第12話「辛いときにこそ気づける事」

「それではパン作り教室を開始しまーす」


 林間教室の方がそう宣言し、ついにパン作りが始まった。

 各十人ほどの班に分かれているが、悲しきかな、俺の周りには班の仲間はいない。

 当たり前のように孤立してしまっている。


「ははは、つらくなんかないぞー」


 自分にそう言い聞かせるものの、強がりである。

 班員の女子が俺をチラッと見て何か囁いている。

 やめておけばいいのに、聞き耳を立ててしまうことに何の罪があるだろうか。

 気になってしまうのは仕方がないことだろう。


「気を付けようね……。ただの変な人だと思っていたけど鬼畜らしいからね」

「怖いねー。ただの変人じゃないんだね」


 う……。知ってはいたが、鬼畜呼ばわりされているのを実際に聞くのは応えるぜ。

 というか、そもそもの変な人呼ばわりも結構つらいけど……。


 これには、さすがの一正も、もとい佐須駕野一正も。

 いや、今までつらいことから逃げてきた俺だからこそ。

 実際につらい現実に直面したとき人並み以上に動揺してしまう。


 だからあんなあり得ない失態を犯してしまうのだ。


「ではまず皆さん、強力粉、ドライイースト、砂糖、塩、バターを入れ、混ぜた後に水をいれてください」


(おっと、俺は一人だ。聞き逃したらできなくなっちゃうぞ)


 その時俺は瀬川さんの作戦のことをすっかり忘れてしまっていた。

 適当に振りだけをしていれば、その都度の完成品を香菜が持ってくるという『三分クッキング作戦』。

 そんな作戦のことはもう頭の片隅にも残っていなかった。

 そのくらい俺は動揺してしまっていたのだ。


「ご主人様、第一弾、持ってきましたよ」

 

 香菜は俺が作戦を忘れてしまっていることも知らずそのときの完成品をこっそり運んできた。

 つまり、強力粉、ドライイースト、さとう、しお、バター、それと水の入ったボウルを律義に運んできたのだ。

 

「ほら、何やってるんですか。早く受け取ってください。周りの人にばれちゃいますよ!」


「……あ、そういえばそうだったな」

 

 香菜が後ろから何度も囁いて、やっと作戦を思い出した。

 慌てて自分が作っていたものと交換しようとする。

 しかし、動揺や、焦りから考えうる一番最悪なことをやってしまった。


「あっ……」


 そんな情けない声を上げながら俺は振り向きざまに手からボウルを放してしまったのだ。

 宙を舞ったボウルはその中身を見事に香菜の方へぶちまける。

 そして地に落ちたボウルは大きな音をその周りに響かせた。


「……やっちゃいましたね、ご主人様」


 そこには、白い粉が混じった液体に汚れてしまった香菜が悲しい笑顔を浮かべて立っていた。


 その後は言うまでもなく、地獄であった。

 鬼畜の噂が流れている中、皆大好き香菜ちゃんにパンの材料をぶちまけた現場を皆に見られてしまったのだ。

 慌てて駆け付けた瀬川さんに連れられ、香菜は「すみません、一人で少し頑張っていてください」と言い残し、部屋から出ていった。

 シャワーを浴びたり、服を変えに行ったのかな。


 しかし、一人取り残された俺は頑張れるわけもなく、より一層班員にドン引きされた中、魂が抜けた状態で無心にパンを作った。

 結局、香菜と瀬川さんはパン作りが終わるまで戻ってこず、悲しみのパン作り体験はその幕を下ろした。




「終わった……。完全に鬼畜になってしまった……」


「まさか、香菜ちゃんにパンの材料をぶちまけるとはね。

 予想外過ぎて面白いを通り越してびっくりしちゃったよ」


 悲惨なパン作り体験の後、瀬川さんと香菜に連れられ、三人で反省会……というより慰めの会が始まった。

 

