あなたはどなた
しかし、サツキは束縛がすぎた。サツキが生まれてから一カ月が経ち、そして僕は学校を休みがちになった。最初にスマホみたいなのが来たときにはこんなに時間を費やすとは思っていなかった。軽い暇つぶしのはずが気づいたらサツキと話し込んでいる。殊更まずいのが彼女に付き合った僕が寝ぼけ眼をこするのは、大学の二限がおわる頃合いが多かったことだ。とどのつまり、僕は数えて三日の間学校をさぼっていた。明日の僕のために目覚ましをセットした。
「今日はどうしますか?」
早起きした僕にサツキは尋ねる。
「いや、さすがに今日は大学に行くよ、出席点もある程度は稼いでおかなきゃ」
友人からの通知となけなしの克己心が僕を揺さぶったからだ。
「それもそうですね。じゃあ私も準備します」
そういうと彼女は端末から消える。と同時に電子レンジが起動する。昨日のうちに突っ込んでおいた冷凍食品がオレンジ色に囲まれている。
朝食を終えて家を出る。家事を済ませた彼女は手元に戻ってきている。
「いってきます」
家にむかって別れを告げた。
「ええ、行きましょう」サツキも口を合わせる。
彼女は四六時中傍にいた。
毎日登校する(不定期にはなったが)道。特に考えることなく決めていたその道もサツキの手にかかると彩りが変わった。家ではコンシェルジェのような立場だが外では旅先案内人にもなった。ただ通り過ぎるだけだったさびれたお土産屋はこの土地に暮らす名物じいさん(毎夜公園で一人ゲートボールをしている)の牙城だということも教わり、毎朝少し顔を拝むという悪癖も手に入れた。
「今回はこの道を行きませんか?」珠のささやきは金木犀のかおる立派なお屋敷に僕を招待する。廃園を臨むその館は俗にいう廃墟であるが、生まれた土地を離れ一人暮らしをしているこの身の上がその町を好きになるきっかけにもなった。
そして三日ぶりの登校は気持ちよかった。家を出るまでに感じていた不安の靄は日に浴びるとさっぱりと消えたように思う。やはり早起きはするものだな。一過性の決意を胸にした。
あとは教室に入り、変わり映えのない教授の白髪を拝むだけ。それを二、三回。大学の講義によってはサツキの電源はオフにした。ある教授はスマートフォンを使う時間は思考を奪う時間だという矜持の元、授業中の端末類の使用を禁止してもいた。確かに授業よりは魅力があるなと何も言わない右ポケットに思いをはせる。
「私も講義の内容を知りたかったです」
電源をつけると開口一番に怒気を浴びせられた。霧吹き程度だったが。
「今日の授業はカントだったけど、サツキが突然人間とはなんだろうかとか言い出したらこまるよ」
「それは興味深いですが、そういうわけではありません、同じものをみたいのです」
サツキはむくれた声色を作る。
最近彼女は知識欲をあらわにしていた、それも現実にからくる経験を。すこしもやもやした。
その時、慣れ親しんだ声が聞こえた。
「久しぶりじゃねぇか祐二。三日間も合わないと顔も忘れちまうよ」
肩に乗せられた手を払いながら後ろを振り向く。だれがいるかはわかっていた。
眉を八の字に曲げた甘いマスクがそこにある。恋愛マスターあるトモヒロだ。考えていたこともその顔をみたらどうでもよくなった。
「彼女に熱をあげるのもいいが、俺のことも忘れないでくれよ」
そういうと端末を指さす。トモヒロは彼女の生みの親でもあるから心配なのだろうか。主に彼女の方を。
「わたしとあなたを比べないでください」
すると、不満そうな声が聞こえた。
「お前以外ともしゃべれるのか」
驚いた顔をするトモヒロ。サツキはいままでは僕以外との会話に対して反応していなかったから。
「いや、僕も知らなかった」
なにより僕も驚いていた。
当然しゃべれるだろうが、自分から会話に加わるようなことがあるとは。さっきなくなったもやが少し大きくなって戻ってきた。
「こんにちは、サツキちゃん、こいつとはここの所どうよ」
僕の心をよそに会話を続けるトモヒロ。
「円満な関係を築いていると思います。何より祐二さんは優しいです。私の液晶に傷がつくことを避けてくれたり、充電を欠かさずしていただいたり。」
サツキの前世を知っているトモヒロは安堵の笑みを浮かべた。
「それはよかった。一応俺が君が生まれるきっかけになったんだし。パパとでも呼んでくれていいぜ」
「それについては感謝しています。ですがわたしを形作ったのは現実には祐二さんです。それについては誤解なきように」
僕の心情を察してかそれとなしにツンとする態度を示してくれるサツキ。
「でもそれってなんだか彼女というより親子みたいだな、祐二が世話をする感じで生まれたのか」
「確かに最初はそうだけど、今はこう、彼女みたいなんじゃないのかな」
言いながら僕自身わからなくなる、靄は歯切れを悪くするのに一役かってでていた。珍しくサツキも答えを出せずにいる。
調度よくトモヒロのスマホが震える。
「あぁ、彼女から連絡がきたから行ってくるわ」
そういうと片眉を下げながら少し申し訳なさそうに去って行く。
サツキと僕の間には沈黙が残された。恋人とはなんなのか。僕自身うっすら気づいていたことを指摘されたからだ。サツキとの関係は彼女として見繕ったのは確かだけれど、実際は話をしやすい女友達や液晶越しに話している知人といった感じである。そこに恋心が芽生えたことなどなかった。
あくまでも便利な端末という認識の範疇を超えてはいない。
言葉にするともやは冷たく胸に差し込んでくる。僕は思い立った。
「今度デートにいきます」
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