螺旋の記憶

バカの天才

はじめまして、それじゃあね

 

 あなたは今、幸せですか?


 この質問をすると、半分以上の人は幸せではない。と言うのではないだろうか。

 そもそも幸せの定義は決まったものではないし、人によって変わる。だからそういう結果になるのも仕方ないのかもしれない。


 でも、俺は胸を張って言わせてもらおう。


 幸せです!と。



 街中にある公園の噴水前で男が一人でいる。そんな事をしている男の目的は一つしかないだろう。

 俺は今彼女と待ち合わせをしている。

 

 大学に入学した俺は、すぐに同じ学部の女の子に一目惚れをした。

 聞くところによると、名前は内田和恵さんというらしい。

 茶色に染めたショートヘアーがとても似合っている、陽気で可憐なおどけさが残る女性。

 顔は綺麗に整っており、十人に「あの子は美人か?」と聞けば九人以上は「そうだ」と答えるだろう。

 

 高校までは恋愛に疎かった俺も、大学に入ったら絶対に彼女を作ろうと決めていた。そう思っていた俺は和恵さんに一目惚れをした。


 俺は他の人が見たら引くぐらいにアタックをした。

 しかし、俺がちょっとやり過ぎたかなぁと思う言動も和恵さんは笑顔で受け止めてくれた。

 俺はますます和恵さんの魅力に惹かれていった。

 

 その甲斐あってかどうかは分からないが、俺がご飯でも食べに行きませんか?と誘ったらオッケーしてくれた。

 そこで少しきつめに酒に酔ってしまい、勢いで告白してしまった。


「和恵さん!ぼっ僕はあなたを一目見たときからずっと好きでした!僕と…付き合ってくれませんか?」


 俺の声は震えていた。当たり前かもしれない。なぜなら今まで彼女どころか、告白をしたこともされたこともなかったのだから。

 返事を待つ間の時が永遠のように長く感じた。

 もしかしたら受験を受けるよりも緊張したかもしれない。

 だからこそ和恵さんが笑顔で


「はい、よろしくお願いします」


 と言ってくれた時には死ぬほど嬉しかった。

 人生一番の喜びと言っても過言ではなかった。

 思わずお店の中でガッツポーズしてしまい、和恵さんと店員に笑われたのはとても恥ずかしかったが今となってはいい思い出だ。


 そして俺と和恵さんは今までにすでに四回デートを重ね、今回が五回目のデートと言うわけだ。

 

「ごめんね、待った?」

 

 後ろから白いワンピースを着た和恵さんが声を掛けてきた。今は集合時間一分前なので遅刻はしていない。しかし俺は二十分前から待っていたので結構疲れてしまった。


「ううん、今来たところだから大丈夫だよ」


 もちろんそんな事は言えないが。


 それから俺たちは買い物に行ったり、映画を観たりと普通のカップルっぽいデートをしていった。

 和恵さんと過ごす時間はとても充実したもので、時が経つのがとても早く感じた。

 

 そして夕焼けの見える海岸を一緒に歩いているときに和恵さんは笑顔でこう言うのだった。


「ねぇ、私独り暮らししてるでしょ?…今日は泊まっていかない?」


 これはついに俺もチェリーボーイを卒業ということなのだろうか。

 俺は断る理由がないどころかこちらからお願いしたいぐらいだったので、もちろん二つ返事で承諾した。


 俺は和恵さんの家に行ってもずっとそわそわしていた。傍から見ると変態のように見えるだろう。

 和恵さんは家に帰るとすぐに、お風呂に入ってくるね。と言って行ってしまった。

 女の人の部屋に入るのなんて初めてだったのでどこを見ていいのかも分からずに、正座をしながらうつむいてもじもじしていた。

 我ながら恥ずかしい。


 和恵さんがお風呂から出てくる音が聞こえる。


(心の準備がまだできてない!)


