第49話 真っ白な糸で己を支えて

「あ」

私はがちゃ、と鳴った扉の音を聞いて、わくわくしながら心を弾ませる。真紀、と彼は驚きつつも、家に不法侵入した人が私で、少し安心しているようだった。

「遅かったね。どこ行ってたの」

空けているのは自分の家なんだから、どこに行こうと彼の勝手とは分かっていたけれど、つい流れで聞いてしまう。近くの公園だって。何しに行ったかまでは聞かなかった。

「ちょっと話したかったから」

私はこんな風に話し始める。ちょっとな訳ないのにね。私が家に来た理由を説明した後、彼は私を邪険に見ることもなく、テーブルに目を向けた。これは?と不思議そうに聞いてくる。


「待つのも暇だったから、作っちゃった」

なーんて。まるで、咄嗟に思いついたみたいに言ったけど、本当は最初からこのつもりだった。食材も私が家から持ってきた。

「料理、できたのか・・・」

ふふ、驚いてる驚いてる。私、気づいていたんだよ?みんなが私の料理のこと、殺人兵器並みだって言ってるの。・・・まぁ、本当につい最近だけど、気づいたのは。

「女の子っていうのはね、陰で努力してるんだよ?」

料理ができる、って、やっぱり魅力の一つだからね。でも、やっぱり好きと上手ってなかなか比例しないね。私、すっごい頑張ったもん。手、絆創膏だらけになっちゃったし。

「感心するよ」

「ありがと!」

褒められた。悪い気しないね。


 彼は食べてもいいか、って聞いてくる。当然の流れで、冷めてしまわないように、食べてもらうのは今がタイミングとしてはベスト。分かっているけど、私は待って、って制止する。

「・・・?」

妙な表情を浮かべる彼。私は小さく深呼吸をして、覚悟を決める。


「ま、真紀・・・?」

どっくん、どっくん・・・。心臓が高鳴る。この鼓動、多分彼にも伝わっている。だって、私は彼をぎゅっと抱きしめて、顔を胸板に埋めているんだから。


 あぁ~、恥ずかしいぃ・・・。緊張する・・・。顔が真っ赤、熱い、自分で分かるくらい、火照ってる。でも。


「私ね・・・」


 でも、今なら言える。いや、逆に、今しか言えないんだ。


「決めてたんだ」


 落ち着いて、ゆっくり、一言ずつ、私は言葉を形にする。


「初めて料理を作るのは━」


 ゆっくり、丁寧に。


「私が好きな人だって」


 私が手料理を作ったのは、あなたが初めてだった。あの時はまだ、全然な腕だったけどね。


「ねぇ」


 ふー・・・。今度は大きく、深呼吸をする。


「私、あなたが好き」


 どっくん、どっくん、どっくん・・・。言えた、やっと言えた、やっと・・・!今までの人生で、何よりも緊張した。言う前も、言った時も、言った後も、心臓の鼓動は収まらない。良かった、顔、上げてなくて。こんな真っ赤な顔、見せられたものじゃないから。


「ふふ、びっくりした?」

私は彼から離れて、無邪気に笑ってみせる。暖かかったな、彼の体。男らしくて、安心して、気持ちが良かった。

「・・・ああ、びっくり、した・・・」

彼の声がたどたどしくなって、彼の顔が照れくさそうに赤らんでいる。それを見て、あ、照れてくれる、って、私のことを、女として見てくれている、って、嬉しくなる。気分が高まる。ドキドキしてる、感じてる。

「ねぇ」

ダメだ、止まらない。もう、気持ちが、収まらない。

「私のこと、抱いてくれないかな?」


 興奮する。心の叫びがうるさくって、苦しくって。私の体は発情し、もう一度、彼に迫る。

「お願い」

緊張の汗が滴る。こんなに自分から攻めたことなんてないから。でも、今日しかない、今しかない。今しかないんだから・・・。


「えっ」

私は驚きの声を漏らす。彼は私の両肩を掴んで、ばっと腕を伸ばして私を体から引き離す。その行動は、ちょっとだけ、ほんの、ちょっとだけ、悲しかった。

「・・・なんてね、やっぱり、だめかぁ」

ううん、だいぶ、悲しかった、そして、悔しかった。

「私はまだ、千尋に勝てないんだ」

彼女には、何一つ勝てなかった。そして、彼女がいなくなった今でさえ、私はまだ勝てない。・・・私じゃ彼の、大事な人には・・・。


「・・・っ!?」

真紀。耳元で、彼の声がする。急だった、びっくりした。この上なく、一番。彼は突然、荒々しく、らしくなく、私を抱きしめてきた。

「確かに、僕はまだ、あいつのことを引きずっている。だから、お前の気持ちには応えられない。でも・・・」

自分から抱きしめた時より、何倍も緊張する。抱きしめられる、って、物凄く、ドキドキして、そして、心地いい。

「ありがとう。嬉しかった」

・・・はぁ、私もちょろいな。ちょっと感謝されただけで、嬉しい、って、気分、良くなっているんだもん。

「・・・ばか」

私はせめて、言葉で反抗する。


 ・・・いいよね、私からじゃないだもん。彼の方から抱きしめてきたんだから。だから、少し長くてもいいよね・・・。少しだけ長く、触れ合っていても、いいよね・・・。


 時間にして5分くらいかな、本当はもっと抱きしめられていたかったけど、流石にこれ以上はね。私は謝りながら、彼の体を離れる。

「そろそろ、帰ろうかな」

未練、残っちゃうし。彼にも迷い、生じさせてしまうかもしれないし。私は、私にしては珍しく物わかりの良い決断をする。そしたら、彼は、あ、と言って、一口もらっていいか、と言ってきた。そうだ、すっかり忘れてた、料理、作っていたんだった。もう冷めちゃったかな。


 あ、と私は妙案を閃く。一口の意味、当然、料理のことだろうけど、目的語が無かったのなら、私、勘違いしてもいいよね?


「はい、一口」

柔らかい、そして、暖かい。私はつま先立ちをして、少しだけ背を高くして、彼の唇と私の唇を重ねた。呆気に取られる彼の顔も、可愛かった。

「私、まだ諦めないからね」

と、宣戦布告をした後、今度、感想を聞かせてと言った。今度の部分を少し強調する。会えないはずがない、また今度、会えるに決まってる。

「料理の味と・・・」


「・・・私の、ファーストキスの味」


 私は彼の家から出ていった。最後の最後、自分でも信じられないくらい大胆になっちゃった。恥ずかしくてたまらないけれど、良かった、自分の気持ち、全部さらけ出すことができて。私は夜中、暗闇の中、一つ物思いにふける。


 きっと、私と彼は赤い糸で繋がっていない。だったら、私は白い糸になろう。例え、赤い糸でつながっていなくても、彼を支えることができるくらい、立派な純白の白い糸に。

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