「すまんかったな香菜……。大丈夫だったか?」


「少し恥ずかしかったですけどぼくは大丈夫です。

 それよりご主人様こそ大丈夫ですか? 死んだ魚の目をしてますよ」


 そんな目をしているのか俺。

 でも仕方もないだろう、あの事件後「やっぱり鬼畜だったんだ!」とか、「やべえぞあいつ、あそこまでかよ!」などのひそひそ話に囲まれた。

 そんな中での作業は俺の精神を破壊するには十分だった。


「ははは……。もうどうにでもなれ」


「自棄になっているところ悪いけど、夕飯作りもシチュー作りになっちゃったらしいよ。ご飯じゃなくて、昼に作ったパンを食べるんだって」


「そっか。仕方ない仕方ない……」


 いいさ。

 どうせ今更うまい飯を炊いたごときで覆せる状況じゃないさ。


「で、でもご主人様! 雨も止んだのでご夕食の後にキャンプファイヤーが行われるそうですよ。

 そこで、パーっと騒いで嫌な事を忘れちゃいましょう!」


「すまんが、そんな気分にはなれないよ……。一人にしてくれ。

 それに、あんなことがあった後に俺とお前が一緒に騒いでたらまずいだろ」


「そ、そうですか。そうですよね。分かりました」


 いつもは強引にでも俺を引っ張いていく香菜も、今回の事には負い目を感じているのか、しおらしい。

 お前は何も悪くないんだがな……。

 でもすまない、俺の精神はもうボロボロなのだ。




 シチュー作りも夕飯も結局パン作りの班と同じであった。

 当然馴染める筈も無く、ずっと俺は一人孤独であった。

 なんて、惨めなんだろう。

 

 そしてあっという間にキャンプファイヤーの時間である。

 一般的な高校生だったら、ここで仲間と騒いだり、語り合ったりするんだろう。

 なんだったら男女の仲を深め、ロマンティックに告白……なんてこともあるんだろうな。

 そんな奴らは全員死ねばいい。

 俺はその輪から外れ、積み上げた木に燃え盛る炎を一人見つめていた。

 

「全然うまくいかなかったな……。やっぱ俺は人と関わるのへたくそだわ……」


 そんな風に自分の境遇を呪い、嘆いていた時だった。

 俺と同じように周りの輪から外れているやつがいるじゃないか。

 木のそばに一人でぽつんと座っている女の子がいる。

 親近感がわくなあ……。お前もつらいだろう。分かるぞ。

 ……ん?


「ていうか、あいつ、ぽぽちゃんじゃねえか!」


 


「おい、ぽぽちゃん。なに一人で座っているんだよ。

 さてはお前、俺と同じボッチだな!」


「げ、サッスガーノ……。一緒にしないで下さい。

 私は好きな人としか関わらないだけです!」


「じゃあお前の好きなやつと関わればいいじゃないか。

 ほら、香菜と瀬川さんならあっちでクラスの奴とよろしくやってるぞ」


「私はいいです……。邪魔したら悪いじゃないですか」


「ムム、さてはお前コミュ障だな! どうやって他の輪にいる香菜達と関わっていいか分からないんだな」


「な、何を言うんですか! ……いや、そうですよ。

 私は自分でも変な性格って自覚してるし、人付き合いは苦手です。

 でも別にそんな自分が好きなんです。別に周りからなんて言われてもいいです」


 そう言って、ぽぽちゃんはプイッと顔を背ける。

 しかし、その何気ない言葉は俺にとってなかなかの衝撃であった。

 何故ならば、俺は普通に周囲と馴染めない自分が大嫌いでとても恥ずかしかったからだ。

 俺は周りの目ばかりを気にしている。

 確かにぽぽちゃんはクラスから孤立しているかもしれない。

 しかし、自分の好きな事は好きと言い、俺と違って周りの目なんて気にもしない。

 なんて強いんだろう。俺はそう思った。


「ぽぽちゃんはすごいんだな」


「急にどうしたんですか。調子狂っちゃいますよ」


「俺は本当は友達がほしい、というより、周りからの視線を気にしているだけなんだよ。

 普通に友達がいるという当たり前なことができる俺でいたいだけなんだ。

 でもお前はそんなことにぶれない、しっかりとした芯があってすごいなって思った」


「……別にいいじゃないですかそれで。そんなの当たり前ですよ。

 私だってそういう気持ち少しはありますよ。

 それに本当に友達がいないんですか?

