2 ジェルミ
乳母や侍女、
リュメールは迷うことなく、ジェルミが暮らしている宮殿の東翼から、太陽の塔へと向かって走っていく。
太陽の塔は宮殿の北側にそびえている。しかし、ジェルミは太陽の塔への正確な
塔の周囲には松明が
二人は見回りの騎士の目から隠れて、茂みの中にうずくまった。地面を
ようやく二人は塔のもとまでやってきた。見上げると、随分高いところに閉じられた窓がある。地面から丈夫そうな
リュメールがためらうことなく、子供の腕ほどもある蔦に手をかけた。網目のように茂った蔦をぐいと引くが、びくともしない。
「登れそう」
リュメールの命知らずな言葉に、ジェルミは
「無理だ……」
思わず涙声になった。
「弱虫」
リュメールにばかにされ、仕方なくジェルミも彼女のあとに続いた。蔦にすがると、引き絞った弓のような音を、蔦が立てた。一瞬慌てるが、どんどん登っていくリュメールを見て、ジェルミは急いであとを追った。
ジェルミが足をかけるたびにきしむ蔦、よじ登るたびに揺さぶられる葉。ようやく窓にすがりついた時、はるか下方から悲鳴が上がった。
「ジェルミさま!」
乳母や侍女が口々に降りてくるように、叫んでいる。
「見つかっちゃった」
残念そうにリュメールがつぶやいた。二人で窓を
「太陽の王、いないのかな」
ジェルミもがっかりした。そう感じたとたん、それまで覚えなかった恐怖が、足先からじわじわと這いあがってきた。
「降りよう」
リュメールはそういい、するすると蔦を伝い降りていく。
けれど、ジェルミの足はすくみ上がり、全く体がいうことを聞かない。
こわごわ下を
「降りられない……」
ジェルミの言葉に、リュメールは
「ほら、手を握って」
「でも、落ちてしまうよ」
「大丈夫だって。わたしがついてるから」
ジェルミはためらいつつも、リュメールの手を取った。
「飛んで!」
リュメールのひと声とともに、ジェルミは目をつぶり、蔦を離すと、空中に身を躍らせた。
足元から沸き起こる悲鳴。
足先に感じる確かな固い感触。
体を包む安堵(あんど)のため息。
乳母がジェルミに抱きつき、泣いていた。
「何て、何てやんちゃな王子でしょう」
乳母はそういい、何度もジェルミの背中や髪を撫でつけた。
リュメールはジェルミの手を離し、満足そうにいった。
「ほらね、大丈夫だったでしょ」
ジェルミには何が起こったかわからなかったが、あの高さからジェルミは飛び降り、無事に着地したらしい。
「ねぇ。ぼくの手を握っていた女の子を見たでしょう?」
しかし、乳母は不思議そうな顔をして、否定した。
ジェルミと手をつないでいたリュメールの姿を、誰も見なかったといわれた。幼いジェルミには、リュメールの姿が他人に見えないことが、どうしても納得がいかなかった。
ジェルミが少しずつ大きくなるにつれ、リュメールも成長した。髪が伸び、背が高く線の細い少女になった。
その
「リュヌは、なぜ他人には見えないの?」
「じゃあ、反対に聞くけど、どうして他人に見えないといけないの? わたしはジェルミの友人。ほかのひとの友人じゃない。ジェルミにだけ見えていれば、何の問題もないの。それよりそういうことが気になること自体、わたしにとって不思議だわ!」
反対にリュメールにそういわれ、ジェルミは困った。自分の疑問を強く彼女に問いただせなくなってしまった。
リュメールの気の強さが
何をするにせよ、リュメールの主導がなければ、ジェルミにはやる気が起こらなかった。失敗した時に、乳母に皮肉をいわれるのがいやだった。それに、最も尊敬する父親、太陽の王に呆れられることを考えると怖くなるのだ。そのため、自分でもできそうなことならばやってもいいけれど、誰もしたことがない難しいことに挑戦する自信が、ジェルミにはなかった。
ジェルミの自信のなさを、リュメールはいつもからかった。城の外にでようとか、馬に乗ることを覚えようとか、果ては闇の森にいこう、と誘うのだった。
闇の森。
太陽の国の人間なら、誰しもその言葉を聞くと、震えあがる。闇の森には、闇の王がすまうといわれている。
太陽の王が神なら、闇の王は悪魔だった。闇のように黒く、ありとあらゆる災いを呼ぶ。いや、呪いをかけるのだろうか。
若者をさらい、森にある闇の城で血祭りに上げるとか、病や不幸はすべて、闇の王がもたらすものだと、国民は信じている。
ジェルミもそういった
それをリュメールは笑うのだ。
「ジェルミはなぜ闇の王が怖いの? 闇の王が悪魔だから? でも、みんなのまえにでてきたことなんて、ないじゃない」
「リュヌ、あのひとは人間をさらうらしいよ。闇の城に連れていかれて、戻ってきた人間はいないんだって聞いたよ」
「おばかさん、本当かどうかもわからないのに、信じるなんて。わたしと一緒にそれが本当かどうか確かめましょうよ」
「無理だよ、ぼくにはできないよ……」
「闇の王なんて怖くないって思えないの? 王子なのに? 未来の太陽の王なのに? 闇の王を怖がる太陽の王になるつもりなの? 本当にジェルミは弱虫ね」
弱虫でいい、余計なことをして大人を怒らせたくない、ましてや、太陽の王にとがめられたくない、とジェルミは思った。
「いいんだ、ぼくは弱虫で」
ジェルミが小さな声でいうのを聞いて、リュメールは呆れたように肩をすくめた。
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