第6話

 篠崎先生が中嶋さんと話しているのを見た日から、私が先生を見かける度に二人は一緒に居る。そのせいで話せない。もちろん一人でいるところを見かけることもあるのだけれど、話そうとすると変に意識してしまって声がかけられない。そんなふうに思っているうちに一週間が過ぎてしまった。私は週末を悶々として過ごした。

今週で先生が学校に来て三週間目になる。教育実習は金曜日に終わってしまう。そう思うと一週間全く話せなかったことが妙に寂しい。私はいつも図書館に入り浸っていたが、先生が図書館に立ち寄ることは無かった。


 先生と話せずに三日が経った木曜日、私は薄暗くなった廊下をひとりで歩いていた。例のごとく図書館にいたのだが今日も先生は来なかった。明日で会えなくなってしまうというのに挨拶の一つもかわせていない。

「はぁ」と一つため息をついて靴を履き替え学校を出た。陽は山の陰に隠れて、既に星が見え始めていた。ぼーっと空を見上げて立ちながらこの虚無感はなんだろうかと考えていたら―――


「あれ、芳村さんじゃないですか?」


突然聞きたかった声が降ってきた。驚いて振り向くと、篠崎先生が立っている。

「せんっせいっ!」

口を開いた途端、私の涙腺は予告なくほどけた。悲しくもないのに涙が溢れる。滲んだ視界で先生が慌てているのが見える。


泣きながら私は自分の気持ちに気がついた。


「芳村さん!?何かありましたか?具合が悪いんですか?」

そんな先生の慌てた様子がおかしくて私は笑った。笑っているのに涙は止まらない。私が顔を伏せると先生は肩に手をかけて顔を覗き込みながら、

「大丈夫ですか?保健室で少し休ませてもらいますか?」

そう優しく聞いてくれた。私は首を横に振ると涙を流したまま顔を上げ先生の目を見た。

「せんせいっ」

まだしゃくりが止まらないままそう呼びかけると先生は少し困ったような緊張したような顔をしながら私の顔を見ている。私は必死にしゃくりを抑えながら

「私っ、せんせいのこと、せんせいのことが…すっ…」

「はい?もう少し落ち着いてからで大丈夫ですよ?」

「…っき!すきです!大好きなんです!」

そう言い切ると私は気持ちが収まらなくなって、わっという風に泣き出してしまった。涙で滲んだ視界で先生が今度は違った意味で慌てているのが見える。さんざん図書館で待たされたのだからこれぐらいは許されるだろうと気持ちのほんの少し冷静な部分で考えた。

すると先生は突然私の手を握って、

「とりあえず中へ入りましょう」

と言いつつ保健室へ私を引っ張って行った。


 少しの間保健室のベッドに座っていると気持ちが落ち着いてきて話せるぐらいになった。向かいに座って気まずそうな顔をして少し目線をそらす先生を私はしっかり見つめる。先生の戸惑いに比例するように私の心は落ち着いていく。


私は先生の隣に座り、

「お返事聞かせてもらえますか?」

ついに口を開いた。先生は首の後ろを掻きながら困ったような顔をしている。じっと見つめていると観念したようにはぁ、と息を吐き出してから、

「今は僕たちの関係は教師と生徒ですね?」

と言う。私は頷いて、

「はい。でも…」

「あ、待ってください。最後まで聞いて。」

私は自分の言葉を飲み込む。先生はゆっくりと思い出すように、独り言のように話す。

「最近出会ったある人は僕と同じ本が好きで。」

「僕と本の趣味が合う人を見つけたのは久しぶりのことなので、僕はその人に興味があるんです。」

そこで先生はいったん言葉を切る。私は息を潜めて次の言葉を待つ。

「だから明日が終わって、僕がその人と何のしがらみも無くなってから、それから今度は教師と生徒ではなくて対等な、新しい関係を二人で築きたいですね」

そう言ってからいつもの笑顔でこちらを見た。私の一度は収まった涙が溢れた。これはまだ許されるだろうかと先生の胸元に顔を寄せると、先生は遠慮がちに頭を撫でてくれた。


私の気持ちが静かになるまでずっと先生は優しく頭を撫でていた。

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