第19話 千尋、その名は

 暗い。そして、重い。ぎぃと扉を開け中に入ったとき、すぐに感じたのがそれだった。監獄、はたまた、ギロチンの下か。それほどまでに重苦しい空気が流れていた。

「・・・成程、な」

片足をたて、その上に腕をのせ、生気の感じられない男が小さな部屋の奥に座っていた。部屋は殺伐としていて、娯楽と呼べるものは何もなく、煙草の臭いが壁や床に染み付いていた。やっぱり、楓を来させないで良かった、そう思った。

「てっきり、あいつが来ると思っていたが」

予想外だったよ、女が来たのは。そいつはそう言った。


「予想外なら、どうするんだい?」

どうもこうもない。お前はもう知っているんだろ?アタシの問いかけに男はただ冷静だった。アタシが殺しに来たと行ったときも、動揺はまるで見られなかった。

「落ち着いてるね、随分」

アタシは尋ねざるを得なかった。なぜなら、そいつにとってアタシがここに来たということは、自分のやった罪が明らかになった、ということだったのだから。

「まぁ、あそこまでわかり易く残したんだ。俺の場所を突き止めるのは計画の内だったが、あいつじゃなかったのは本当に想定外だった」

やっぱり。アタシは心の中で思った。早かったと思ったんだ、楓がその解に行き着いたのが。解、今目の前にいるこの男が、琴音を殺した犯人だという解に━!


「・・・わざと・・・?」

図らずとも、アタシは口にしていた。ああ、そいつはにべもなく言った。

「損ねたからな。故に、罠を張ったまでだ」

さっきから、主語がない古文みたいに、そいつの会話には言葉が足らない。でもアタシは、そんな少ない情報からでも、今の気、雰囲気相まってか、すべてを理解する。まさか・・・、アタシは口を開く。

「まさか、アンタが殺そうとしたのって・・・!」

「ああ」

そいつはその名を呼んだ。アタシのことを博士と呼び、そして、渚と呼んでくれている、彼の名を。


 ドンっ。大きな音がした。そいつが急に床を思いっきり拳で叩いた音だった。

「本当は、あの男が死ぬ筈だったんだよ・・・」

今まで落ち着いていた口調が、徐々に荒らげてくる。

「あいつが、千尋を殺したあいつが、千尋の命を奪ったあいつが・・・!」

・・・!アタシは思わず驚いた。その名が出たことに。まったく、一体何者だったんだか。もう今はいないのに、みんな、アンタに振り回されてるよ。アタシは会ったこともないけれど、もしアンタが空から見てるんなら、どう思うんだろうね。

「それなのに、庇いやがった。あの女、あんなろくでなしを庇いやがった」

「じゃ、じゃあ何・・・?」

あんたは琴音を殺そうとしたんじゃないの・・・?琴音の死因は刺殺。夜道、急に刺された。アタシは通り魔か何かと思っていたけど、本当は、彼を守るために・・・。

「琴音?ああ、あの女のことか」

ああ、そうだよ。そいつは言った。ぬけぬけと。悪びれもなく。

「馬鹿な女だ、あんな奴の為に死ぬなんてな」

馬鹿・・・?

「くだらねぇ死に様だな」

「あんた、そんな言い方っ・・・」


「お前━」

切るようだった、空気を、すっと。

「━何しにきた」

雰囲気が変わった、低い声と、鋭い眼光が垣間見えた。


「何、って・・・」

思わずたじろいた。

「決まってる、か?」

あの女の復讐の為に来た、といったところか?そいつは尋ねて来た。そうだ、アタシは答えた。

「怒ってない、な。」

「え・・・?」

「これだけあの女ことを罵倒したってのに、目の奥に怒りを感じられない。表面上だけだ。お前、あの女の復讐に来たんじゃないのか」

「それは・・・」

そうだ。アタシは知らない。琴音という人物を。だから、心底から彼女の為には感情を表せない。死とは辛く、悲しいものであることは自明の理だが、それは、ある程度親しい仲の話。同じ歳で、同じ出身で、同じ性の人間は、今もどこかで死んでいる。そのことを聞いても思うはせいぜい可哀想、くらい。悲しいまでにはたどり着かない。ましてや、怒りなんて、有せない。

「お前、あの女とは無関係なのか?」

鋭い。心理学者みたいだ。アタシは普通にしていたつもりだったのに。いや、その普通がまずかったのか。心が揺れていない、普通っていう佇まいが。


 ごめんね。アタシは謝っていた。そいつが次に、言葉を発した後で。

「何だ?まさか、あいつの為か?あいつに頼まれたか、自分の代わりに殺してくれと。ははっ、とんだお笑い種だ。てめぇで復讐もできねぇ腰抜け━」

投げた。近くにあった物、投げた後確認したら灰皿だった。アタシは手に何を持ったかも分からずに、思い切りそれを、陶器製のそれを、そいつに向かって投げていた。当てるつもりで。

「・・・ふっ」

ぎりぎりで顔を剃れたというのに、もう少しアタシのコントロールがよければ直撃していたというのに、そいつは顔色を変えずに、にやりと笑った。

「何だ、できるじゃねぇか、そんな顔」

アタシがどんな顔をしているか、それは分からない。でも容易に想像できた。

ごめんね。

琴音、アタシ、あんたの為、っていうの、無かったわけじゃないんだよ?アンタは彼の友。なら、アタシの友でもあるって考えてたんだけど、やっぱり、薄かったみたいね。


「アタシはね、女なんだよ」

そいつが顔に疑問符を浮かべる。脈略もなくそんな当たり前のこと、言ってどうするんだ、みたいな感じで。結局は、男に見られたい生き物なんだよ。彼のこと悪く言われて、すぐに沸点に行ったし。

「女ってのは、所詮我儘な生き物でね」

アタシは嫌なんだよ。そう言って続ける。

「アンタにあいつが殺されるなんて、まっぴらごめんだ」

それに。

「あいつがアンタを殺すところなんて、もっと見たくない」

何なんだ?お前にとって。そいつは尋ねてきた。純粋な興味かどうかは知らないけれど。

「お前にとって、あいつは何なんだ」

「惚れた男さ」

即答した。

「このアタシが惚れた男の手は穢させない。汚れ仕事は、アタシみたいなのにお似合いさね」

それに。

「妬けたよ、正直」

あんなにあいつが悲しむなんて、怒るなんて。

「もしアタシが死んだら、あいつはあれだけ感情を剥き出しにしてくれるのかな」

知るかよ。そいつはゆっくりと立ち上がりながら言う。


「まぁ、死に顔に呟くくらいはしてやるさ。お前を殺した後、あいつが何て言ったかくらいはな」

「男が強い言葉使ったところで、弱くにしかみえんさね。女が使ってこその、脅し文句だろ?」


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