第34話 君がいない世界でも
千尋。
君がいない世界で、僕は生きてきたんだ。
みんなに助けられて、支えられて、どうにか生きてきた。
辛かった、きつかった。
君がいなくなって、君と会えなくなって。
それでも、生きてきたんだよ。
こんな僕が生きているのに、どうして君は、ここでも、向こうでも、そんな冷たいベッドの中で眠っているんだ。
くだらない。
奇跡、だと思った。
僕が生きていることよりも、皆が生きていることが、奇跡だと、そう思った。
まるでそんなこと、ないじゃないか。
君が生きていないならば、まったく意味がないじゃないか━。
「あら」
僕が、神社の賽銭箱の前でする願いよりも何倍も強い気持ちで、千尋に心で語りかけていたとき、後ろから一人の女性の声がした。勿論、千尋じゃない声が。
「珍しいお客様ですね」
僕が振り向くと、彼女は笑っていた。琴音、僕は名を呼んだ。
・・・あれ?僕は違和感を感じる。
「随分と久しぶりです。まさか、ここで会うなんて、驚いちゃいました」
本来なら、一番会う可能性が高いところでもあるんですけどね。琴音は説明してくれた。どうやら、彼女はちょくちょくここに顔を出していたらしい。だから、僕が最愛の人の墓参りを欠かさないで行なっていたならば、確かに会う公算は高いだろう。
「でも、あなたは来なかった。私、結構辛かったですよ・・・」
あなたがどれ程世界に絶望したか、想像すらできなかったので。そうか、この世界の僕も、結局は同じ行動をとったのか。僕は墓が嫌いだ。いや、嫌いというより、嫌いになった、といったほうが正しい。千尋が死んで葬式を挙げたが、墓なんて、と思っていた。所詮、気休めだと。いくら丁重に扱ったところで、彼女は蘇らないのだからと、そう思っていたから。
「どうしたんですか、今日は」
僕が聞きたい。ここに足が運ばれた、その意味を。しかし、そんなことを琴音に問いただしても仕方がない。僕は気まぐれだよ、と答えた。最愛に人の墓参りを気まぐれで行く、というのもドライな話ではあるが。
「気まぐれ、ですか」
琴音は僕の言葉を疑うように、ゆっくりと言葉を吐いた。ただ、その真意を図る気はしない。僕はずっと、琴音と会話していて、一つ妙に思うことがあった。
琴音は僕の親友で、彼女は前の世界では僕の目の前で死んで、僕はそれに涙を流した。そんな彼女が、僕の目の前に現れて、話して、笑って、生きている。僕は今の状況を心の中でなぞった。それなのに、そんな有り得ないことが起きてくれたのに、僕の心は一切、振るわない、躍らない。感動しない。
「・・・!」
そういえば、何気なくさっき思っていた。意味がない、と。無意味だと。もし第三者が僕の状況を知ったならば言うだろう、何て幸運だと。何せ、死者が生き返り、厳密に言えば違うが、ともかく再会したのだから。これを幸運とは言わずして何という?そう詰め寄られそうだ。
そうだ、確かにそうだ、と心で反復するも、やはりもう僕は認めてしまっていた。僕のこの次元超越の目的は、九分九厘、いや、もっと大きい割合で、千尋との邂逅、その一点に絞られていたのだと。それ以外のことは、些末なことだったのだと。嬉しさに震え泣きついたのも、演技、とまでは言わないが、所詮、社交辞令のような、内容のない、感情のない、薄っぺらなものだったと。
僕は、そんな自分に━。
「どうしたんですか。そんな、自分に絶望した、みたいな顔しちゃって」
・・・!まったく、何だって言うんだ。琴音、お前は精神分析医でもなれるんかじゃないか、と、僕は心で思う。僕は悔しいので、なんて子供みたいな理由ではないと思うが、つい、そんな顔していない、と言ってしまう。
「そうですか?ならいいですけど」
琴音は僕の前を通り過ぎ、墓の前に座ってお供え物をおき、手を合わせる。
そう、僕はそんな自分に、心の底から絶望する。何て非道いのだと、最低なのだと。僕はつまり、千尋以外の人間を、ついでだと、付属品だとみなしていたのだから。こんな愚か者に、生きている価値はあるのだろうか。
「自分を責めても、何もなりませんよ」
・・・な・・・!?
