第2話
篠崎先生の初めての授業は5時限目の国語だった。
生真面目に板書をし、説明をする授業はわかりやすくはあったが少し退屈である。すると突然、クラスの生徒のひとりが
「センセーは恋愛とかしたことありますかぁ?ほらこれ恋の話だし、参考までに?」
と聞いた。授業の内容は森鴎外の「舞姫」だった。
たしかに恋愛は絡んでるけど、と笑い声と話し声のざわめきが広がる。ほかの子からも「私も聞きたーい」などとからかいの声が上がり、先生は困ったように黒板からこちらに向き直る。
ちらと後ろに立つ監督の先生の顔を眺めるが、苦笑いで返され逃げ道を失った篠崎先生はおもむろに口を開くと、
「そうですね、、、何度か付き合った経験がある程度です」
と答える。生徒達は「おー」という感嘆が上げ、またざわめく。はじめに質問を投げかけた子がまた、
「えー、じゃあ今は?彼女とかいないんですかぁ?」
と続ける。先生は肩を竦め
「えぇ、今は独り身です。いい人と巡り会うのを待ってます」
と答える。生徒の間からえー、もったいなーい、などと声が上がる。
「大学生なんてそんなものですよ、しかも僕はもともと男子校出身なので尚更ですね。では授業に戻ります」
そう言ってから板書に戻る。すると少しの間うるさかった教室もまた最初の静寂を取り戻した。
私は先生に彼女がいないということを意外に思ったが、少し単調すぎる授業と午後の陽気のせいで眠気に襲われ、そのまま寝てしまった。
帰りのホームルームが終わり、部活にも所属していない私は学校の図書館へ足を向けた。この学校の図書館はとても広く、別館として存在している。連絡通路を渡って図書館にたどり着くと司書の先生に声をかけられた。
「あ、芳村さん。いつも読んでた本の新刊、入ってるわよ」
「本当ですか!?楽しみにしてたんです。いつもの新刊のところですよね、早速借りますね!」
よく図書館に通っていた私は司書の先生とは仲が良い。
図書館に入り、新刊のコーナーに向かうとたしかにその本はあった。が、すでにそれは先客の手の中にあった。
「あれ、篠崎先生?」
意外な先客に思わず声をかけてしまう。すると本から顔を上げた先生は
「どうかしましたか?えー、と」
と言って少し考えるような顔をしたあと、私が答える前に
「あぁ、芳村さんだ。すみません、すぐに出てこなくて」
と私の名前を当てた。私が驚いて、
「なんで知ってるんですか!?まだお話とかしたことなかったですよね?」
そう言うと先生は少しキョトンとした顔をしたあと、
「あぁ、人の名前覚えるのだけは得意なんです」
とこともなげに言う。話したことも授業中に発言もしていない人間の名前を覚えるのは大変だろうと内心では思いながら「そうなんですね」などと言っていると、先生は思い出したように
「そういえば、僕になにか用事がありましたか?」
と話を戻してくれる。私は慌てて手を振ると
「あ、いや全然用事とかじゃないんですけど、私が借りようとしてた本を先生が読んでたのが意外で。私以外に読んでる人知らなかったので…」
「芳村さんもこの本読むんだ!?俺、この作家さんずーっと好きでさ。特にこのシリーズが好きで!読んでる人に会えてよかったなぁ!」
私の返答に意外なほどテンションの高い反応が返ってくる。自称が僕から俺に変わっていることも言葉遣いが急に変わったことにも気が付いていない様子で話す先生を見て、この人は意外なことが多いな、などと思っていると、先生は突然我に返ったようにはっとして
「ごめん、一人で盛り上がり過ぎたね。引き…ましたよね」
と段々と口調が真面目になる。その切り替えが面白くて思わず笑うと先生は照れたように首の後ろをかいた。先生が本を戻して立ち去る様子を見せたので私は咄嗟に
「ここで話してると怒られるので、場所移して話聞かせて貰えませんか?」
と誘ってしまった。先生はえ?という顔をした後に
「…時間とかは大丈夫?」
と聞く。てっきり辞退されるかと思っていた私はまた意外に思いながら、
「部活にも入ってないですし、夜中にならなければ親も心配しないので私は全然。」
そう答えると
「じゃあ付き合って貰おうかな!芳村さんの本の感想とかも聞かせてよ!」
と言って嬉しそうに笑う。その笑顔を見て
「じゃあ、学校のレストハウスにでも行きましょうか」
と私も乗り気になって場所を提案した。
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