第33話 変わらない運命

 思えば、僕が渚からこの世界の真実を聞いた瞬間に。

いや、もっと前、楓が生きていると分かったときから─。


 いや、本当は僕は、この世界で目を覚ましたその瞬間から、実は気が付いていたのかもしれない。潜在的に、無意識下で、今、僕が一番やりたいことについて。


「はっ、はっ、はっ」

僕は息を荒げながら走る。もともと運動は不得手な僕で、持久走なんて行事は嫌で嫌で仕方がなかった。つまりは走るという、人間の基礎能力の一つを、僕は嫌悪する節があった。どうしても仕方がないとき、いてもたってもいられないとき、そんな時にしかこの足は回らず、加えて、その仕方がないとき、というのは、僕に絶望が降りかかっている時の方が多かったように思える。


「はっ、はっ、はっ」

ただ、今の僕は少なくとも、嫌な気持ちで走ってはいなかった。勝手に笑みがこぼれる。確かに疲れていて、きつくあるのに、それでも笑っていた。ここは、皆が生きている世界。つまり─。


「・・・千尋っ」


 僕は心ならずとも声に出ていた。会える、彼女に、会える。また、話せる・・・!止まらない、心臓の高鳴りが。これは走ったことによる疲労ではないことなんて、火を見るよりも明らかだ。ぎゅっと拳に力が入る。一分一秒が惜しい。僕は自分の足に鞭打って、まだまだ速度をあげる。


「・・・はっ、はっ、はっ・・・」

 場所は分かっていた。彼女が住んでいた家の所在、忘れるはずがない。間違えるはずがない。急に足を止めたものだから、詳しい原理は知らないが、僕はげほげほと咳をして、体中が一気に苦しみに支配される。汗をかき、膝と両手を地面につけて、はぁはぁと何度も呼吸をする。

「あ、れ・・・?」

まだ完全ではないが、少し体調も戻ったとき、僕は狐につままれたような感覚になった。確かに僕は千尋の家を目指して走っていたはずなんだ。


「ここは・・・」

しかし、僕の目の前に広がったのは、千尋がいた家ではなく、もちろん、まったく知らない家でもなく、そもそも、家というか、建物すら、そこにはなく─。

「墓場・・・?」

たくさんの墓が並ぶ、恐らくは僕が今一番来てはいけない場所だった。

「・・・っ!」

動悸が再び激しくなる。ああ、なんだ、体の疲れというのは、ワンテンポ遅れてやってくるのか、僕は自分に思い込ませた。そうに違いない、この胸が張り裂けそうになるほどに激しい脈動、これは精神ではなく物理的な肉体によるものに違いない・・・!


 僕はここが墓場だと確認して、すぐに並び立った石に背を向ける。こんなところ、来る理由なんて一切ないのだからと、すぐに帰ろうとした。

「・・・」

ぴた、足が止まる、動かない。帰ればいい、ここから消えればいい、それなのに、体が動かない。僕は千尋の家に向かったはずだった。しかし結果はこの来たことが無い墓場。これが何を意味する・・・?単に場所を間違えただけ?ここは何も関係がないところ?僕がそう捉えたい気持ちとは裏腹に、考えれば考えるほど、僕がここに来させられた意味が、頭に浮かんでくる・・・。


「いや」

僕は一人で、少し大きな声を出した。本来なら心で思えばいい言葉に過ぎなかったが、墓場に誰もいなかったことと、自分の気持ちを誤魔化すために。僕はとりあえず、この墓場を一通り、軽く、見て回ることにした。全部の墓を確かめきれなくてもいい、見落としがあっていい、そんな適当な気持ちで、墓場に入った。


「・・・」

ああ、やっぱり。


何も考えず、ただ帰れば良かった。


何も考えず、ただ無視をすれば良かった。


何も考えず、ただ・・・。


・・・そう言えば。


そう言えば言っていなかったな、渚は。


この世界は、琴音が健二が楓が渚が生きている世界だとは言ったが─。


「・・・くそっ」


千尋が生きている世界だとは、一言も言わなかった。

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