「後ろから話しかけてくれたのが、私ではなくて千尋さんだったらどんなにいいか、って考えて、そう考えてしまう自分を責めていた、とか、そんな感じじゃないんですか?」
多少ニュアンスは違うが、おおまかには合っている。
「千尋さん、かないませんね、あなたには」
どうしてそこまでお前には分かるんだ。僕は不思議でならなかった。
「軽蔑、しないのか」
「・・・僕はお前を千尋の下に見たんだ。お前のことなんて、千尋に比べたらどうでもいいって、そう思ったんだ」
「いいですよ、それで」
「え・・・」
「人間ですもん。序列があって当然、順番づけして当たり前です」
それは・・・。
「逆に、全員を平等に見ている、なんて人、怖いですよ」
それにですね。その口調は確信を持っていた。
「・・・あなたは泣いてくれるでしょ?」
彼女は言った、まるで覚えているかのように。実際に、見たかのように。
「例え私が死んだとしても、ね」
「止めろよ!」
反射だった。僕は反射的に叫ぶ。
「・・・!」
「死ぬ、とか、言うなよ・・・」
心の底から、言った。もう嫌なんだ、あんな思い、したくないんだ。
「ふふっ」
突然声を荒げた僕に対して、琴音は若干驚きつつも、すぐに笑ってみせた。
「ほら、そんなに優しいじゃないですか」
「私が死ぬって言っただけで、声を出して怒ってくれるんですから」
「心配しないで」
こつん。
「あなたは優しいから。愚か者なんかじゃないから。ね」
琴音は額を僕の額にくっつける。顔が近い、いや、接触している。どうしてこんなドラマぐらいでしか見たことが無いことを平然と、そして自然とできるのか。僕は内面ドギマギしているのを悟られないとすることに躍起になる。
「ちょっとぉ!」
背筋が凍る、声を聞いただけで。僕はばっと勢いをつけて振り返る。
「・・・真紀・・・!」
どうしてここに・・・!考える暇もなく、気持ち、琴音を守るような位置にたち、体が自然と強ばり緊張感が走る。拭えない、ある事実。真紀は僕の友を殺した女。
「あら、偶然ですね」
「なにしてるの、琴音ちゃん!そんな外で大胆な・・・」
「別に?ただ、励ましてさしあげようと思っただけです」
「むぅ・・・。久しぶりっ!ねぇねぇ、相談があるなら乗るよ!」
「邪魔しないでください、今は私の番です」
「番とかないでしょ!」
楽しそうに見える。裏表がないように見える。しかし、もし真紀の本心が前の世界と同じだったら、僕は彼女が過ちを繰り返すことが分かっていながら、それをみすみす見逃してしまうことになる。
「ところで、どうしてここに?」
「どうして、って・・・。今日は千尋ちゃんの命日だし・・・」
単純すぎるだろうか。千尋のことを殺したいほど恨んでいる人間が、墓参りになど来るはずがないと考えるのは。これが周囲を騙すための策だと、そう疑うべきだろうか。
否。
結局のところ、僕にはできないのだ。いくら重々しい前科があろうと、自分の友を疑うことなんて、僕にはできず、そして、したくないのだ。
「ねぇ!もう大丈夫なの!?」
真紀にとってはきっと、千尋のことを引きずっていないか、という意味の大丈夫、なのだろう。そう思いながら、僕はその言葉を別の意味でとる。
「ああ、大丈夫だ」
千尋、君がいない世界でも、僕は生きていこう。いつか僕がそっちへ行ったとき、たくさんの思い出話でも、君に聞かせられるように。
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