第6話 風呂

 お風呂に入る順番は決まった。


 先に響香が入り、その後進一郎が入ることになったのだ。と、そこで問題が発生した。スカートと下着類は脱ぐことが可能だが、進一郎と一五センチの鎖で繋がれた腕では、ブラウスを脱ぐことができなかった。


「ね、ねえ……どうしようか?」

「そうか、そうだよな。こうなる事は当然だよな……」


 できればブラウスも脱ぎ洗濯したかった。ここには着替えは置いていなかったが、乾燥機付きの洗濯機が常備されていた。バスタオルも数枚備え付いているといった気の利きようである。どうせなら下着類も常備しておいてくれればいいのに。と、誘拐犯に文句の一つも言いたい所だった。


「仕方ないな、左腕を破いてしまうか」

「え、えええっ!」

「だってどうしようもないだろ? どのみち濡れてしまうし、左腕の部分だけ破いてしまえば、いいじゃないか。運よくバスタオルは数枚あるし、それで何とか凌ごう」

「う、うん……分かったよ……」


 もう恥ずかしいなどいっている場合でもなくなった。

 進一郎は響香のブラウスをびりびりと裂き始める。その音がどこか背徳感を誘う。


「さあこれでいいぞ」


 肩の部分から袖を取り、脇から下を裂いたブラウスは簡単に脱ぐことができた。

 多少ブラをした胸を見られたようだが、もうそこまで恥ずかしいとは思わなくなっている。日に何度もトイレに一緒に入っている事で、羞恥心が薄れてきているのかもしれない。


「み、見ないでね」

「ああ、極力見ないようにするよ。目隠しはいいのか?」

「うん、いいよ……滑って転ばれても困るから……」


 脱いだ衣服を洗濯機に突っ込む。

 風呂は先ほどお湯を給湯しているので、湯船には適温のお湯がなみなみと張ってあった。

 響香が頭と体を洗うまで、進一郎は響香に背中を向け右腕だけを引っ張られている。何度か響香を横目で窺うが、子供の頃見た響香はそこにはおらず、成長した大人の女性の背中がそこにあった。


「み、見てないわよね!?」

「み、見てない見てない! 見るわけないじゃないか……」


 視線を感じたのか突然響香が振り返る。さっと視線を戻す進一郎。

覗きは男の浪漫なのだ、仕方のないことなのである。


 体も洗い終わり、響香は湯船に浸かった。

 進一郎は湯船の外で体育座りをしながら背中を浴槽に預け、右腕だけを湯船に沈めている。


「はあっ、お風呂はやっぱり気持ちが良いわね」

「ははっ、そうか、良かったな」

「うん、ありがとうね」

「いいさ、こんな状況なんだ。出来ることは協力し合いながらするしかないだろ」

「そうね……」


 謎の誘拐犯に拉致された身でありながらお風呂に入ることができる不思議。若干不審に思い始めるが、それでも今はお風呂に入れることが嬉しかった。

 響香と進一郎は今までいがみ合っていたことも忘れ、ホッとしたひと時を過ごすのだった。そして響香は静かに話し出す。


「ねえ、覚えている、進一郎くん?」

「ん? なにをだ?」

「中学2,3年生の頃私の家で、二人で私の父と進一郎くんのお父様が書斎で話している内容を盗み聞きしていた時。あの時、なんであんなこと言ったの?」


 あの話を盗み聞きをしてしまった時から二人の仲は不仲になり、顔を合わせる度に喧嘩をする仲になってしまったのだ。


「ああ、あのことか……」


 忘れたふりをしていたのか、どこか話しづらそうに口を開く進一郎。


「あのときはなぜかそう思ったんだよ。響香ちゃんの気持ちを無視して、勝手に親同士が決めて良いことじゃないとね」

「えっ?」

「だってそうだろ。あの頃は、お互いまだ中学生だったんだ。先の事なんてまだ何も決まってなかったし、決めてもいなかった。そんな時期に将来の婚約者を決めるなんて許せなかったんだよ。僕はそれでもよかったけど、響香ちゃんはまだ沢山の人と出会い、僕よりももっといい人が見つかるかもしれない。そう思ったらどうしても許せなくなった」

「え、えっ?」

「響香ちゃんの心を無視して、親の勝手で響香ちゃんをモノのように扱うのがたまらなく許せなかった。だから僕は断腸の思いで君から離れることを決意したんだ」

「……」


 響香はその言葉を反芻する。

 ──どういうことだろう。

 聞くところ、進一郎は響香を嫌いだったわけじゃなさそうである。それどころか響香の事を思い、わざとそう仕向けた風に受け取れるのだった。


「どうして……」

「結婚相手を決めるのは親じゃない。響香ちゃんには君自身で結婚相手を決めて欲しかったんだ。そして、それなら僕も、君に選んでもらえるような立派な人間にならなければと、そう思ったんだ……けど、結局は嫌われてしまったようだけれどね……」

「……」


 そんなこととは、露ほども知らなかった響香は言葉も出すことができなかった。

 幼かったとはいえ、自分の勘違いで進一郎に嫌われていると思ってしまった。そしてそんな自分の事を考えてくれていた進一郎へ、冷たく当たるようになってしまった自分に恥じ入るばかりだ。



 響香は湯船の中で身を縮めるのだった。

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