7 ジェルミ

 ジェルミは生まれた子供を目のまえにして、不思議な気持ちになった。

 赤子は二人。男の子は自分と同じ灰色の髪。女の子は妻と同じはちみつ色。

 赤子は小さく、並んで眠る姿はいとけなかった。こんなにかわいい我が子ともこれでお別れなのかと思うと、大いに残念だった。

 別れの思いは押しやって、ジェルミは、赤子の誕生を妃とともに喜んでいた。

 その時——。

 ふいに寝室に闇が垂れ込めた。

 何事かと、ジェルミは我が子と妃をかばって、闇に立ちはだかる。

 闇は次第に形を取り、黒い仮面をかぶった男の姿となった。黒い衣服の下から現れた、白い指先が赤子を指差した。

「未来の王よ、その女子は我が花嫁としてもらい受ける」

 それは恐ろしい言葉だった。

「誰がそんなことを!」

 ジェルミは我が子を守るために、腰に帯びた剣を抜き、闇の王に飛びかかった。

 しかし、闇はするりとジェルミの腕から逃げ、次の瞬間には赤子を抱いていた。

「繁栄と引き替えに、おまえの一族が約束した。生まれてくる姫は必ず闇の王に嫁がせる、と」

 アーキシェルが悲痛な叫びを上げる。

「おまえにわたしの子供を渡すいわれはない! いますぐ返すんだ! それに、おまえには既に花嫁がいるだろう!」

 闇の王は不気味に嗤った。

「そうだ、おまえの妹であるエトゥワールとリュメールは、このわたしが花嫁として手に入れた。いまでは我が庭に乙女の像となってたたずんでいる」

「何だって?」

 ジェルミは悲痛な声を上げた。

「どういうことだ? リュメールもエトゥワールも、わたしの妹だというのか。あんな恐ろしい場所に閉じ込めて苦痛を与えておきながら、命まで奪ったというのか!」

「愚かな男だ。わたしは、いままで呪いを解く機会は与えていた。一生に一度の救いだす機会を与えていたのに、それを無駄にしたのは、おまえの一族だ。成人の儀式の時に飛ばす矢を、必ず闇の森に導いていたのに、いつのまにやら花嫁探しにしてしまっていたのも、おまえたちだ。しかも、矢を見つけられず、矢が落ちていた、と自ら偽っていたではないか」

「しかも、おまえはエトゥワールを救いだす機会があったのに、一人で逃げだした。エトゥワールの良心であるリュメールさえ、連れだせなかったではないか」

 闇の王は嘲るような嗤い声を上げる。

 やがて部屋は暗くなっていき、まだ名もない姫は闇の王とともに暗闇に飲まれ、そのまま消え去った。

「何ということだ」

 ジェルミは激しい感情をあらわにした。それは、いままで感じたこともないほどの怒りだった。それと同時に連綿と続いた愚かな行為に呆れ果てた。闇の王のいう通りなら、愚かにもほどがある。救いの機会を捨ててきたのは、自分の一族だった。

 救いだせなかった妹と双子の我が子とが重なる。

 エトゥワールとリュメール。彼女たちはジェルミの妹なのだ。一つの魂を二つに分けて、闇の王の苦痛から我が身を何とか守っていた妹。

 この儀式が自分にも行われたこと、心から愛した女が自分の妹だったことを、闇の王の言葉で悟った。

 アーキシェルが背後のベッドの上で泣いている。王子も火がついたように泣き始めた。

「まるで呪いだ……」

 ジェルミはそう吐き捨てた。

「何が繁栄だ……、こんなものは呪いそのものだ……」

 ジェルミは泣きじゃくるアーキシェルを胸に抱いた。

 それなのに、侍従や侍女たちは、ジェルミと王妃の様子に目もくれない。慌ただしく儀式の準備をしている。いつも通りの宮殿の様子が薄気味悪い。

 戴冠たいかんの儀式が迫ってくる。ジェルミは誰にも悟られないように小刀を胸に忍ばせた。

 

 

 

 儀式のために正装したジェルミは、太陽の塔への階段を上り詰めていった。

 階段の一番上には、父王が腕を広げて待っていた。

「我が息子よ、おめでとう」

 金の仮面の下で父王がいう。

 ジェルミは奥歯をかみ締めると、胸の下にある小刀を握り締めた。

「その懐刀は必要ない」

 すべてを見透かしたように、太陽の王はつぶやいた。

「もはや、おまえはわたし自身となる」

 ジェルミは太陽の王に抱きとめられる。ジェルミはやみくもに暴れ、その仮面をはぎ取った。

 闇。

 そこには何もない。

 ジェルミは、闇の王の仮面を垣間見たように思った。

 太陽の王は、人間の力とは思えないほど強く、ジェルミを羽交い締めにした。父王の腕の力が強くなるほど、ジェルミの体から力が抜けた。恐怖がジェルミの全身を覆う。このままでは死ぬという思いから、絶叫がのどを突いてでた。

