#107 ふうか

 小さい頃から楽器が好きだった。

 

 2歳頃から、母が買ってきたおもちゃの鍵盤や弦楽器を、ただひたすらに弾いていた。


 3歳の頃。

 幼稚園の先生が、母に慌てて電話をしたらしい。

 

「楓花ちゃんが、私のピアノの音を完全に真似たんです」

 

 それも、リズムも音程も、完璧に、らしい。

 無論、今の私にはそんな記憶は残っていない。が、そこで母は確信したらしい。

 

 『この子には、音楽の才能がある』と。

 

 母は、まだ3歳だった私をピアノ教室に入れた。

 

 その教室の先生も、慌てふためいて母にこう言ったのだという。

 

「この子は、飲み込みが早すぎます」

 

 4歳で、その年代のコンクールで大した努力もせずに平然と優勝してしまった。

 そして小学校へ入学すると共に、大手のピアノ教室に招かれ、ハイクラスでレッスンを受けることになった。

 

 ハイクラスとはいえ、私はそこまで苦痛な練習とは感じなかった。周りが次々とランクを落とし、教室を変えていくのを見ても、理解ができなかった。

 

 取材が来る、プロが来る、企業が来る。

 雑誌やニュースでは「天才少女」と呼ばれ、祭り上げられた。

 でも、有頂天にはならなかったし、見栄も張らなかった。そんな気にもならなかった。

 

 「負け」が分からない、努力もしたことがない。

 

 努力もせずに周囲から崇められても、何も面白くない。嬉しいのは最初だけ。だんだん、自分が何者なのか分からなくなってくる。

 「自分」の中から「自分」が消えていく…「私」が、無機物のようにだんだんと空っぽになっていくように感じた。

 

 オリンピックでメダルを獲得した選手はみんな、死に物狂いで努力をした末、あんなに笑っているのに。

 私は、周りを盛り上げるためだけの機械なのだろうか。

 いつの間にか私は、スポーツ選手や偉人の努力を辿るドキュメンタリー番組を積極的に見るようになった。

 努力をして栄光を掴んでいる人物を見て、自分のその気分に浸りたかったのかもしれない。

 が、努力人の「天才」と私の「天才」は、かなり意味合いが違っていると思う。

 

 生まれ持った「天才」よりも、努力の末に獲得した「天才」の方が、遥か格好良い。いや、生まれ持った才能など、いつか努力の末に獲得した才能に敗北を喫するだろう。

 いつかその「敗北」を味わえば、私も「努力」を始めるはずだ。

 

 案の定、その時はやってきた。

 

 高校1年生の夏。

 全国コンクールで、私は同い年の男子に僅差で負けた。

 

 彼は、小学2年生からピアノを始め、死に物狂いで努力をし、ここまで勝ち上がってきたのだという。

 

 表彰盾を持った彼の笑顔は、とても爽やかだった。

 私は、あんな笑顔を見せた自分を見たことがない。

 

 

 あー、やっぱりね。

 

 

 取材や企業は全て、彼に注目を移した。

 雑誌やニュースも、彼の話題でひっぱりだこ。

 『天才少女を破る強者現る!』なんてキャッチコピーで、彼をちやほやし始めた。映像の合間に、「次は頑張ります」と無表情で言う私の映像が葬式のように流れていた。

 

 悔しくはなかった。

 寧ろ、思っていた通りだった。

 

 ただ、今まであまり感じていなかった「プレッシャー」を、とても敏感に感じるようになった。

 

「次は頑張るよね?」

「次も優勝できるよね?」

「さすが小田さん! やはり君は天才だ!」

「という訳で、次も頑張ってね」

 

 家族、親戚、先生、マスコミ…

 社会が、私に期待している。

 私の「努力」を。

 

 努力をすることが苦手だった私は、重圧に負けまいとひたすら「努力」をするために努力した。

 

 ピアノの練習時間を増やした。

 勉学にもいっそう励んだ。

 

 ピアノと勉強だけで、1日があっという間に終わった。

 いつも、気がついたらベッドに横たわっている。

 

 努力しなきゃ。頑張らなきゃ。

 あの子に負けないように。みんなの期待に応えられるように。

 

 結局は、悔しかったのかもしれない。

 

 

 

 専属の先生は、かつてピアニストとして世界で活躍していた女性だった。

 

 何でもすぐに飲み込み、実行していた私に、厳しい言葉をかけることは滅多になかった。

 

 ただ、『どんな勝負事も楽しめ』と。

 周囲からの重圧に負け、勝敗だけを気にするようになったら、そこでお終いだと言っていた。

 

 1度の敗北をきっかけに死に物狂いで努力を始めた私を、先生は心配するようになった。

 

 ちゃんと休んでる? 周りのことばかり気にしちゃ駄目だよ。

 もちろん、努力は何事にもつきものだけど…

 今の楓花ちゃんは、ピアノを弾いてて楽しい? と。

 

 私はピアノ自体は大好きだったが、そのピアノを利用してちやほやされている自分のことはあまり好きではなかった。

 

 

 その後、結局私はピアノを楽しめず、ただただ頂点だけを目指してもがくようになってしまった。

 

 

 優勝や最優秀賞も何度も取った。が、それよりも追い越される回数の方が多くなった。

 

 廃れていく私を、マスコミや企業は何事もなかったかのように見捨てていった。

 

 やがて、専属の先生も、私を離れることになった。

 

 先生は、私のことでとても悩んでいたらしい。

 自分の教え方が間違っていたのか。それとも、自分と私の相性が良くなかったのか。

 

 

 しかし私は、そんな先生の気持ちを汲み取る余裕もなく、ただただ機械のように練習や勉強をしていた。

 今考えると、とても悲しませるようなことをしていたと思う。

 

 

 

 高校1年生の冬。

 先生が、私から離れる直前。

 

 

 私はとうとう重圧に負け、社会との間にシャッターを降ろした。

 

 

 生まれ持った才能を持つ者は、努力をしても認められない。

 「天賦の才能」というレッテルを貼られ、ちやほやされ、その才能が廃れた瞬間、レッテルは消滅するのだ。

 

 

 引きこもってから数日は、狂ったようにピアノを弾き続けた。

 

 何度も何度も繰り返し弾いた課題曲や、好きで弾いていた火曜曲……それらの曲をごちゃまぜにして、好き勝手に弾きまくった。


 涙で、顔をぐしゃぐしゃにしながら。

 


 心の中に溜まっていた蟠りが発散された途端、私はベッドに転がり込んだ。

 それからはただひたすら、ベッドの上でスマホを眺めた。くだらないギャグ漫画やYouTuberの動画を見てほくそ笑んだり、泣ける小説を読んで余韻に浸ったり…。

 

 

 いつの間にか昼夜の生活が逆転し、ドアの前に置かれた朝食を夕方に食べる、なんてこともしょっちゅうあった。

 父は東京へ単身赴任に行っているし、母もパートが忙しいらしく昼は家にいない。

 

 

 日本中を震撼させた人物が、今は部屋に引きこもって人間のゴミと化しているのだ。これほど滑稽なものはないだろう。

 

 

 裏の森に現れたあの光が、私の運命を変えてくれたのだろうか。

 コミュニケーションや感情表現が、少しだけ得意になってきた。

 

 たとえ夢の中であっても、お先真っ暗だったはずの私の未来に、小さな光を灯してくれているような気がする。

 

 

 

 現代の日本もジャパリパークくらい平和だったら、当時の私も外の世界とのシャッターを降ろしていなかったかもしれない。

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