死の観念的な性質について

@579799

第1話

人生において、女は一度しか死なないが、男は何度も死ぬ。

---Michel Houellebecq


死について、伊藤が最初に意識したのは、祖母が脳溢血で倒れた時だった。

まだ小学校低学年だった伊藤は、給食の時間に深刻な顔をした担任に呼び出され、わけも分からず教頭の車で県立病院まで送られた。スーツ姿の父に病室に連れられ、ベッドに意識不明で寝かされている祖母を見たとき、伊藤の中ですべてが腑に落ちた。その時点で祖母はまだ脈があったが、伊藤にとって祖母は死んでいるとしか思えなかった。死が祖母という肉体をもって、真っ白の不吉な病室に存在していた。祖母がその日の夜中にこと切れた瞬間、家族はいままで必死にこらえていたかのように、堰を切って泣き始めたが、伊藤は一滴の涙すら出なかった。悲しみという段階を越えた衝撃の中にいたのだ。何によって?祖母の不在によってではなく。死の現前によって。


それからというもの伊藤には、自分以外のすべての人が死の淵に腰かけているように思えた。あらゆる人が明日には屍となって現前するように。しかし伊藤の意識は明瞭だったし、神経衰弱というわけでもなかった。死の現前という事態を除けば、伊藤は健やかだった。伊藤は自らを分析した結果、自分の死は予期できないし、実感もできないということに気づいた。伊藤にとっても、すべての人にとっても。


十八歳というのは往々にして、少年にとって最も象徴的な一年になる。そのとき伊藤は、父の転勤に伴い、パリのリセの生徒で、ヴァカンスに来た地中海の浜辺で太陽に焼かれていた。ブロンドで胸の大きい同級生が伊藤を泳ぎに誘った。彼女は軽い女でタイプではなかったが、断るのも面倒なので伊藤は誘いに乗った。伊藤から見れば、女の体はとうに腐敗していた。深いところまで泳ぎ人が少なくなったのを見計らって、女は伊藤に絡みついたり抱き着いたりした。伊藤は振りほどくのに苦心しながら早急に浜に上がった。


あたりを見回すと人目に付かない岩場まで来たことが分かった。遠くに人影が見えたが、声は聞こえなかった。濡れた皮膚に鋭い太陽を感じた。潮で目がしみ、海水を飲んだせいで喉が渇いていた。感覚は最大限に澄んでいた。女は髪に張り付いた汚らしい藻を取り除こうとしていた。その瞬間伊藤は、自分の中に猛烈な熱源のようなものが発生するのを感じた。そして性に対する意識が完全に目覚めた。ブロンド女の、ルネサンス絵画の女性のように官能的で美しく、完璧な調和のとれた熟れた桃のような、その肉感的な何かを所有したいと、所有しなけらばならないと思った。伊藤は女の唇に嵐のように接吻をした。船を沈め、船員を殺し、海の精霊さえ恐怖させる嵐。穏やかな浜辺の唐突な嵐。女はしばらくはありきたりな驚きに呆然としていたが、すぐに普段通りの尻軽に戻って伊藤の背中に両腕を回した。


揺れる女の身体越しに、水平線の近くの一群の雲が見えると同時に、伊藤は初めて自らの死を予期した。揺るぎない直感として、稲妻のように訪れたその感覚は、かつての祖母の死の現前のように伊藤を無力にするものではなく、むしろ生へと鼓舞するものであった。激しく震え、衝動が彼を突き動かすの同様に、伊藤は情熱を突き動かした。女は既に息も絶え絶え、伊藤の上に倒れこんでいた。この行為は女の命のためではないのだ。伊藤は叫んだ。

「尽き果てたとしても!もう一度、もう一度!そして永遠に!」

風が吹いた。波だった。内臓すべてが液体とペーストになって体外に排出されるように感じられた。移ろう意識の中、非現実感のせいで弱々しく動く腕で、女を抱きしめた伊藤は、女の表情を確認する間もなく、幸福に包まれた。

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