第5話 風呂でえらい目にあった

 ダンジョンの入口から順に壁を取り除いていき、ダンジョン入口から広場までを一直線の道へ改装する頃には、そろそろ休む時間になってしまった。

 もっと手早くやるつもりだったんだけど、案外時間がかかってしまった……俺はユキと相談してステージ作りは明日の朝からやることに決める。

 俺もそうだけど妖怪とはいえ一日中活動することは出来ないんだ。


 妖怪は程度の差こそあるが、一日のうち睡眠や休息に当てる時間が必要になってくる。

 俺の場合はだいたい五時間くらい睡眠を取ることで体調が良好になる。ユキとクロは何時間くらい睡眠が必要かは分からないけど、夕食を食べて数時間したら睡眠を取ってるな。


 そういや、クロは知恵熱で寝てからまだ起きてきていない。まあ、そのうち起きるだろ……


 広場から撤収すると、俺は居住スペースにある共同風呂に向かう。

 俺は寝る前にいつも風呂へ入ってから寝るのだ。共同風呂の扉まで来ると、誰も入っていないことを確認してから、共同風呂の扉に使用中の標識を下げる。


 風呂の湯をためている間に、脱衣所で青のジーパンと白のTシャツを脱いで風呂へ。

 体を洗ってから、風呂に浸かる。


 うーん、この瞬間だけは貧困に喘ぐ俺のダンジョンのことを忘れて気持ち良さに身を任せられるなあ。


「誰か入っているですかー?」


 扉の向こうから声がする。この声はクロだな。猫って風呂に浸かるんだろうか。冷水でシャワーだけかも知れん。

 タイミングが悪い時に起きて来るよな……


「夜叉が入ってるから、待ってくれ!」


 俺は大声で扉の外にいるクロに返す。


「ご一緒してもいいでござるか? 先にユキ殿が来て、次はユキ殿の番になってしまったのです!」


 待て待て。一緒に入ると俺の一日のうちで唯一の至福の時間が無くなってしまうじゃないか!

 クロの裸より一人の風呂タイムの方が、俺にとって重要度が遥かに高いのだ。


 次にユキが風呂の順番なら、彼女とクロで入ればいいじゃないか!


「ユキと入ればいいじゃないか! 俺が出てから」


「無理です! 無理でござるよ! ユキ殿とはー!」


 俺と入る方が良くないだろお! 知りたくない、聞きたくない。ユキと入りたくない理由なんて。


「嫌なら最後に入れば良いだろ! 俺はゆっくりと風呂に入りたいんだ」


「ユキ殿の後は無理なんです! ぎゃあああ! ユキ殿!」


 可愛くない叫び声だな。全くもう……風呂くらい待てよ……

 俺はクロのことなど全て忘れ、湯舟の中で体を伸ばす。あー気持ちいいー。


その時――


――風呂の扉が開く!


 入って来たのは……ユキだった……クロはどこに行ったんだ……

 俺はこれまで一人で風呂に入ると決めていたから、ユキともクロとも一緒に風呂へ入ったことがない……俺の聖域が、あっさりと……何てことだ!

 

「夜叉くん、クロがうるさいから入るわよ」


 って。入って来たユキはすっぽんぽんじゃないか! ポニーテールをほどき、長い銀髪が胸にかかり、いけない部分を隠している。下は何も隠れていない……

 ちょっとは隠そうぜ……しかし、真っ平だな。どことは言わないが。

 

「ま、待て。俺がまだ入ってるから」


「夜叉くんが出るまでクロにギャーギャー叫ばれると耳が痛いわよ」


 ユキは肩を竦め、髪が背中に張り付くのが気になるのか、背中に手をやり髪を触る。彼女が首の後ろの髪を触ると、髪が後ろに流れて……隠れていたいけない部分が見えてしまう。

 

「ま、待て。裸はまずいって!」


「男女混浴がダメだなんて……それでも妖怪なの?」


 古き良き妖怪の伝統を持ち出してくるとは……確かにそうだ。昔、かなり昔……妖怪や妖怪の住むダンジョンの近くに住む人間達の習慣は混浴だった。

 それが、モンスターどものダンジョン周辺に住む人間達の「男女別で風呂に入る習慣」が、いつしか妖怪たちの間でも当たり前になっていた。

 ユキはモンスターどもの習俗を常識とするのが嫌なんだろう。

 

