4 ジェルミ

 ジェルミは従者を連れ、放たれた矢を求めて東から西、南へと渡り歩いた。しかし、矢は一向に見つからなかった。

 残るは闇の森となった時、従者が城に戻ろうといいだした。

 しかし、矢の所在もわからないまま戻るわけにはいかない。

 それに、ジェルミはリュメールのことを思いだした。

 もし、闇の森にいくことを恐れて引き返した、と彼女が知ったら、きっとまた呆れられるだろう。

 あの時は弱虫でいいと思ったが、いまは自分のことを侮っている従者も共にいる。従者にまでばかにされるのはいやだ、とジェルミは思った。

「王子、矢はいずれ見つかります。今回は城に戻り、姫が矢を持って名乗りだすのを待ちましょう」

 従者は卑屈な顔をしていった。その顔には王子への侮蔑ぶべつとへつらいが込められている。

 ジェルミは強がっていってしまった。

「何も持たずに戻るわけにはいかない。戻りたいなら、おまえだけ先に帰ればいい」

「それはいけません。王子のお世話をするのが仕事ですから」

 やがて、二人は森のすそについた。ジェルミは馬から下りる。

 闇の森の黒々とした樹木が、強固なよろいのように見える。森の入り口に生える木々の密度が高く、馬を乗り入れることは難しく思えた。

 ジェルミはつばを飲み、足を踏みだす。

「王子、のろわれた森に入るのは……」

 従者が怯えた声を上げた。

「ぼくは怖くない。おまえはついてこなくていい」

 ジェルミは一人で黒い闇の森に入っていった。




 一歩踏み込んだとたん、太陽の光が閉ざされた。

 日差しは分厚い梢に遮られ、冬のように冷え冷えとした空気が横たわっている。

 森は、夜のように薄暗い。

 森の木々の枝は、ジェルミの背後を緑のカーテンで隠していく。

 木の根っこがはびこり、それに足が取られる。奇妙な形にねじくれて伸びる枝。いく手を遮るように縦横に生える蔦。それらをよけながら、ジェルミは盲目的にまえに進んだ。

 どれほどの時間を歩いたかもわからない。同じ場所をぐるぐるとまわっている錯覚に陥る。

 空腹を感じ、更に不安になる。馬に積んだ食料をおいてきてしまったのだ。

 後悔しても遅い。どこからやってきたのかさえ、わからないのだから。

 疲れで視界がぶれだした時……。

(あいつ、だれだ)

(えものだよ)

(エトゥワールさまのえもの)

 くすくすという笑い声が、低木の茂みから聞こえ始める。しわがれた、野卑な声。それは一様にキイキイと甲高い。茂みはどう見てもジェルミの腰より低い。一体何が潜んでいるのか、ジェルミは気味悪く思った。

 そんなジェルミの思いを無視して、甲高い声は後ろをついてくる。

(どうする)

(どうしようか)

(エトゥワールさまにもっていくか)

(そうしようか)

 声はジェルミのことなど気にせず話し込んでいる。

 ジェルミは立ち止まった。とうとう好奇心に負けてしまった。

 エトゥワールとは誰だろう、闇の森に人間がすんでいるのだろうか……? とジェルミは思った。

 生まれて初めて一人になって、他人が恋しくなったのかもしれない。

「そこにいるのは、誰だ?」

 ジェルミは恐る恐る声をかけた。

(きづいたぞ)

(いまごろか)

(おろかものだ)

(でもわかい)

(うつくしい)

(こっちにこい)

(こいこい)

(ついてこい)

(エトゥワールさまにおあいしろ)

 声はひいひいと笑いながら、葉陰を揺らして遠ざかっていった。エトゥワールという人間の居場所に案内するつもりのようだった。

 声は少し進んでは待つ、ということを繰り返す。

 ジェルミにとって、その声だけが頼りだった。

 ジェルミは必死で、茂みの中から聞こえてくる声を追いかけた。




 声を追いかけていくうちに、とても広い空き地にでた。ひらけた木々のこずえから、暮れなずむ空が覗く。そこから差し込む夕日のあかね色が木々の葉を染め上げている。その枝葉の向こうに真っ黒い城がそびえていた。

 城の外壁はごつごつとした黒水晶に覆われている。でこぼことした装飾は、不可解な薄気味悪さを感じさせる。まるで巨大なアリ塚に、尖塔せんとうを何本も立てたようだ。

 城を囲むように作られた庭には、白い石膏せっこうの噴水とアラバスタ細工の乙女たちの像がある。

 生気の感じられない庭と城をジェルミは見つめ、立ち尽くしていた。

 薄暮の森の裾で、小鳥が鳴いている。小鳥は噴水の縁に留まり、首をかしげてジェルミを見ている。

 ジェルミが小鳥に近づこうとした時、城の正面にある扉のひらく、重たい音が響いた。ジェルミは小鳥のことを忘れ、扉へ向かった。


 


