第7話 夕陽に照らされて

 坂道を上り、平坦を走り、そこにあったのは、街を一望できる崖だった。こんなところがあったのか、僕は言った。

「知らねぇだろ?意外と穴場だしな、ここ」

確かに、景色が広がるとはいえここは崖。落ちれば軽い怪我ではすまない高さの崖だった。柵もないこんな場所に、人が群がるとも思えない。でも、だからこそ、ここは秘境といった感じで、綺麗だった。夕焼けが街全体を赤く、ノスタルジックに化粧していた。

「来いよ、こっち」

楓は僕を呼んだ。宙に足をぶらんと出して、崖の淵に座るつもりだろう。楓は端へと歩いていく。僕も後ろから付いていこうとした。


「楓っ!」

楓が僕を呼び、僕がついて行った後、待っていた未来は二人で仲良く淵に座る絵ではなく、崖の先が脆くなって崩れ、楓がバランスを崩し下へ落ちていくという、ありがちな、しかし、あってはならないことだった。僕は彼女の名を大声で叫び、反射的に手を伸ばした。

「・・・か、かえで・・・っ」

届いた。僕の手は楓の手を掴み、何とか楓の体を支えることに成功した。

「大丈夫か・・・っ」

僕は声をかける。手を放したら楓が落ちてしまうという緊張で、僕の声は震えていた。

「は」

だが、本来ならば一番狼狽するはずの楓の声は今までと変わらず、落ち着いてた。そして、笑っていた。

「・・・同じだろ、千尋のときと」

「え・・・?」

楓は体が宙にある状態で話し出した。

「お前はウチを助けた。それだけだ。咄嗟に、反射的に、手を出した。そのことに、善も悪もねぇよ。だからあの時、お前が咄嗟に出した千尋への手に、理由を付けるな。後悔するな」


「お前はただ、自分に準じただけなんだからよ」


・・・やらなければよかったと、そう思っていた。僕の余計な行動が、すべてを狂わせたと、そう思っていた。皆、僕を軽蔑し侮辱しているだろうと、そう思っていた。

「人間、いつもいつも最善手なんて選べねぇよ。お前がやったことだって、結局、どうなるかなんて分からなかった。だからよ、いつまでも塞ぎ込んでんじゃねぇよ。お前がうだうだしていたら、こっちまで辛くなってくんだろうが・・・」


 僕は何も言わず、何も言えず、楓を引き上げた。感情が昂る。鼻の奥が熱くなる。体は震え、口から吐息が漏れる。僕は必死でかみ殺した。

「ばーか」

楓はそんな僕を、がばっと抱きしめた。

「泣きたかったら泣け。ウチが受け止めてやる」

優しい。暖かい。まるで母のような、姉のようなぬくもりで、楓は僕を介抱する。それでも僕は変なプライドが邪魔をして、わんわん子供のように大声では泣かない。必死に噛み殺し、僕は楓をぎゅっと抱きしめ、そして涙を流した。いてぇよ、と楓に言われても、僕は強く強く、楓を抱きしめた。




「・・・は、綺麗なこったな」

しばらくして、落ち着いた僕は、楓から離れもう一度景色を眺める。楓の言うとおり、そこには綺麗で美しい景色があった。

「・・・吸えよ」

景色に惚けていると、楓が思い出したかのように言ってきた。一瞬、何のことだか分からなかった。何を?僕は聞き返した。

「煙草」

僕は驚いた。楓は煙草嫌いで、目の前で吸われるのは勿論、臭いが付いている服でも嫌な顔をする。僕も度々怒られたものだ。そんな楓が、自ら勧めてきた。

「あれから吸ってねぇんだろ?ま、禁煙したってんならそれでもいいが、吸いたいときに吸わねぇのも体に毒だ」

ま、煙草自体毒だから、よくわかんねぇ話だがな。そう言って楓は笑った。僕は一人で吸う煙草が好きだが、この夕焼けの中の煙は、環境としては十分だった。あ、だが。僕は煙草を持ってきていないんじゃないかと思い、ポケットに手を入れる。すると、そこには、母が用意するハンカチとティッシュのように、きちんと煙草が入っていた。そういえば、あの日から一切着替えていない服には、煙草もそのまま入っているんだった。

「いいのか?」

僕はもう一度聞いた。楓は黙って頷いた。僕は煙草を一本取り出し、口にくわえ、ライターで火をつけた。

「・・・旨い」

僕はしみじみと言った。いつもより、何倍も上手く感じる。

「なぁ」

楓が口を開いた。やはり、いざ吸われると辟易したか、文句でも言うのかと思った。しかし、今日の楓には、どんでん返しが待つ小説以上に、何度も驚かされる。

「ウチにも一本くれよ」

「な・・・」

僕は驚いた。目の前で喫煙許可を出したことさえ奇跡的なのに、ましてや楓自身が煙草を求めてきたのだから。いいだろ?その目は本気だった。僕は戸惑いはしたが、煙草を楓に渡した。最後の一本だった。

「ふぅん」

楓は物珍しそうに煙草を眺め、そして口にくわえた。僕はライターを楓に渡そうとしたら、楓は受け取らず、体を近寄せてきた。

「ん」

僕は察した。まったく、どこで覚えてくるんだと思った。僕も、やり方を知っているだけで、実際にやったことはなかった。だが、僕はライターをポケットにしまい、指輪を薬指にはめるかのような丁寧さで、僕の煙草の火で、彼女の一本を灯した。


「・・・まずい」

楓はごほごほと咳をしながら文句を言った。こんなもの、吸う奴の気がしれないと。僕は、そんな彼女の横顔から目が離せなかった。煙を立たせ、夕焼けに照らされ、まるで一つの絵画かと見間違うほど、美しく、凛々しい姿がそこにはあった。



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