 ジェルミの悲鳴を飲み込み、太陽の王は息子の体をマントの中に包み込む。片方が塵となって消えてしまったあと、そこに立つのは仮面をかぶったジェルミだった。




 太陽の王に肩をつかまれ、マントの中に引きずり込まれてから、ジェルミの意識はなくなった。次に気付いた時、ジェルミは上空から自分の姿を見つめていた。

 金の仮面をかぶりなおした、金の髪の自分自身が、民衆に手を振り、塔のテラスに立っている。

 仮面の下の顔は、闇そのものだった。

 闇の王と同じ漆黒の闇が、マントの中にも泥のようにこごっていた。

 闇の王と太陽の王は同じ魔物なのか?

 太陽の王と闇の王は繁栄を与える代わりに、その報酬として命を奪った。何代にもわたって続けてきた、忌まわしいしきたりの正体は、呪いとしかいいようがなかった。

 先代たちがいままで何もしてこなかったことが信じられない。その誰もが自分に妹がいることも、その妹が苦しめられていることも知らずに、太陽の王になることだけを夢見て生きてきたのだろう。

 矢が見つからなかったのはジェルミだけではなかったのだ。さらわれた妹のところに矢が導かれていたのに、先代たちは闇の森を探さなかった。

 あるはずがないという思い込みが、矢と妹を見つけだす、たった一度の機会を無駄にしてしまっていたのだろうか。それとも、最初ジェルミが闇の王を恐れたように、先代たちも恐れていたのだろうか。

 恐らく、エトゥワールとリュメールの存在を知らねば、ジェルミもその一人となっていただろう。

 魂の姿でいる限り、誰にも真実を告げることもできず、離ればなれになったことを嘆くアーキシェルに自分の死のことを知らせることもできない。

 さらわれた赤子を取り戻し、ジェルミの妹であるエトゥワールと小鳥のリュメール、彼女たちを何とか助けだそうと、ジェルミは空を駆けた。

 

 

 

 あれほど遠かった闇の森まで、あっという間だった。新しい花嫁を得た森は、ざわついている。

 ジェルミは城の尖塔を目指す。中庭を上空より見下ろし、そこにアラバスタ細工の乙女たちの像を見つけた。

「エトゥワール!」

 ジェルミは叫び、真新しい像の足元に降り立つ。

 かつての恋人でもあり、妹でもあるエトゥワールのぬけがらが、そこにたたずんでいた。リュメールも石となって、エトゥワールの肩に留まっている。

「エトゥワール、リュメール……」

 話しかけてもいらえはない。生気のない瞳を覗き込み、ジェルミは悟る。

 妹は本当に死んだ。この世から消えてしまった。しかも、それは未来の姫の姿でもあり、現在の自分でもある。

 アーキシェルとともにいる赤子の王子は、いずれ自分と同じ道をたどる。

 ジェルミの怒りがふつふつとたぎった。止めなければ。自分でこの連鎖を止めてしまわないと、永遠に続く。

 太陽の王と闇の王。あの二人はもしかすると同じ存在なのかも知れず、父の顔をして、花婿の顔をして、生贄を求め、見返りに繁栄を授ける悪魔なのかもしれない。

 繁栄と、この呪い。いままでの王子は従順に何も疑問を抱かず、受け入れてしまったのか。なぜ、もっと呪いに対して抵抗し、闘ってこなかったのか。

 ジェルミは憤怒ふんぬの思いを胸に、妹の像を抱き締めた。すると、ジェルミの魂が空っぽの像の中に入っていくではないか。魂が空の器にすっかり収まってしまうと、次第に体になじんでいった。

 ジェルミはぎこちなく体を動かした。いままでその体で生きてきたかのように、違和感はなかった。

 ジェルミはエトゥワールの声で呼ばわった。すっくと立った姿はエトゥワールそのもの。

 黒いドレスを翻し、黒い手袋をはめた指で太陽の塔の方向を指す。

「闇の下僕ども、我がもとに集え、太陽の塔へ向かうぞ」

 闇の城から、闇の生きものがわらわらと現れる。小さな魔物たちは地より這いでて、先ほどまで立像だったエトゥワールをいぶかしげに見た。

 エトゥワールとなったジェルミは、魔物を踏みつけると、続けた。

「わらわに従え、下僕ども」

 命じながら、まるで生まれた時からそうしてきたように感じた。魂は体に完全になじんだ。ジェルミは無意識にエトゥワールとなった。

 魔物たちはその無体な態度で、直ちにエトゥワールを主人と判じて、命令に従った。

 エトゥワールは、魔物の群れに混じる、一角の黒い天馬てんまに、こちらにこいと合図する。エトゥワールは天馬に腰かけ、闇の軍勢を引き連れ、南に向かった。

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