Dear.クラーヴァル
「―――もう朝ですか」
サツキは嘯く。彼女は精密機械の塊だ。どこかに電子時計も入っているだろう。
しかし彼女は嘘をつく。それを僕が望むから。
彼女によって変わった若干綺麗になった部屋を眺める。
僕をそそのかした恋愛マスターである友人は「恋愛とは二人が付き合うまでの過程が一番重要。というか燃えるのだ」という。その舌の根が乾かぬうちに、彼は二股がバレた。目下は新しい恋を探しているとのこと。そのうち刺されるだろう。
彼の言葉には含蓄を感じるが意味はわからなかった。しかし僕とサツキも最初から今の関係になったわけではない。
僕には彼女がいたことがないということ、つまり彼女というのがどういうものかわからないということ。
最初のサツキは人格が破綻していた。
「あなたさまをお慕いしております」
「あんたと過ごす時間、きらいじゃないわ」
「あなた、私の前で音を立てて煮干しを食べないで!」
食卓に置いた端末からそんな言葉が飛び出たときはリコールを考えた。液晶に映る二次元的女性像が紡ぐ言葉は現実との乖離を否応なく感じさせた。だが面白半分で恋愛ゲームのデータや結婚三年目の妻というデータサンプルを学習させてしまったのは自分である。それぞれの個性がマイルドになる、と思ったら人格のるつぼのようになってしまうとは。そういう人もいると思えばそう思えてくるのだが、僕は人の粗を根掘り葉掘りする箱入り、幼馴染、妻がほしかったわけではない。試作品は廃棄される、よくあるSF的経験を実際に自分が積めるのは少しうれしい。。
こうしてつぎはぎフランケンは人生の墓場に埋められた。
二人目のサツキは慎重にチューニングした。
もてる知識を総動員し「僕が考えた理想の彼女」をつくろうとした。
つくるというのは間違いかもしれない、学習するものを設定したのだ。恋愛マスターの談やネット上の体験談、恋愛話のデータを読み込ませた。
その結果、メイドになった。
「朝ですよ、ご主人様」何度目かの朝を迎えたとき、僕は唐突に飽きた。
「バランスのいい食事をとりましょう、今日の夜の献立はアユの煮つけとナスのお浸しです。それと残高と今月の出納をもとに今後買うべき食品リストを作りました」
「今日も寝る前に小話をしましょう。あるところに―――」
想像とは違ったが、最初のほうは友人へとのろけ話を持っていったりもした(変なものを見る目で見返されたが)。しかし、慣れてくると不思議なものだ。面倒くさくなってくる。
ネットに浮かんでいる恋愛話に類するものは大体妄言ということを知った。メイドの仕草や所作から、興奮して鼻息荒くするどこかの誰かの顔が脳裏に浮かぶ。
みんなの考えた理想のメイドは解雇された。
三代目サツキは僕自身から生まれた。
一週間ほど僕自身を常に観察してもらった。僕というものを学習できるのはネット上ではなく僕の手の中だ。彼女にはまず僕を知ってもらわねば。その学習のために僕は時間を費やした。小さいころにふくらはぎにやけどをした話。八重歯が頻繁に下唇に刺さる話。来週の日本放映の映画の話、カラーボックスの壊れやすさの愚痴。ベッドカバーの洗う周期の話。そういった話をすると、話題を広げる種をネットの海原から探してくれる。彼女は同じ経験を共有してくれているようだった。天使の声か悪魔の声かわからないが、僕と彼女でしかできない会話がそこにあり、そして、僕はのめりこんでいった。そして液晶の中に虚像を浮かばせるのもやめた。空々しく思えてしまうからだ。
「トリュフォーの幼年期とあなたの幼年期の違いをまとめて、レポートにしましょう」
「雑菌がお気にならないのでしたら不衛生ではありますが、二週間に一回程度の洗濯でいいとおもいます。それよりも日干しをするかが重要です」
「今日は寝坊したのでブランチにしましょう。冷蔵庫のなかのうどんと賞味期限が二日すぎた卵。あと、そこの本棚にこの前置いた一味唐辛子があるのを忘れないように」
「おやすみなさい、あしたは定刻に起こしましょうか?」
昏い液晶は僕を映すが返ってくる答えは僕の望み以上だった。
「――もう朝ですか、―――さん」
彼女が僕の名を呼んだのもこのころからだ。
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