 って俺の「まずい」とユキの「ダメ」の意味合いが少し違う気がするが……

 

「混浴のことは分かった! 分かったからせめて前だけでも隠してくれ……」


「お風呂は裸で入るものよ! 妖怪なら当然でしょ」


 おおお。そうだよ。確かにそうだよ。水着を来て風呂に入るとかモンスター共の地域から来た習慣だよ! でもな……ユキ……俺は男女混浴で入る習慣に慣れていない。

 

「……出るか……」


「ちょっと……私と入るのが嫌なの……」


 俺が湯船から出ようとすると、途端に涙目になるユキ……どうしろって言うんだよお!

 彼女の顔を見ると、そのまま出るわけにはいかず、再び湯船に戻る俺……見るな、見るなよ俺……ユキのぺったんボディとか見たらダメだぞ……

 

 俺が戸惑っていたのもここまでだった。ユキがシャワーを浴び始めると……

 

 寒くなってきた! なんだ、浴室の温度が急激に下がっている気がするぞ。

 気になることがある。ユキが浴びるシャワーからは湯気が全く出ていない。

 

 俺は湯船から体を乗り出し、少しだけユキが浴びるシャワーに触れてみる。

 

「冷た!」


 何だこれ! 水じゃねえか! それも冷水!

 こんなの浴びてるのかよ。そら……寒くなるわな。

 

 しかし、これはまだ始まりに過ぎなかった。

 ユキが湯船に入って来たら、湯船の湯の温度が急速に下がっていく!

 一分もしないうちに、湯船の湯は氷水になってしまう。

 

 もう、ユキが涙目になるとか言ってられないぞ! 急いで出ないと……俺は湯船から立ち上がる。

 

「夜叉くん、もう出るの?」


「あ、ああ」


 歯をガチガチ合わせながら、俺はなんとかユキに言葉を返し浴室の外へ。

 外へ出ると、猫の柄が入っ藍色のワンピースを着たクロがバスタオルを持って待ち構えていた。

 ありがたい! 俺はクロからバスタオルを受け取ると、体を拭いて急ぎ服を着る。

 

「クロ……酷い目にあったぞ……」


「だから、ユキ殿と入りたくないのです……ユキ殿の後から入るのも嫌でござる……」


 うん。俺も今なら分かる。ユキと入ると直接氷水地獄が待っていて、ユキの後に入ると湯船のお湯が水になっている。

 どうして俺はいままでこんな重要なことに気が付かなかったんだ……

 

 ああ、そうか。俺は風呂に入る前にお湯を全て抜いて、新しくお湯を張るのだ。

 何故って? ユキもクロも風呂の掃除しないから……俺は風呂に入る前に風呂掃除をしてから入る。掃除をして、新しくお湯を張り、風呂に入る。これが俺流の様式美……

 

「クロ……一ついいか?」


「何でござるか?」


 クロは大きな目で俺を見上げる。くりくりした猫のような目は可愛らしいな。黒色の猫耳もピクピク動いている。

 

「風呂に入る前に、お湯を抜いてから新しくお湯を張ればいいだけじゃないか……ユキが入った後でも問題ない」


「なんと! そんな手が!」


 本気で驚いているクロ……あまりのショックで固まる程驚かれても困る。

 

「そんなわけだから、ユキの後でも大丈夫だ」


「そうでござるね……今まで吾輩は何でこんなことに気が付かなかったでござるか……」

 

 クロは床に手をつきうなだれているが、気が付かなかったことに俺は驚きを隠せないぞ……

 

「じゃあ、俺は熱いココアを飲みに行く……」


「分かったでござる……」


「あ、明日、頼みたい作業があるから、起きたら俺を呼んでくれ」


 寒いったらありゃしねえ。俺は食堂に向かうことにする。暖かいココアを飲んで、歯磨きして寝ようっと。

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