 黒い骨を組み合わせたような扉が、大きな口を開けてジェルミを待っていた。

 扉の奥には、点々と等間隔に緑の淡い灯火ともしびが並んでいる。淡い灯火が届かない場所には暗い闇がわだかまっている。

 ジェルミはためらう。

 ここがあの闇の城なのか。幼い頃にリュメールに誘われたが、怖くていくことすらできなかった。それがいまになって、妃探しのために訪れることになろうとは、皮肉だった。

 こんな時にリュメールが隣にいれば、恐れるものなどないように思えた。

(おやかたさまがおまちだ……)

(エトゥワールさまがおまちだ……)

(わかいおとこをまちこがれている……)

 またもあのしわがれた笑い声が、城の奥から聞こえてくる。

 ジェルミの胸が、再び好奇心にうずいた。エトゥワールという人物が、お館さまといわれているのだろうか。一体、どんなひとなのだろう。

 とうとう好奇心が恐怖に勝った。

 ジェルミはしわがれた声に導かれ、城の奥へと進んでいった。

 幾つも扉を越え、天井の高いドームを通り抜ける。緑色に照らされた長い廊下を過ぎていく。緑色の灯火に、黄色いろうそくの光が混じり始めた。

 気付くと、ほかの場所とは雰囲気の違う部屋に立っていた。

 見上げると、天井には煙水晶のシャンデリアが垂れ下がり、そこから黄色い灯火が揺れている。

 石の床には、黒い毛皮が敷き詰められている。ジェルミは視線を徐々に奥へと移した。

 奥まったところに黒い繻子しゅすのカーテンが下がっており、その中に誰かが横たわっている。

 女の白い足先がカーテンの隙間からでており、生気のない肌をさらしている。

「ようこそ、闇の城へ」

 カーテンの奥から聞こえた声は、うら若いものだった。恐らくジェルミと変わらない年頃ではないだろうか。

 きぬ擦れの音とともに、黒い繻子のカーテンがひらかれて、奥から黒い絹のドレスをまとった女が現れた。その顔は黒繻子の陰になり、はっきりと窺うことができない。

 幾つもの黒いビロードのクッションにうずもれ、横たわっている。黒繻子から燃えるような赤い髪が垂れて見えている。

 ジェルミは、心を奪われたように赤い髪を見つめていた。

「こちらへ」

 ふいに片手で招かれる。ジェルミは魔法にかけられたように女に近づいた。

 傍らのクッションに座るように促され、ジェルミは素直に腰を下ろした。

 黒繻子がさらさらと揺れ、真っ白な女の顔が現れた。赤い髪がしどけなく女の顔を覆い、その目は黄褐色で、猫の瞳のように気まぐれに動く。唇はしっとりとれてあかく、官能的に笑みを造っている。

 女はどことなくリュメールに似ていたが、ジェルミは気付かなかった。余りにもその印象が違いすぎたためだ。一目で女に心を奪われたジェルミには、女がリュメールと似ていることがわからなかったのだ。




 彼女は、夜に咲く赤いバラ、闇にあやしくきらめくルビー、夜空に輝く紅い星。

 ジェルミは言葉が尽きると、今度は唇と指先の愛撫で、エトゥワールの素晴らしさをたたえた。

 滑らかな白い肌に、紫色の紋様が浮かんでいる。紋様は、豊かな両乳房を脇からすくうように取り巻いている。そのまま、なだらかな凹凸を這うように紋様は伸びていき、足先まで取り巻いていた。

 ジェルミはエトゥワールのそばに横たわり、美しいと思う場所すべてに口付けていった。

 エトゥワールは、ジェルミが思った通り、若い女であった。だが、彼女は若々しくはつらつとしていない。気怠けだるい雰囲気を醸している。彼女が何もかもにうんざりしているように、ジェルミには思えた。

 彼女は余りしゃべらない。声を立てて楽しそうに笑わない。恋い焦がれるジェルミに、おもいを告げてくれない。

 ジェルミは、エトゥワールに何度も愛していると告げた。鹿のような、しなやかでたくましい四肢を絡ませながら、何度も何度も息吹をほとばしらせて、愛の言葉をささやいた。

 しかし、彼女は冷笑するだけ。

 共に太陽の国にいこうといっても、彼女は何も答えない。何度もしつこく問うて、やっとエトゥワールは冷たい瞳でジェルミをにらんだ。

「おまえは愚かものだ。ここがどこか忘れている。ここは闇の城。そして、わらわは闇の王の許嫁いいなずけ。そこまでわかっていながら、なおもわからぬふりをする。おまえはどうしようもない愚かものだ」

