第20話 誘いの音

 パリンと音が鳴った。そいつは立ち上がったらすぐさま背後の窓ガラスを叩き割った。本能的に体が僅かに竦む。その隙を狙って、そいつは拳を振るう。

あっぶな・・・。

ちっ、とそいつは舌を鳴らし、後ろへと下がる。そいつの拳がアタシの目前、顔すれすれを通った。アタシが反射的に躱した?ともかく、今のスイングは本気だった。ならば━。


カチ。


「・・・っと」

まったく、考えてる暇もないっての?そいつは少し距離をとった後、といっても、こんな狭い部屋で戦っているのだから大した距離じゃないけど、すぐにまた攻めてきた。足を狙って蹴りをいれてきたところを、アタシがぴょんと跳んで躱す。すぐにそいつの顔を叩こうと右腕を伸ばすも、両腕でガードされた。さすがに、地力じゃ男と女では分が悪い。


カチ。


「よく躱す」

よくも、ま、喋る余裕があるね。アタシはそいつの攻撃を躱すので精一杯、っていうほど切羽詰ってはないけど、なかなか決定打を与えられていない。

「・・・お前、俺を殺す気か」

拳の交わし合いの最中、そいつはまた声を上げる。そう、だけど?ちょっと息を荒らげながら答える。

「できるのか、お前に」

!そいつは足を思い切り上に振り上げ、そのまま踵を落としてくる。木の床だからなのか、それともそいつの力が凄いのか、ばんと大きな音をたて、床に穴が空く。


カチ。


「・・・お前の殺意が感じられない」

力の差は歴然だろう、そうとでも言いたいのだろうか。そいつは動きを止め、アタシに声をかける。

「俺はお前の友の友を殺した。つまり、お前に関係ない奴を殺した。そんな根底に根ざさない理由で、ただの責任感だけで拳を振るっているのなら、やめておけ」

「余裕ね」

ぐはっ、そいつが声を出す。アタシはぺらぺらとそいつが喋っている隙をつき、そいつの腹も突いた。アタシは男に騙された身、護身術は身に付けている。


カチ。


「くっ・・・」

そいつは腹部を抑え、床に両膝をつける。

「殺せるよ、アタシはアンタを殺せる。アンタ、この後に及んで、まだ女っていうのを見誤ってる。女はね、アタシはね、好きな男の為になら、なんだってなれるのさ。彼女だろうと、嫁だろうと━」

きっと、彼は止まらない。目の前に琴音を殺した奴が現れたら、殺意に取り付かれて、すぐに殺そうとかかるに決まってる。そんな彼を見るぐらいなら。

「人殺しだろうと」


「そうか・・・」

そいつはゆっくりと腰をあげ、仕方ない、とつぶやいた。

「・・・」

アタシは何も手を出さず、黙って見ていた。そいつはジャケットをめくり、内側から刃物を取り出す。果物ナイフくらいの小さなものだった。

「死ね」

はらり、髪がぱらぱらと落ちる。ぶん、と勢いまかせにそれは振りかざされた。

「・・・な」

驚いていた。アタシじゃなくて、そいつが。何で、そいつは半ば気味悪そうに言った。

「何で、動かなかった・・・」

アタシは一歩もその場を動いていない。恐怖して足が竦んだから、ではなくて、完全に意図的に。


カチ。


「考えたんだよ」

何でアンタの攻撃をアタシが躱せたのか。

「あの時アタシは完全に呆気にとられたから、あそこの一発で決まっていた可能性は高かった。アタシの体が本能的に躱した、って思ったけど、よくよく考えてみれば、アタシの足は動けていない。つまり」

アンタはアタシを殺すつもりはないんだよ。潜在意識的にね。精神医みたいな台詞を吐いた。

「アタシ、体術は少しだけやっててね。最初は気付かなかったけど、徐々に目が慣れてきた。アンタの体躯捌きは、素人のそれ。アンタ、本当は喧嘩とかやったことないんだろ?」

「・・・」

「その証拠によく喋る。戦闘中に会話、それって余裕があるからとかじゃないんでしょ。アタシを説得するつもりなんでしょ、帰ってくれって」

「・・・」

「・・・アンタ、本当は、琴音を刺したこと、後悔してるんじゃないの・・・?」


カチ。


 やつれていた。顔に小さな傷もあった。アタシはこの男を初めてみた、だから、元から傷はあったんだと思った。元から痩せた顔をしているのだろうと思った。

「そのやつれよう・・・。本当は琴音を刺した罪悪感に押しつぶされそうだったんじゃないの・・・?」

「黙れ!」

お前に何が分かる!と言われた。そうね、分からない。でも、その台詞は、大抵核心をつかれたときに出るリアクションってのは、分かってるさ。

「・・・アンタ、怖いんだろ。アタシを殺すこと、人を殺すことが」

「黙れ黙れ!」

語彙が単調になってる。焦ってる証拠。

「ほら、アタシがこんなに油断だらけで喋ってるんだから、その隙に殺ればいいのに」

事実、何の警戒もしていない。

「・・・っ」

「そこで動けていないのも、アンタの弱さよ」

「ふー、ふー・・・」

正常な人間ね、アタシは思った。人なんて殺して何も変わらずに過ごすことができる奴なんて、もはや、異端者だから。


カチ。


「・・・もういい、やめなさいな。アンタじゃアタシは殺せない」

ぷるぷるとそいつの体が震えている。相手は丸腰の女で、自分は刃物を持つ男。普通は逆でしょうに。

「それでも無理して来るっていうなら、アタシは容赦しないよ」

アタシは戦闘の玄人じゃない。だから、どこを攻撃すれば絶命させられるなんて知らない。逆に、どこを攻撃しなければ死なないか、なんてのも知らない。アタシは当然反撃するし、その際に当たりどころが悪いところに入ってしまうかもしれない。刃物が逆に奴の体を貫くかもしれない。そんな可能性があったとしても、それでもアタシは躊躇わない。もし、アタシが奴に殺されて、その時に奴の中の何かが裏返るかもしれない。一人目ならいざしらず、アタシで二人目。たがが外れるかもしれない。そうなったら、危ない。彼が、危ない。だったら。

「アタシはアンタを殺せるから」

「くそぉぉぉおおおお」

叫びながら、来る。それって典型的な、負けパターンだよ。


カチ、カチ、カチ。


カチ・・・━。

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