5 ジェルミ

 ガウンのまま追い立てられたジェルミは、ようやっとの思いで森を抜けた。

 着の身着のままで、太陽の国を目指した。

 道中、ジェルミはやむを得ず、ものもらいをしながら歩き、飢えをしのいだ。

 何度も棍棒こんぼうで追い立てられた。盗人だと怪しまれて、暴力を受けたこともあった。

 自分は王子だという証拠が何一つないため、ジェルミは生まれて初めて、機転や才覚で面倒ごとを避けるすべを学んだ。

 殴られて痛い思いをしながら、ジェルミは自分がいろいろな人間に守られていたことを悟った。

 道々、ジェルミはエトゥワールとリュメールのことを考えていた。

 甘やかされて育ったことを自覚したいまでは、リュメールに頼っていたことを反省していた。

 愛されることが当たり前だった。エトゥワールも自分を愛していると信じ込んでいた。あの時、闇の王に束縛されたエトゥワールには答えることのできない質問を、ジェルミは無邪気にしていたのだ。

 強引にエトゥワールをさらうか、若しくは、あきらめてしまわないといけなかったのだ。どちらも選ばなかった自分に、エトゥワールを愛する資格はあるだろうか、と思った。

 

 

 

 ジェルミが太陽の国にたどりついた時には、見る影もなく、みすぼらしい姿だった。

 数回、門戸もんどをたたいたが、衛兵に追い払われた。何度もしつこく近従の名を呼んだおかげで、やってきた近従に確認されて、王子かもしれないといわれた。それでも城には入れてもらえず、ジェルミは最後の手段だと、乳母の名を告げた。半日以上過ぎ、乳母が検分にやってきて、初めて王子だと認めてもらえたのだった。




 先に戻った従者は、ジェルミとともにいなかったことを隠して、酒場に潜んでいた。湯浴ゆあみをすませたジェルミに、家臣がどのような処遇にするかと聞いてきたが、ジェルミは従者を辞めさせるだけにとどめた。

 王子の留守のあいだに、南の姫が国旗と矢を持ってきたと告げられた。

 それを聞いて、ジェルミは胸が痛むのを感じた。エトゥワールのことが思いだされたからだ。

 結局、ジェルミは何もできずに戻ってきた。エトゥワールを諦めなければという思いと未練の狭間はざまで、ジェルミの心は揺れた。

 そういう気持ちを押し殺して、王子の義務を果たさねばならない。

 身支度を数人の侍従にさせ、急いで謁見えっけんの間に向かった。

 正装したジェルミは、謁見の間で初めて姫を見た。

 はちみつ色の髪の姫は、笑顔のかわいらしいひとだった。仕草や声も愛らしかった。自分の髪や容姿に似合う服をよく把握している。黄色いドレスを両の手で持って、膝を軽く曲げて、あいさつした。

「ジェルミさま、御機嫌麗しゅう」

「うむ」

 銀色の椅子いすに座ったジェルミは、姫を見つめた。

 内心、好きになれそうな姫で良かったと思った。

 ふと、姫の傍らに目をやる。そこには籠に入った小鳥がいた。その小鳥に見覚えがあった。闇の城でエトゥワールを悩ませ、リュメールに変身した小鳥ではなかろうか。

「その鳥は?」

「はい、矢を持ってきた小鳥にございます」

「矢を?」

 ジェルミはまゆをひそめる。もしも、この小鳥がリュメールならば、やはり、森に矢はあったのだ。けれど、持ってきたのは南の国の姫。この事実は受け入れないといけない。

 ジェルミは長い旅のことをねぎらうと、用意した部屋でゆっくりと休むように、姫に告げた。

 式の日取りは一日もかからずに決まった。姫もそれに同意し、改めて嫁入り道具を携えてやってくると約束して、南の国に戻っていった。

 

 

 

