四章 彼が旅立つ前に
第48話 健全と害悪の二律背反
怒涛の一ヶ月だった。俺だけが何も知らなくて、ただのうのうと過ごしてきたと思うと、それがとても情けなくて、嫌になるくらいだった。つい最近になって、ことの真相をすべて聞いた。初めは信じられないことだったが、みんなしてこの俺を騙そうというわけでも無いらしい。
「・・・ここにいたのか」
本当に、つくづくどうしようもない話だ。気づいたときにはもう、お前がどこかへ旅立ってしまう、運命の日になっているんだから。
「・・・健二」
当然、話したい事も沢山あるが、俺は最初に、おもむろに右手をポケットに入れて、火、くれるか?と頼む。こいつはライターで、そのまま俺の煙草に火をつける。
「何年ぶりだ?」
ふーっと煙を吐きながら、俺は尋ねる。お前とこうやって二人だけで吸うのは、相当に久しぶりな気がした。
「さぁ。随分と久しぶりではある」
「・・・旨いな」
ああ、とこいつは頷く。二人で煙草を吸えたことが、何故だか嬉しかった。
「何しに来たんだ?」
煙草を吸い、一段落すると、こいつは意地の悪い質問をしてくる。ったく、こんな日に会いに来たんだ、分かっているくせにな。
「こうしてお前と話せるのも、今日で最後になるかもしれないんだから。それとも何か?こんな日くらい、一人でいたかったか?」
「いや」
こいつは即答する。俺が来てくれて嬉しかったと。
「時間はないだろうが、俺と話す時間は、ほんの少しはあるだろ」
「そうだな」
「・・・まだ」
不思議なもので、時間がないと分かっていても、もはや日常の一幕ではないとしても、言いにくいことはやはりいつでもいいにくい。
「まだ、千尋のこと、悔いてるか?」
こいつはすぐに回答しない。
「・・・どうかな」
「・・・そうか」
俺は人の心情を察することは苦手だ。まぁ、個人的には、それが人間らしくて、逆に人の心を読めすぎる奴の方が、よっぽど怖いとは思っているんだが。それでも、今日この時くらいは、こいつの気持ちをしっかり汲んでやって、最も適した言葉を送りたいと思った。
適当に聞き流してくれていい、と僕は前置きをし、誰が何と言おうと、と重ねる。
「俺は、お前は悪くないと思ってる」
「・・・ありがとな」
本気だった。俺は本当に、こいつには非がないと、ずっと思っていたから。
「・・・本当はな」
最後だって分かっているのに、いや、最後だって分かっているからこそか、話したいことは沢山あっても、それを上手く言葉にできない。
「本当は、お前を止めようと思ってここに来た。でも、お前のその顔、すっきりとした、覚悟を決めた顔、それを見たら、止めることが馬鹿らしく思えちまったよ」
そう、本当は、いろいろなことを言って、こいつを止められたら、そう思っていた。もしかしたら、他にもっと合理的で、理想的な方法があるかもしれないから。
「・・・行くんだろ」
「・・・ああ」
「だよな」
それなのに、俺は最終的にはこいつにあてられて、覚悟ある顔なんて言ってしまって、結局はこいつの歩みを促している。
「・・・今日は邪魔して悪かった。じゃあな」
最後には謝ってすらいた。何もできなかったことも含めて。やっぱり、行っていしまう人間を止めることは、女の役目だって、相場は決まっているんだろうか。男の俺じゃ、どうしても力不足だったよ。
俺にお前を止めることはできなかった。覚悟を決めた奴っていうのは、良くも悪くも、格好良く見えるもんなんだぜ?ふらふらと生きている俺よりも、お前はよっぽど美しい。
ったく、煙草と同じだ。体にとっては害だらけの煙草。正直、何でここまで俺が好きになったのか、一体いつから吸っているのか、今まででどのくらい吸ったのか、正確なことは何一つ分かりゃしないが、俺はこれからも人に何て言われようと、吸うのは止めないだろう。喫煙者っていうのは、当然煙草の害を知っていて、吸ったら命が縮まるってことも分かっている。俺たちは、吸ってはいけない、というモラルに葛藤しながら、快楽を欲したいという欲求に従う。
つまりは、その二律背反、ま、言葉が合っているかは定かじゃないが、それを楽しんでいる変わり者ってことなんだろう。そんな変人の俺に、そもそもお前を止めることなんてできなかった。俺はお前は止めたいと思いながら、そのまま何者にも縛られず、自分の道を歩んでほしいと、そう思っていたんだから。
知ってたか?言ったことは無かったが、お前は俺の憧れだったんだぜ?
「・・・けっ」
しっかし、煙草の吸いすぎってのもよくねぇな。煙が目に沁みやがる。
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