2 ジェルミ

 乳母や侍女、松明たいまつを持って見回りをする騎士たちの目を盗んで、ジェルミとリュメールは東翼の回廊を渡り、庭園にでた。

 リュメールは迷うことなく、ジェルミが暮らしている宮殿の東翼から、太陽の塔へと向かって走っていく。

 太陽の塔は宮殿の北側にそびえている。しかし、ジェルミは太陽の塔への正確な道順みちゆきを知らない。暗闇の中で銀色に光るリュメールを頼りに、ジェルミはその後ろをついていった。

 塔の周囲には松明がともっている。金色に塗られた門扉は、固く閉じられている。

 二人は見回りの騎士の目から隠れて、茂みの中にうずくまった。地面をいながら、松明の明かりに照らされた塔まで近づいていく。

 ようやく二人は塔のもとまでやってきた。見上げると、随分高いところに閉じられた窓がある。地面から丈夫そうなつたが生えていて、壁をつたい、窓まで伸びている。

 リュメールがためらうことなく、子供の腕ほどもある蔦に手をかけた。網目のように茂った蔦をぐいと引くが、びくともしない。

「登れそう」

 リュメールの命知らずな言葉に、ジェルミは気後おくれした。頭上に小さく見える窓を眺めて、背筋が凍る。

「無理だ……」

 思わず涙声になった。

「弱虫」

 リュメールにばかにされ、仕方なくジェルミも彼女のあとに続いた。蔦にすがると、引き絞った弓のような音を、蔦が立てた。一瞬慌てるが、どんどん登っていくリュメールを見て、ジェルミは急いであとを追った。

 ジェルミが足をかけるたびにきしむ蔦、よじ登るたびに揺さぶられる葉。ようやく窓にすがりついた時、はるか下方から悲鳴が上がった。

「ジェルミさま!」

 乳母や侍女が口々に降りてくるように、叫んでいる。

「見つかっちゃった」

 残念そうにリュメールがつぶやいた。二人で窓をのぞくが、部屋の中は真っ暗で何も見えない。

「太陽の王、いないのかな」

 ジェルミもがっかりした。そう感じたとたん、それまで覚えなかった恐怖が、足先からじわじわと這いあがってきた。

「降りよう」

 リュメールはそういい、するすると蔦を伝い降りていく。

 けれど、ジェルミの足はすくみ上がり、全く体がいうことを聞かない。

 こわごわ下をうかがうと、心配そうなひとびとが、おもちゃのように小さく見える。その小ささにまた震えがくる。

「降りられない……」

 ジェルミの言葉に、リュメールはあきれかえって手を差し出した。いつの間にか、リュメールの体は空中に浮かんでいた。

「ほら、手を握って」

「でも、落ちてしまうよ」

「大丈夫だって。わたしがついてるから」

 ジェルミはためらいつつも、リュメールの手を取った。

「飛んで!」

 リュメールのひと声とともに、ジェルミは目をつぶり、蔦を離すと、空中に身を躍らせた。

 足元から沸き起こる悲鳴。

 足先に感じる確かな固い感触。

 体を包む安堵(あんど)のため息。

 乳母がジェルミに抱きつき、泣いていた。

「何て、何てやんちゃな王子でしょう」

 乳母はそういい、何度もジェルミの背中や髪を撫でつけた。

 リュメールはジェルミの手を離し、満足そうにいった。

「ほらね、大丈夫だったでしょ」

 ジェルミには何が起こったかわからなかったが、あの高さからジェルミは飛び降り、無事に着地したらしい。

「ねぇ。ぼくの手を握っていた女の子を見たでしょう?」

 しかし、乳母は不思議そうな顔をして、否定した。

 ジェルミと手をつないでいたリュメールの姿を、誰も見なかったといわれた。幼いジェルミには、リュメールの姿が他人に見えないことが、どうしても納得がいかなかった。




 ジェルミが少しずつ大きくなるにつれ、リュメールも成長した。髪が伸び、背が高く線の細い少女になった。

 そのころになると、ジェルミはリュメールに対して疑問がいてきた。

「リュヌは、なぜ他人には見えないの?」

「じゃあ、反対に聞くけど、どうして他人に見えないといけないの? わたしはジェルミの友人。ほかのひとの友人じゃない。ジェルミにだけ見えていれば、何の問題もないの。それよりそういうことが気になること自体、わたしにとって不思議だわ!」

 反対にリュメールにそういわれ、ジェルミは困った。自分の疑問を強く彼女に問いただせなくなってしまった。

 リュメールの気の強さが苛立いらだたしくもあり、うらやましくもあった。それはジェルミにないものだったから。

 何をするにせよ、リュメールの主導がなければ、ジェルミにはやる気が起こらなかった。失敗した時に、乳母に皮肉をいわれるのがいやだった。それに、最も尊敬する父親、太陽の王に呆れられることを考えると怖くなるのだ。そのため、自分でもできそうなことならばやってもいいけれど、誰もしたことがない難しいことに挑戦する自信が、ジェルミにはなかった。

 ジェルミの自信のなさを、リュメールはいつもからかった。城の外にでようとか、馬に乗ることを覚えようとか、果ては闇の森にいこう、と誘うのだった。

 闇の森。

 太陽の国の人間なら、誰しもその言葉を聞くと、震えあがる。闇の森には、闇の王がすまうといわれている。

 太陽の王が神なら、闇の王は悪魔だった。闇のように黒く、ありとあらゆる災いを呼ぶ。いや、呪いをかけるのだろうか。

 若者をさらい、森にある闇の城で血祭りに上げるとか、病や不幸はすべて、闇の王がもたらすものだと、国民は信じている。

 ジェルミもそういったうわさを信じて、闇の森や闇の王を怖がった。

 それをリュメールは笑うのだ。

「ジェルミはなぜ闇の王が怖いの? 闇の王が悪魔だから? でも、みんなのまえにでてきたことなんて、ないじゃない」

「リュヌ、あのひとは人間をさらうらしいよ。闇の城に連れていかれて、戻ってきた人間はいないんだって聞いたよ」

「おばかさん、本当かどうかもわからないのに、信じるなんて。わたしと一緒にそれが本当かどうか確かめましょうよ」

「無理だよ、ぼくにはできないよ……」

「闇の王なんて怖くないって思えないの? 王子なのに? 未来の太陽の王なのに? 闇の王を怖がる太陽の王になるつもりなの? 本当にジェルミは弱虫ね」

 弱虫でいい、余計なことをして大人を怒らせたくない、ましてや、太陽の王にとがめられたくない、とジェルミは思った。

「いいんだ、ぼくは弱虫で」

 ジェルミが小さな声でいうのを聞いて、リュメールは呆れたように肩をすくめた。

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