 そんな俺の心の声は聞こえるはずもなく、俺のいる部屋のドアが開かれる。


「あっ、あの和恵さん。俺もお風呂に入った方がいいかな?」


 俺はこんなのは初めてなので女の子の気持ちがよく分からず、一応和恵さんに聞いてみた。


「…見つけた」


「へっ?」


 しかし、和恵さんから帰ってきたのは俺の質問には全く答えていないものだった。

 それどころかよく分からないことを言っている。


「やっと、会えたよお兄ちゃん!」


「ちっ、ちょっと待って和恵さん!兄妹プレイもいいかもしれないけど、俺初めてはノーマルがいいな!」


 和恵さんももう待ちきれなくなってしまったのか、俺に裸のまま飛び付いてくる。

 しかも兄妹プレイをご所望のようだ。


「何言ってるのお兄ちゃん?私のこと忘れちゃった?」

 

「和恵さんこそ何言ってるの?俺が忘れるわけないでしょ?」


 何か違和感がある。


「ほら!やっぱり名前間違えてる!お兄ちゃんひどい!」


 やはり何かがおかしい。

 いくら和恵さんが兄妹プレイを望んでいるといっても、何も言わずに初めてここまで引っ張るというのは、彼女の性格的にあり得ないし、そもそも和恵という名前を間違えてると言うことがおかしい。


 俺はオカルトの類は全く信じていない。幽霊なんて何かの見間違いだし、超能力とかは科学技術だと思っている。

 

 だからこそ、俺は俺の一抹の不安を拭うために敢えて聞いた。


「君の名前を教えてくれないか?」


「んもぉ、お兄ちゃんは意地悪だなぁ。私だよ、和子だよ!か・ず・こ!」 

 

 その顔は真剣そのものだった。ふざけている様子は見られないし、プレイしにてはさすがにやり過ぎだ。

 つまり、これはそういうことなのだろう。


「……とりあえず服を着て、お話しようか」


 

「つまり君は、俺に似た人の妹で、戦争に行って帰って来なかったらその人を追って過去から来たと。そういうことでいいのかな?」


「似た人じゃなくて、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ!だって姿形も声も一緒なんだもん!」


「悪いけど…俺は君の言っているお兄ちゃんじゃないんだ」


「和子」


「ん?」


「前みたいに和子って呼んでよ!」


 和恵さん…いや、和子は泣き始めてしまった。

 どう対応するべきなのか、どう対応していいのか分からず俺は困った。


「ごめん、和…子。でもやっぱり俺は君の言うお兄さんじゃないんだ。本当にごめん」


 それを伝えるのはある意味残酷なことなのかもしれない。

 だって和子からしたら死んでしまった最愛の兄に再開できたというシチュエーションなのだから。そんなときに俺はお前の兄ではないと告げられることがどんなに酷なことか。

 

「…そうなんだ…」


「うん…ごめん」


「…あのさ、おにぃあっ、えっと…」


「…お兄ちゃんでいいよ」


 何でお兄ちゃん呼びを許可したのかは自分でも分からない。お兄ちゃんではないと否定した罪悪感からか、はたまた俺がロリコンだったのか。

 ただ、お兄ちゃんと言われて悪い気分はしなかった。

 

「…あのね、お兄ちゃん。1日でいいの、1日でいいから私を好きになって一緒にお出掛けしてくれませんか?」


 俺は何て答えていいのか凄く迷った。


 目の前にいるのは和恵なのか和子なのか正直俺には分からない。と言うより答えはいくら考えても出ないだろう。

 ここでオッケーをしてしまうと和恵への裏切りになってしまうかもしれない。


 でも俺は、その誘いを断ることなんてできなかった

 


「こ、ここが東京!?」


 過去から来たと言っていた和子は案の定変わってしまった街並みを見て驚きを隠せなかった。

 和子は3歩歩く度に、そこら辺にあるものに興味を示し、目を輝かせていた。

 その姿はとても心を和ませてくれた。


「ねぇ、お兄ちゃん。私のこと、好き?」


 ふいに和子がそんな質問をしてくる。

 普通のカップルの女の子なら誰でもするであろうありふれた質問。

 でも俺にとってはこの質問はとても重い意味を持ったものだった。

 