 香菜さんと夏芽さん、そして私はもう友達じゃないんですか?」


 これは、夜深い時間に燃え盛る炎を少し離れた位置から見つめるという非日常的な状況のしからしむることだろうか。

 何となくいつもより、ぽぽちゃんも俺も饒舌になってしまっている。

 でもお陰で気持ちは固まっていく。


「ぽぽちゃんの言う通りだ。せっかくできた友達を避けてる場合じゃないよな。

 そうと決まれば、足跡部でパーッとやるか!」


「え、でも私達と違って人気者の香菜さんと瀬川さんは多くの人に囲まれちゃっていますよ」


「何言ってるんだ。引っ張りだそうぜ。俺にまかせろ。

 今日で俺の地位はもう底辺まで落ちたんだ。もう何をやっても怖くないぜ」


「何だか、ふっきれたみたいですね。じゃあ私はここで待っているので頑張ってきてください。

 あ、カメラ準備しなきゃ……」


「何言ってるんだよ。ぽぽちゃんも一緒に行こうぜ」


 そう言って俺はぽぽちゃんの手を取り香菜と瀬川さんの方へ向かう。

 ぽぽちゃんは抵抗するが、お構いなしだ。

 正直、俺はこの特殊な状況にあてられて変なテンションになっていることを自覚している。

 でもいいじゃないか。今が楽しと感じているのだから。


「おーい、香菜、瀬川さん、足跡部で騒ごうぜ! ぽぽちゃんも連れてきたぞ!」


「一正さん! 元気になったんですか? 心配してたんですよー」


「佐須賀野君、やっと分かってきたね。ぽぽちゃんのお陰かな?」


 俺は「一人にしてくれ」と言って、せっかく元気づけてくれようとしたこの二人の誘いを断った。

 にも拘らず、こちらから寄り添えば何も言わず笑顔で迎えてくれる。

 そんな二人はもう既に友達以外の何物でもない。


「やめときなよ、夏芽ちゃん、香菜ちゃん。また何されるか分からないよ」


 周りの人は心配して俺についていくのを止める。仕方のない事だろう。

 でもそんな声に今更動揺することはない。


「はっはっはー。逆についてこない方が何するか分からないぜ! ほら行こうぜ」


「……! なんて鬼畜なの……!」


 蔑んだ目を向けられながらも強引に香菜と瀬川さんを連れていく。

 そして林間学校で初めて足跡部の4人が揃った。


「佐須駕野君、ふっきれすぎ。おもしろすぎるよ」


 瀬川さんは爆笑しながらそう言う。


「ご主人様、あんなこと言ったらますます状況が悪くなっちゃいますよ!」

 

 香菜は俺の心配ばかりをする。


「サッスガーノというあだ名はそのうちきっと、キッチクーノになりますね」


 ぽぽちゃんはいつものように俺をバカにする。


「まあ、何とかなるって。そんなことより聞いてくれよ。ぽぽちゃんもボッチだったんだぜ!」


「え、そうなの? じゃあ第三回目の足跡部の活動はぽぽちゃん脱ぼっちにする?」


「必要ないです!!!」


 ぽぽちゃんは顔を真っ赤にしながらそう叫ぶ。

 俺と瀬川さん、そして香菜もその掛け合いに大いに笑う。

 こんなくだらない会話をキャンプファイヤーが終わるまでずっと繰り広げた。

 4人で大いに笑いあったこの時間は、本当にとても楽しかった。


 確かにこの林間学校では全く作戦通りにいかず、俺の状況は悪い方向へばかり向かっただろう。

 でも、いいじゃないか。

 俺にはいつの間にかすごくいい友達が三人もできていたのだ。

 


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