流派に所属した戦い手に与えられる武器である。
精神性に左右されるため扱いも難しく、ある一定の資格実力が必要とされる。
つまり、それにとっさに手を伸ばした彼女は、なんらかの流派に所属したことのある、一定以上の実力を持った武術家であることになる。警戒するには十分だ。
それに。
だいたい、自分のことを善良な美少女と言うようなやつにろくなやつはいない。
「気づいていたのでしゅか」
「気づかれないつもりでいたのですか? そいつはご機嫌な脳みそです」
「待って下しゃい。こちらに危害を加えるぅ意図はありましぇん」
「襲おうと思えば私の寝ている間にいくらでもできた? それは認めましょう。でも、それが危害を加えないということにはならない」
私はベッドの上から下りて身構える。私の荷物は目に入るところにはない。これも私が警戒した理由の一つだ。
心器使いに心器なしで挑むのは辛いが、相手にされるがままというのはもっとない。
「なるほど……想像以上に扱いづらい人みたいですね。言われた通りでしゅ」
誰になにを言われたか、問うて答えてくれればいいが。
もはやその段階は過ぎていることは、彼女が心器を顕現させていることからもわかる。
「ん……んんっ、ふみゅうううぅぅうぅ……ぁぅ」
小柄な体格。ボブカット。瞳はクリクリッとして、いかにも男受けしそうな、小動物系愛らし少女。
ダブルミーニングで、猫をかぶったような、ポップなデザインのフードのパーカー。
その小ぶりな胸から大きめのナイフの刃が生えた。刃渡りは三十センチ程度か。ナイフを含めると私よりリーチがある。
少女は半身を開いて左腕を大きく突き出し、引いた右腕にナイフを持った。腰は落としていない。コンバットアーツか、マーシャルアーツか。
「……名乗るのが遅れました。私は猫千家、天王洲愛瑠。愛瑠ぅとお呼び下しゃい」
「如月流は超ドレッドノート級美少女、如月イブ。どうでもいいですが、あなた時々滑舌悪すぎです!」
言うが早いか、一足飛びに間合いを詰める。
「先制……!?」
相手の力量も能力も知らず、迂闊に飛び込んでくるとは思わなかったのだろう。かすかな動揺。しかし、その程度で簡単に裏をかけるような素人ではないだろう。
シュッ!
戦闘即応。右のナイフが正確に私の胸を目がけて突き出される。不用意に近づいた私に、逃れるすべはない。
本来なら。
「遅すぎ、です!」
ナイフの刺突を左手の甲で容易く払うと、
「え……?」
呆けた愛瑠の腹部にスピードを乗せた掌打を叩きこむ。体重のない小柄な体は廊下の壁までふっとんだ。
「逃げましたか、いい反応です」
愛瑠がとっさに後ろに飛ぶことで、衝撃を逃がしたことは打った瞬間にわかった。しかし、体勢は大きく崩れたまま。それ即ち格好の餌食!
壁際に追い詰めた仔猫ちゃんを追いかけ、乱打!
乱打乱打!
「な、徒手空拳で!? この心器が怖くないでしゅか……?」
壁を背にしては逃げることもできず、愛瑠は頭部の防御に徹するのみ。
「怖くはない! けれど恐れてはいるです!」
「なに……!?」
「ゆえに、このまま攻めきるです!」
小柄な人間は防御に優れる、というのは私感である。
考えるに守る範囲が比較的狭く、より高身長の者から受ける攻撃の方向が限定される。まぁ、それは逆もしかりだろうが。
また、攻撃するのは高さがある方が有利であるから、逆に小柄な者は攻められ慣れているのではないかと思うのだ。
そして、彼女は猫千家と名乗った。
猫系を神霊とする一派の特徴は、優れた反応速度と鋭い一撃。
だから……。
「反撃が、来る!」
連打が途切れた瞬間に、三日月のような一閃。いつのまにか逆手に持ち替えていたナイフが、首もとギリギリを過ぎていった。
予測できていなかったら殺られていた。
気の抜けない勝負。
否。
気の抜いていい勝負なんてありはしない。
たどりつきたい場所があるから。
憧れにたどりつくまで、全力疾走これっきゃない!
