第51話 木に吹き荒ぶ風のよう

 足音がする。何だ?処刑時刻はまだ先、その前の搬送にしても少し早い気がするがな。そんな風に思い、聞きたくもない看守の声を聞かないといけないのかと、憂鬱になろうとしたところだった。

「よぉ」


 ・・・!その声は、あまりにも聞き慣れていて、そして、ウチの気持ちを一気に高ぶらせる。たった一言の声だけで高揚するなんざ、随分と貞操が緩い気もしていただけたもんじゃねぇが。

「まったく、どの面さげてここに来たんだか」

だけどウチは、照れ隠しで言っちまう。ったく、素直じゃねぇな、って、いつもいつも思う。ウチは続けざまに、よくもまぁ、ウチの前に顔を出せたもんだ、なんて、悪態をついてしまうんだからな。


 この牢獄は、別に立派なモンじゃない。それが証拠に、こうしてこいつも入ってこれるワケだし。最近はあまり見てなかったから、てっきり止めたと思っていたのに、誘惑に負けたのか、それとも験担ぎか、煙草の香りがする。ウチが煙草嫌いなこと知ってるだろうよ、とは思いつつ、ここは何も言わずに、ただこいつに座るよう促した。


「ここに来たってことは」

ウチはそう言って話始める。このひと月のことは渚から聞いていた。初めてあいつを見たときは、猫になってて驚いたが、逆にその姿のおかげで、ここにも簡単に潜入できるらしく、ウチはいろいろな情報を手に入れた。そう、こいつがもう、行くっていうことも。


「他のみんなには会ったのか?」

と、ウチは少し期待をして聞いた。すると帰ってきた返事は、期待ハズレの、是の答えだった。とっさに、ウチだけに会いに来たわけじゃないんだ、なんて、ジェラシーの言葉を吐いまって、少し顔を赤らめる。こいつは、悪い、と一言だけしか言わなかったから、ウチの機微に気づいたかは分からねぇな。


「・・・渚にも、か?」

もし、今回のことで一番被害を喰ったのは誰かと言われれば、渚だろう。あいつは人間じゃなくなっちまったから。それでも渚は、こいつのことを恨まない。何も、悪く言わない。分かっていた、渚がそういう奴だって。案の定、渚はこいつのことを悪いなんて思っちゃいない。・・・そして、ウチだって。


「お前は悪いだろ」

だけど、ウチはそれでも自分の気持ちを裏切って、悪態をつく。渚が猫になって、ウチが死刑囚になったことは、全部お前のせいだと言って、文句を垂れ流す。本当だったら、ここで一言、それでもお前は頑張ったけどな、なんて言えたら、こいつも少しは救われるのかもな、なんては、心で思っちゃいるんだが。


「すまなかったな、本当に」

加えて、こいつもこいつで、すべて悪いのが自分で、償いのしようがない、なんてトーンで言いやがるもんだから、ウチもひねくれて、謝るだけでいいのならいいよな、みたいなことを言っちまう。結局のところ、ウチは出来ねぇんだよ。自分の気持ちを伝えることなんてな。


「・・・本当なんだろうな」

自分の気持ちも伝えられねぇウチだが、これだけは一つ、聞いておきたかった。本当にお前は帰ってくるんだろうな、と。

「・・・」

・・・ちっ。返事は、ある、だった。帰ってくる見込みはある、と。でも、その言い方、間の空き方、全部が一つの答えを示していた。くそっ、なんだよ。柄にもなく、泣いちまいそうだ・・・。

「・・・そうか」

ウチの返事も、時間がかかってしまった。


「・・・ま、いいや」

よくない。

「もし、お前が帰って来れなかったら」

そんなこと、あっていいわけがない。でも。

「ウチは先に待ってるから」

自分の気持ちを誤魔化すには何か言っておくしかなかった。


「・・・行ってくる」

あ。

いや・・・、いやだ・・・。

「・・・ああ、行ってこい」

嫌だって思っているのに、行かないで、って言いたいのに、ウチの口は、まるでこいつの師匠か先輩か、闘いを見守る先人のようにこいつを見送る。


 嫌だ、もっと話していたい。もっと、いっしょにいたい。声を聞いておきたい、こいつの存在を感じておきたい。そう思っている心とは裏腹に、ウチの口から言葉は何も出てこない。こいつは立ち上がり、足音が遠ざかる。


 おい、早くしないと、行っちまうぞ!ウチはそう自分に言い聞かせる。こいつの話からして、きっと、ウチが最後なんだろう。最後に会いに来てくれたんだろう。それなのに、ここでウチが何か余計なことを言って、こいつの心を揺らがせたらどうすんだよ、と、ウチは自分に反論する。成程確かに、その可能性はあるかもしれない、だが、それが一体何だって言うんだ。


 そう、ウチは女なんだ。だったら、好きな奴に一言、好きって言うくらい良いだろうよ・・・。結局、ウチはただの臆病者で、勇気が出ないだけってことだ。

「・・・くそっ」

足音も、すっかり聞こえなくなった。人の気配も、まるでしなくなった。

「・・・何だよ、ちくしょお・・・」

ウチは自分に呆れかえる。泣くぐらいだったら、全部心の中、さらけ出せば良かったじゃねぇか・・・。行かないで、って。側にいて、って。たった、それだけじゃねぇか・・・。


「・・・ぐすっ」

ウチは一人、静かに体をうずくまらせて、泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る