「…あぁ、好きだよ」

 

 その答えは約束したから出てきたものなのか、それとも…


 それから俺たちは目一杯デートを楽しんだ。

 はっきり言うと、最初はあまり乗り気ではなかったのだが、無邪気にはしゃいでいる和子を見ていると、違った一面を持つ和恵さんを見ているような気分になり結構楽しくなってきた。


 デート中に和子は何度も俺に好き?と聞いてきた。

 それに好きだと答える度に、和恵さんを裏切っているように思えることと、和子に嘘をついていることの2つの罪悪感に潰されそうになったが、そんな俺の様子は気にせずに和子が次はあれに行こう!という風に言うので今はあまり深く考えないことにした。


 それから和子は珍しいものは一通り堪能したようだったので、俺は海辺に連れていってやった。

 時間はもうすぐ日が沈むというような時間で、水平線にもう4分の1ほどしか出てない夕焼けはとてもキレイだった。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 俺と和子が一緒に歩く砂浜は、波がさざめく音と、時折風が吹く音しか聞こえなかったのだが、そんな静かな空間に和子がポツリと呟いた。


「どうした?」


「私のこと…好き?」


 もう何度目かも分からないその質問はどこか今までのものとは違っていた。

 俺に好きかと聞いてきた和子の顔は少し切なく、少し寂しく、少し悲しそうだった。

 

「あぁ…好きだよ」


 でも俺はこう答えることしかできなかった。

 それが約束したからじゃないことはとっくに分かっていた。

 

「私ね、知ってたよ。お兄ちゃんは私を見てて、私じゃない人を見てるって」


「…っ!」

  

 俺が今日デートしていたのは和子であって和子じゃない。

 

「…でもね、私嬉しかったんだ。前は思ってなくても好きなんていってくれなかったから」


 好きと言ってしまって良かったのだろうか。

 和子にとって自分じゃない人に向けられた好きを聞くのはどんな感じだったのだろうか。

 それを言うことはあまりに残酷ではないのか。あまりに無慈悲でないのか。


「ねぇ、お兄ちゃん。私のこと、好き?」 


 俺は分からなかった。

 どう答えるべきなのか、どういう態度をとるべきなのか。

 何も分からなかった。


「あのね、お兄ちゃん。私ね、もう行かなきゃ」


 答えのない問題を考えている俺に告げられたのは突然の別れだった。

 

「私の心の中でね、誰かがお前がいれるのはあと少しだって言ってるの」


 実を言うと俺も薄々そんな感じはしていた。

 別れは早いとどこかで気付いていたのだと思う。だから俺は、デートの誘いを断らなかったのかもしれない。


 ふと見るともう日は沈み、少しの薄暗さが辺りを支配していた。

 和子が来てから24時間というところだろう。

 月明かりが照らすその空間で和子が続けて言った。


「私お兄ちゃんといられて幸せだったよ。」


「……」


 俺は何も言うことができなかった。


「ねぇ、お兄ちゃん。」


 和子は笑顔で泣きながらそっと俺の手を取り、そして。


   大好きだよ



「…あれ?私何してたんだっけ?」


「何してたも何も、帰ってすぐ寝てたさ」


「…そうなんだ」 


 あの後、意識を失った和子、いや、和恵さんを和恵さんの家まで運んだ。

 どうやらもう中身は和恵さんに戻っているらしい。


「…なぁ和恵さん」


「ん?どうしたの?」


「俺さ…1日だけ妹ができたんだよ」


 約70年の時を越えて和子は俺に、お兄ちゃんに会いに来てくれた。

 

「ふふっ、何それ?」


「俺も分からない。でもこれだけは言えるさ」


 あの子は俺に色んなことを教えてくれた。次は俺がそれを返す番だ。

 

 そして俺は、さっき言えなかった言葉を、70年以上前に言えなかった言葉を笑顔で今言った。


 

   大好きだよ

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