骨董品店『プライム・アーカイバ』

【1】

 ようやく店の片付けが一段落ついた。それでも作業すべき全体量からすれば僅かなものだ。これは本格的に人手が要るな、と思いつつ、休憩のためにコーヒーを淹れる。もとからここに道具が揃っていたのは幸運だった。もしかしたら商品だったのかもしれないが、私が使ったこの瞬間からこれは道具という本来の在り方に戻ったのだ。彼女からの電話があったのはその時だった。

 彼女の話によると、彼女の生徒が妙な本を拾ったらしい。その鑑定をして欲しいという話だった。確かに本は好きなのだが、その手の専門知識は無い。しかしながら妙な本と言われればどうしても興味を持ってしまう。私の知識では何も分からないだろうという事は伝えたが、それでも見るだけ見て欲しい、と言われれば断る理由はない。


【2】

 骨董品店に向けて歩行する。後ろには生徒2名。いかにも男子高校生らしい話題で盛り上がっているようだ。それにしても骨董品店に居るとは思わなかった。しかし昔のことをよくよく考えてみると、彼女はそういう古めかしい物が好きだったような気がする。この本も彼女の興味の範囲に含まれるのだろうか。歩きながら本を観察してみたが、見れば見るほど奇妙な本だ。そして何より、不気味な感じがする。具体的にどこがどう不気味なのかは判然としないが、私の直感は明らかに良くないものを想起させている。それとも冷たい秋の風がそうさせているのだろうか。


【3】

 骨董品店に到着したのは辺りが薄暗くなってきた頃だった。

「ふーむ、なかなかボロい店だな。」

 ついうっかり、思ったことを口に出してしまう。

「お前なあ、なんの躊躇いもなくそんな事言う奴があるか。」

 すかさず熊田が意見した。さて、先生の話だとここに本の専門家のような人が居るらしいのだが…。

「いらっしゃーい。」

 店の中から女性の声がした。一瞬遅れて声の主が姿を現した。

「来たよ、秋雨。」

 先生はいつにも増して最低限の言葉しか発しない。秋雨というのがこの人の苗字なのだろう。

「こんばんは。二週間ぶりくらいかしら。」

「たぶん。」

 秋雨さんは、紺とも黒ともつかない色の服を着ていた。黒く、長めの髪も相まって夜と混ざりそうな感じがする。そして彼女の眼は儚げで、その奥には底知れぬ何かがあるような気がする。

「これが例の本なんだけど。」

 音無先生が本を手渡す。

「どれどれ。」

 秋雨さんはその本をじっくりと観察している。そして本を開き、ページをめくり始める。しかしその手はすぐに止まった。やはり最初の方のページしか開かないようだ。

「ふむ、これを調べるのにはそれなりの時間がかかりそうね。」

「鑑定できるの?」

「できる範囲でやってみるわ。」

 彼女はそう言うと本を机に置いた。そして少し首を傾げてこう言った。

「ところで鑑定料を貰いたいんだけど。」

「え…。」

 俺、熊田、そして先生はほぼ同時に互いを窺(うかが)った。視線が交差する。割り勘か、割り勘ってやつなのか。それは勘弁して欲しいところだ。俺たちが沈黙していると、秋雨さんが口を開いた。

「えーと、持ち合わせがないならこの店の片付けを手伝うってのはどうかしら?」

 当然、選択の余地は無かった。

 結局俺たちは翌日、鑑定料として片付けを手伝うことになった。折角の休日が台無しである。


【4】

 ああ、明日は肉体労働か。そんなことを考えながらいつものように布団に入った。明日は少し早めに起きよう、日課の太極拳は欠かせないから。俺はすぐに眠りに落ちた。

 何かの文字が見える。おかしいな、目はしっかり閉じているというのに。そうか、これは夢なのか。漢字に平仮名、アルファベットやアラビア数字、ギリシャ文字︙知っているのはそれくらいで、見たことのない文字もあるようだ。こういうものを見ていると頭が痛くなる。この痛覚は本物なのか、やけにリアルに感じられた。俺はベッドから落ちて頭でも打っているのだろうか。

 眼前を漂う文字は水槽に入れられた魚のようだ。その文字群の中から、ある文字列が浮かび上がった。でもそれはよりによって読めない文字で、読もうとしたが徒労に終わった。文字列が光り輝いて︙

「うう…うん?」

 目が覚めた。どうやらベッドからは落ちていないようだ。

「やれやれ、なんだったんださっきのは。」

 ひとり毒づいてまた目を閉じる。今度は妙な夢を見ないことを願いつつ、俺は眠りへ落ちていった。


【5】

 気が付くと私は幻灯の中に居た。そのように錯覚させる光景が目の前にあった。ところどころに4~5メートルの大きな直方体や、ひたすらに広いだけで高さがない噴水のようなもの、そして数段しかない階段があった。非常に高い天井はドーム状になっている。そしてここにある物全てに投影されている幻灯が、この世界の象徴と思われた。それはパステルカラーより彩度の高い中間色で、無数の三角形と四角形によって構成されていた。おそらく深い紺色と思われる天井ではオーロラのように揺らめき、おそらく白い床や構造物では表面に貼り付いていた。私はこの世界を歩いていた。意味もなく、目的もなく、時々立ち止まりながら。

 これは私がベッドに入ったあとの出来事なので、おそらく夢であろうことはすぐに分かっていた。しかし途中で秋雨ツミカを見かけた時、なぜか彼女を追いかけなければいけないという義務感、使命に似たものを感じた。階段を飛び降り、疾走し、必死に追いかけたが結局最後までそれは叶わなかった。

 置いて行かないで欲しいと願ってしまったために、夢が終わってしまった気がした。どうしてそんな事を思うのか。因果関係やロジックが破綻しているのは、やはり夢だからなんだなと、寝ぼけた頭で納得して再び眠ることにした。まだ朝は遠い。


【6】

 この季節の朝は独特の寒さを感じる。空気が澄んでいる気がする。ゆっくりと体を起こし、ベッドから抜け出す。暖房だ、暖房が欲しい。すぐさま暖房のスイッチを入れ、日課の太極拳を始める。しっかりと目を覚ますためにはこれが一番だ。

「うおお。」

 起きてすぐ動かしたせいか、時々関節が音を立てる。そういえば昨日は妙な夢を見たんだったな、と記憶を辿る。5分ほど回想していたが、その夢の内容はほとんど忘れてしまっていた。約束の時間まではまだ余裕がある。ゆっくり朝食をとることにした。


【7】

 再び骨董屋に来たわけだが、昨日と変わらずボロい店のままだ。周囲は朝靄に包まれていて、そのせいか店が怪しく見える。

「お、マサヒロか。意外と早いな。」

「よう熊田。なんかお前眠そうだぞ。」

 熊田の表情を読み取るのは難しいが、今の熊田はあからさまに眠そうにしている。

「実は昨日、妙な夢を見てしまってな。」

 こいつもか。

「ふむ、どんな夢だったんだ?」

「それがはっきりとは覚えてないんだがな…えーと……………」

 熊田は片手で頭をおさえ、そのままの格好で数秒停止した。そして

「すまん、忘れた。」

 と言ったのだった。

「俺も昨日は変な夢を見たんだ。偶然って怖いぜ。」

「偶然、なのか…?」

「偶然以外のなんだって言うんだ。俺だってたまには夢くらい見るぞ。」

「む、そうか。ところで店主はどこだ?」

 俺は周囲を見渡すがそれらしい人影は見えない。仕方がないのでしばらくその辺をうろつく事にした。

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