「エトゥワール、君はまだ闇の王と結婚していないじゃないか」

 その言葉に、エトゥワールは冷たい視線を向ける。

「ここでぼくと幾夜いくやも過ごしたが、現に闇の王はやってこない。君が本当に許嫁だという証拠があるのか」

「わらわがここにすんでいることが証拠だ」

「ぼくのことが嫌いだから、ついてきてくれないのか? ぼくのことが好きじゃないのか?」

 エトゥワールは何かをいいかけたが、ジェルミから視線を外すと、部屋の暗い一角を見つめた。深いため息をき、口を閉ざしてしまった。

 ジェルミにとって、矢は、エトゥワールを連れだす、格好のいいわけだった。まるで、矢があればエトゥワールが自分を愛し始めてくれるように勘違いした。

「矢があれば……、君を妃として連れていけるのに……。闇の王から君を奪う口実になるのに……」

 エトゥワールのあからさまな拒絶をまえに、ジェルミは同じ言葉を繰り返すしかなかった。

 物陰からしわがれた話し声が聞こえてくる。

(ばかだ、おろかものだ)

(おつむがからっぽだ)

(やみのおうはずっといる)

(みてるぞ、ぜんぶしってる)

(おやかたさまも、そろそろこいつにあきてくるころだ)

(そうだ、あきてくる……)

 エトゥワールとのことを、闇の王は知っている。二人の行為を隠れて見ている。もしかすると、いまもこの部屋にいるかもしれない。そんなことを考えて、ジェルミは怖気おぞけを感じた。




 二人で寝台に寝そべっていると、窓の外から小鳥の鳴き声がした。鳴き声が聞こえるとともに、エトゥワールは怒りっぽくなって、魔物やジェルミに当たり散らした。

 閉口したジェルミは、寝台から抜けだした。

 衣服の上からガウンをはおり、庭に向かった。

 いつしか、廊下を抜け、中庭を臨む回廊にでた。中庭は色に染まっている。ぼんやりとたたずんでいると、徐々に周りが紫色に塗り替えられる。

 薄暮の中庭に、小鳥が舞い降りた。

 ジェルミは夢うつつの気持ちで、その光景を見ていた。

 小鳥は乙女たちの像のあいだを飛び跳ねた。小鳥は膨れ上がり、少女の姿になった。ぼんやりとした幽鬼の姿。その少女がエトゥワールにうり二つなのに気付く。

 ジェルミは驚きを隠せず、ただ見つめている。少女が踊りをやめた時、ジェルミは少女に近づいた。

「リュヌ」

 幽鬼のような少女は、友人のリュメールに間違いなかった。

 リュメールは、ジェルミに気付き、さびしげにほほえんだ。

「久しぶりね」

 次々と、ジェルミの口を疑問が突いてでる。

「なぜ、君がここにいるんだ」

「ここがわたしのいる場所だから。そんなことより、この城からお逃げなさい。でないと、あなたもいまに血祭りにされるわよ」

 リュメールの物騒な発言にジェルミは驚いた。

「どういうこと?」

「エトゥワールは男に飽きると、魔物に慰みものとして下げ渡して、八つ裂きにするのが趣味なの」

 ジェルミはガウンをぎゅっとかき抱き、青い顔をしていった。

「まさか……」

「いままで、例外はなかったの。それに、闇の王の許嫁でもある。ただではすまないわよ」

「どうしよう?」

「逃げるしかないわ。いますぐに」

「でも、でも、ぼくは彼女を愛してる。この森で矢さえ見つかれば、ぼくは彼女を連れていけるんじゃないかな」

「矢もないのに何をいってるの?」

「リュヌは矢のある場所を知らないの? 矢があったら、彼女もぼくについてきてくれるんじゃないかと思うんだ。矢がないから、彼女はぼくに思いを告げられないのかもしれない」

「何をばかなことをいってるの? あの子は矢があろうとなかろうと、誰も愛さないわ。良心がないのだから誰も愛せないのよ」

「それなら、どうしたらいいの?」

「あの子の良心でも探すしかないわね……」

 エトゥワールには良心がないと聞かされ、ジェルミは納得した。あの冷たさはそうとしか説明ができない。

「良心を見つけたら、エトゥワールはぼくについてきてくれるかしら?」

「いつまでも何をいってるの、おばかさん。横恋慕はやめて、さっさとお逃げなさい」

 リュメールはジェルミの言葉を一蹴いっしゅうした。

 ジェルミはリュメールに追い立てられ、森に入っていった。

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