第25話 地獄

 予想と違うことがある。文通の相手が、思った人と違ったり、期待していた映画が、大したことが無かったり。僕は、地獄って、もっとおどろおどろしものだと思っていた。物の怪の類、魑魅魍魎の群れ、はたまた炎熱、燃え盛る業火、そんな感じだと。

「・・・」

静かだった。周りの背景は僕が生きているときに見ていたものと何も変わらない。海の音がする。いや、川か。石積みの話は地獄といえば有名で、僕は今からその所業に永遠に勤しむのかと思うと、社会に出ることに後ろ向きになる若者のような憂鬱な気分になる。


「ばかっ!!」

・・・そういえば、声が聞こえた。真紀の刃に貫かれる直前に。懐かしさすら感じた。一瞬、楓かと思った。似ていた、声も、顔も。でも僕はすぐに考えを改める。ここは地獄、ならば、楓は天国にいる。他人の空似だろう、と。

「・・・いい加減目を覚ましやがれっ!!」


「・・・!」

え・・・。

「か、楓・・・?」

倒れている僕の顔をのぞき込むのは、見間違えでも、似ている誰かでも、ない。

「お前はまだ生きてる!しゃきっとしろ!」

「・・・な・・・」

胸、心臓の部分を触る。痛くない、穴も空いていない、濡れていない、血にまみれていない。

「生きて・・・」

「あれ~?」

僕が自分の安否を確認すると、真紀が大声で疑問符を投げかける。

「なんで生きてるの~、楓ちゃん?」


「お前、無事で・・・」

違う。よくよく見てみると、いや、よくよく見る必要もなく、楓の服は破れ、全身はぼろぼろに傷つき、血を浴びていた。

「楓、そんな体で・・・」

「おい!」

楓は倒れている僕に馬乗りになって、必死の形相で叫ぶ。僕の心配も、真紀の質問も、かなぐり捨てて、真紀は僕だけを見て、まっすぐに見て、叫ぶ。

「ふざけんじゃねぇよ!!」

怒っていた、そして、悲しんでいた。

「てめぇ、殺されるつもりだったろうが!」

「・・・」

「そんな勝手、琴音が、健二が、渚が、千尋が・・・」


「ウチが許すわけねぇだろ!!」


「ちょっとぉ・・・」

蚊帳の外にされた真紀がしびれを切らす。

「私の目の前で、二人でなにいちゃいちゃしてるの・・・?」

「へっ、わりぃかよ?」

楓は僕の上からどいて、真紀と一対一、面前と向かい合う。刃物を持ち、尚且つ、自分を殺そうとしている真紀に、楓は一切、びた一文、怯えていない、臆していない。こんな時に抱く感想ではないことは重々把握しているけれど、それでもあえて言わせてもらうのならば、今の楓はどうしようもなく、格好よかった。


 悪かったな、楓は言った。

「ついかっとなっちまって、お前にはぐちぐち言っちまったが」

僕の方は向いていない、それでも、僕に言った。

「この状況を作り出したのはウチの責任だ。お前に真紀を会わせたのはウチだからな。ウチが間に合う前にあんたが殺されていたかと思うと、死んでも死にきれねぇ」

何も悪くない。僕は言いたかった。ただ、もうすでに二人は、僕のことなんてお構いなしに、言わば、女の世界に足を踏み入れていた。


「ほんとにもう。どうして死んでないの?おかげで殺せなかったよ」

「へっ、ウチを嘗めんなよ?あんなもんで、死んでたまるか」

「ふ~ん・・・」

「それにしてもあぶねぇ。ウチも堕ちたもんだ、ここまで見誤るとはな」

「なんのこと?」

「てめぇがここまでバカだとは思わなかった、ってことだよ、真紀!」

「ばかぁ・・・?」

「ウチはな、お前がこいつを殺すとは思ってなかった。だからこそ、お前をこいつを会わせたんだからな。こいつの言葉ならお前に届くと思った。お前の狂気も鎮められると思った」

「それで?」

「失敗だよ、結果は失敗。お前の馬鹿さ加減は飛び抜けていた、まさか手にかけようとするとはな」

「ん~、馬鹿はどっちかなぁ。普通考えたら分かるでしょ?彼は好きな人。

だから殺す。殺して、永遠に私のものにする」

「異常が」

「純愛だよ」

「まぁいい、話しても埒が明かねぇ。そもそもウチはお前と与太話しにきたんじゃねぇ」

「知ってるよ、頭悪いよね、生き残ったのなら隠れておけばよかったのに。私、追いかけなかったよ?だってあなたは死んだものとして扱っていたから。それなのに私の目の前に顔を出した、ってことは━」


「殺してくれ、ってことでしょ?」

「ちげぇよ、お前を殺しにきたんだ、真紀」


 不適切だろう。いや、断定しよう、不適切だ。僕は外野から黙って二人の様子を見て、どんな言葉が適するかを探す。そして、どんなルートを辿っても、最後には一つの表現にたどり着く。不適切だ、語彙の少なさに起因するものかはしれないが、僕はそれが不適切だと分かっていても、使うしかなかった。

「くくく・・・」

「あははは・・・」

笑っている二人をみて、真紀はともかく、楓までもが、実に・・・。


嬉しそうだった。


「気をつけろよ?ウチはこいつみたいに優しくねぇぞ?」

「知ってるよ。ほんっと、そういう妙に自信ありげなところ、だいっきらい」


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