 式が間近に迫った頃、再び、姫がやってきた。今度は多くの侍従と侍女を連れ、隊列を組んで嫁入り道具を運んできた。

 城下町はそれだけでお祭り騒ぎになった。王子と姫の結婚を、国を挙げて祝福した。




 式の当日、ジェルミとアーキシェル姫は太陽の塔に上った。

 子供ができると、ジェルミは妃と別れ、再び太陽の塔に上り、太陽の王となる。

 そういう決まりを、ジェルミは何度も復唱した。復唱しながら、自分が太陽の王になったあと、父王はどこへいくのだろう。妃とともに過ごすのだろうか、と考えていた。

 厳かに式は進み、太陽の王に祝福され、二人は塔を降りた。

 二人は城の西翼を新居とした。子供ができるまでそこで暮らすのだ。

 成人したばかりの王子と、年上の姫は、すぐに仲睦むつまじく、愛し合うようになった。

 アーキシェルが西翼棟の庭にある庵で、ハープを奏でながらジェルミに歌いかける。その声は天使のようだった。

 ジェルミはその声を聞きながら読書をし、執務に励んだ。

 必ず、その傍らには小鳥がいた。ジェルミは小鳥を眺めながら、闇の城でのことを思いだしたすのだった。




 蜜月みつげつの夜、アーキシェルの白い体を抱き締めて、ジェルミはしとねの中で寝返りを打つ。すべやかな背にあの手触りを思いだす。冷たく凍えた肌とは違う、暖かなくぼみ。稜線りょうせん。へそから下のなだらかな丘。指先に反応する声。何もかも違う。

 アーキシェルを愛している。けれど、忘れられない何かが、心にわだかまっていることに気付いた。

 冷たく絶望した黄褐色の瞳。猫のように細められた目。誰のことも信じないくせに、誰をも受け入れる。ジェルミを拒絶するあの心。ジェルミだけでなく、すべてのありようをも拒絶するんだ態度。闇に沈み、暗闇に潜み、常夜に息づく、死のような少女。

 急に思いだされ、無性に恋しくなると、真夜中に褥を抜けだし、小鳥のもとへとせる。

 ジェルミは、どうしてもエトゥワールの声を聞きたかった。どうしても知りたかった。まだ覚えているか、愛はあるか、と。

 しかし、籠の中に小鳥はいなかった。ジェルミは籠を手に、近くにいるかもしれない小鳥に話しかけた。

「リュヌ、リュヌ。ぼくの声が聞こえるか? ぼくの気持ちを知っているか? あの時のままのぼくの気持ちを……、変わりなく彼女を愛するぼくの心を……」

 そこまでいいかけた時、背後から声がした。

「その小鳥の主人は、リュヌというのですか? それとも、小鳥の名がリュヌというのでしょうか? あなたの思いびとの飼われていた小鳥だったのですか?」

 背後の声にジェルミは振り向く。

「その小鳥に矢を持たせたのは、あなただったのですか?」

 アーキシェルが青い顔をしてたたずんでいる。

「アーキシェル……、寝ているとばかり……」

「あなたが、夜な夜な褥を抜けだすのは知っていました」

 ジェルミは後ろめたさに黙り込む。

「あなたの小鳥を見る瞳が優しいことに気付いていました。それは恋人を見る目です。矢を持った小鳥がわたしのもとにやってくるなんて、初めからあなたが仕組んでいたことだったのですか? わたしの思い違いでしょうか」

 何も答えないジェルミに、アーキシェルは泣いて訴える。

「あなたがわたしを見つめる目が、わたしに向けられていないことなどわかっています。あなたが語りかける言葉が、ことごとくわたしにではないことも……。あなたは思いびとを忘れるために、わたしを選ばれたのですね」

 ジェルミは胸を押さえた。諦めなければいけない、二度とあの森へいくことができないこともわかっている。いま、アーキシェルを悲しませることが、よくないこと、これから先を不幸にすることも……。

「確かに小鳥をリュヌとは名付けたが、おまえ以外の女に恋をしているわけでも、思いを寄せているわけでもない」

 ジェルミはその証拠にと、鳥籠を見せつけた。中に小鳥がいないことをわからせる。

「あの小鳥はいない。ぼくも夜中にこの庭を訪れることはやめよう……」

 ジェルミは泣くアーキシェルを抱き寄せた。幸せと愛は別だと。いまは幸せをはぐくもうと。

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