「如月流ふたつトンビ!」
その場でくるんと一回転。捻りを加えた両手の掌打を愛瑠の脇腹に叩きこんだ。
「……か、は……っ」
愛瑠は白い廊下に倒れ主の手を離れた心器が渇いた音をたてた。
「ふ……私にちょっかいをかけるには一億光年早かったですね」
「そ、それは距離の単位でしゅ……」
おや、まだ意識があるのか。軟弱そうに見えてなかなか根性がある。
「よし、とどめを刺そう」
「鬼でしゅか、あなたは」
地面に這いつくばったまま愛瑠は恨めしそうに見上げてくる。
こんな目つきをされるのは心外だ。いたく心が傷ついた。慰謝料を要求する。
「じゃあ、電気アンマですね」
「わーわー! やめてくだしゃい! 潰れちゃうでしゅー」
「金玉もないくせに大げさな」
「金も玉もない女子であろうとも、それは嫌なのでしゅー」
私も鬼でもサドでもない。泣いて謝るのなら勘弁してやろう。
「私を倒したくらいでいい気にならないことでしゅ……知っているでしゅよ。あなたが百合花塚先輩を好きだってことは」
「はぅ!? なぜに、私の秘めたる恋心をご存じで?」
「あんな校門前で叫んでいて秘めるもなにもありましぇんが」
そういえばそんなこともあった気がする。犬吠埼麗華を相手にしていたときだ。つまりは、やつのせいか。おのれ隠れボインめ。今度会ったらもぎってやる。ちぎってやる。
「一学年333人。高等部三学年合わせて学園総勢約1000人の学園武術ランク。私などはせいぜい980位くらいでしゅ。恋愛が許される上位10人に入るまで970人を倒さねばなりましぇん」
もうすでにランキングされてるの?
その発表はどこで見れるの?
「市内での対戦はカメラでモニターされ、それに基づいてランキングは常時更新されていましゅ。ちなみにそのランキングなどは生徒に支給されるタブレット型情報端末でできましゅ」
廊下の隅にある監視カメラがこっちの様子をうかがっている。なるほど。この都市自体が試合場ということか。
「これはご丁寧に解説ありがとう。しかし、いらぬ心配ですね」
何人倒せばいいとか面倒くさい。
「ようするに、全員倒してしまえばいいんでしょう? さすれば計算する必要ナッシング!」
「……お、おう」
愛瑠は面食らったように呆け、次にクスクスと笑い出した。
「あなたさてはバカですね」
「バカとはなんですか! 人のことバカというやつがバカなんですよ!」
「愛瑠は、バカな人、嫌いじゃないです」
愛瑠は小動物のように愛くるしく笑い、
「だからせいぜい生き延びて下しゃいね」
「……それは」
どういう意味か、問うまでもなく。
廊下の角の先からずらりと現れる有象無象。
そいつらの一人一人が、アホの一つ覚えのように手に手に心器を持っている。反対側からもぞろぞろと、見たところ合わせて十人程度か。
「よくもまあ暇人どもめ」
刃の消失した、愛瑠の心器を拾い上げる。流派により内部の術式が違うが、出力は落ちるにしても、発動させることはできるだろう。
心器の本質は持ち主に宿る神霊にある。
「ん、んんんんんんぅうっ……来たれ、霊刀エンジェルスワロー!」
若干不安定で、刃渡りは普段より短めだが筆を選ばずの例えもあろう。
私は相棒を構え、敵の陣中へと斬り込んでいく。
その瞬間。
ドカァァァァン!
と、吹き飛んだのはモブ顔女子高生。
「おーほっほっほっほ! 苦戦しているようですわね、イヴさん」
「その前時代的な高笑いは、犬吠埼麗華!」
果たして、絵に描いたような高慢ちき縦ロールお嬢様、麗華がそこにいた。
「なぜここにいるですか?」
「なぜって、気を失ったあなたをここに運んだのは誰だと思っていますの?」
「そうなのですか! それはありがとう!」
「いえいえどういたしまして! なのにあなたときたら、少し目を離した隙にこのらんちき騒ぎのらんちき三昧じゃございませんの。私というものがありながら、この方たちは一体どこから連れ込んだのかしら」
「他を惹きつけてやまない、私のカリスマ性のなせる業ですよ」
「アバズレにもカリスマというものがありますの?」
「アバズレ違いますし、私ほど一途な清純派もおりませんですし」
「なるほど。アバズレ刑事清純派ということですわね」
「……え? どういう意味です? いえ、ガチで。ガチで」
「……今の発言は忘れてください」
なんて麗華と舌戦を繰り広げているというのに、ちょっかいをかけてこようとするKYJKが周りを囲む。
麗華と背中合わせに武器を構え。
「賭けます?」
「さっきの一人はノーカンですよ!」
どちらが多く相手を倒せるか、競争が始まった。
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