第14話 ひととせの演技
警視庁──取調室
絵面としては、ドラマのような場所と変わりない。清潔感があり、どことなく威圧感のあるシンプルな一室。
その隣の傍聴室で新戸はマジックミラー越しに、
朝一番から始めた取り調べに対し、主催者は何を聞いても何を見せても口を開かない。
素性はバレているというのにどうして頑なになるのか、新戸には理解できなかった。
腕時計に目をやると、もう三時間が過ぎようとしている。部下にも疲労の色が見える。
新戸がため息をついた。
「新戸はぁん、朝から大変やなぁ」
杏が傍聴室に入ってきた。ひととせも会釈をして入ってくる。杏は昨日の主催者の顔を見ると、呆れた声を零した。
「アカンわぁ。圧力でゴリ押ししてるんやろ。あないな事したって何も喋らんわぁ」
取り調べ中の刑事の顔を見て言った。
紅潮した頬と、額に滲む汗。肩で息をするその姿は今しがた怒鳴ったばかりだとすぐ分かる。
ひととせも「こりゃダメだ」と苦笑いした。
新戸はメガネを押し上げ、反論した。
「大人しく話せといってペラペラ喋る犯罪者がどこにいるんですか。経歴を見る限り、かなりベテランの売人ですよ。圧力をかけるのが一番です」
「出来てへんやん」
杏は取調室を指さした。
胸ぐらを掴み、目と鼻の先で脅しても主催者は口を結んでされるがまま。それでも『これでいい』と言えるのか。新戸も流石に言葉を返すことが出来なかった。
「あ、俺がやろうか」
ひととせは胸の高さに手を挙げた。それには杏も驚き、新戸に「タイム」と一声かけて隅に寄る。
「いやアホか。あれは警視庁の管轄にあるんやで」
「でもあれじゃあ
「いやいやいや、そもそも手ぇ出されへんって言うてんねん。うちらは警察からの委託書がないと関われんのやで?」
「そこで取引するんだろ」
ひととせは任せて、と言うと新戸に交渉しに行った。身構える新戸にひととせは主催者を指さして頼む。
「あの人に自白させるんで、新戸警部を取り調べさせてください」
直球の交渉に新戸も声が出ない。
杏は額に手を当てて唇を噛んだ。
ひととせはへらっと笑っている。
「あのですね、自白させる代わりにどうして私が取り調べを?メリットがないでしょう」
「いいえ、メリットはあります。ここに俺らが来たのは非公式ですから介入しても記録には残りませんし、
防犯カメラの単語が出てくると、新戸は青ざめた。ひととせが瞳を覗く。新戸は小さく頷いた。
「杏ちゃんっ!オッケー出たよ!」
ひととせが人差し指と親指でマルを作ると、いそいそと取調室に移動した。
ミラー越しでひととせは部下の人に怒鳴られ、胸ぐらを掴まれ、突き飛ばされてと散々な扱いを受けた。だが服装を整え、笑顔絶やさず事情を説明した。
『うるっせぇんだよ!ガキのくせに!』
『はいはい、ガキですよ。新戸警部の指示ですからちょっと廊下に出ていただけます?』
ひととせは喚く部下と廊下に出た。話し合うのかと思えばすぐに一人で戻ってきて主催者の向かいに座った。
──あの人、どないしてんねやろ。
気にはなったが、それよりもひととせの行動に目がいった。
椅子を横向きにしてネクタイを緩める。大きく伸びをして足を組んだ。
『あー、めんどくせぇ』
────はぁ!?
「何言うてんの!?」
常軌を逸した行動に思考が停止した。新戸も開いた口が塞がらない。それを知らずにひととせは怠惰な姿を曝し続けた。
『ったく、俺がホントに取り調べすると思ってんのかよ。温室で育った人間は頭が悪いもんだ。そう思わねーか?』
『ディトニー』
主催者はその名を呼ばれると、目を見開いた。ひととせは悪い笑みで机に肘を置いた。
『オレを、知っているのか?』
『当たり前だろディトニー。俺は警察じゃあない。昨日の絵画を買いに来たんだが、ありゃ一体何があったんだ?』
『オレもよく分からない。美術館の保管庫にしまってあった絵画やら骨董品やらをもらって逃げただけで──』
主催者はひととせに語り出した。
億単位の絵が出ると聞いて初日に襲ったはいいが、どの絵か分からなくて保管庫を漁った。目を奪われる絵画があったからこれだと思い、前もって盗んだ清掃会社のトラックに乗せて運んだ。警察に嗅ぎつかれる前に売ろうとしたがあの惨状に。
ひととせは相槌を打ちながら耳を傾けた。主催者はあらかた話すと、ひととせと会話を重ねる。
『じゃああの獅子が現れたのは知らねーのか』
『ああ、どこから来たかも分からない。チェシャ猫に教えて貰ったあの会場は警察も踏み込めない領域だぞ?ライオンが入れるものか』
『チェシャ猫に聞いたのか。どおりでいい会場だった。あ、俺も高値がつきそうな絵画持ってんだけどよ、どっかいい買い手を教えてくれよ。お前みてーに腕のいい売人に聞くのが一番だろ?』
『分かってんな。オレは裏ではピカイチの売人だ。そうだな。最近は海外のマフィアが頻繁に出入りしてるからな。欧州のマフィアがいい。イタリアのマフィアに『ル・マール』ってのがいるんだが、そいつらは美意識が高い。そいつらに売るのがいいんじゃないか?』
『そうか、ありがと。ああ、最後に一つだけ』
ひととせは警察手帳を主催者に突きつけた。
『名前知ってるからって、容易に口を開くんじゃない。俺は一回も名乗んなかっただろ』
ひととせの演技力に顔面無し。
主催者は絶望のどん底に突き落とされ、力なく突っ伏した。ひととせは席を立ってご機嫌な鼻歌を歌う。時間をかけていた取り調べが十分で終わるなんて。
杏がひととせを追って廊下に出ると、白目で壁際にもたれる部下が間に座っていた。
「どぉうわっ!気絶させたんかい!ってかあんたよう出来たな!?」
「いやぁ、『北風と太陽』の応用だよ。裏の人間って顔知らないけど名前知ってると安心するって聞いたから」
「ああ、骸か……」
ものすごく納得すると、ひととせは別の取調室のドアを開けた。新戸に入るように促し、「約束だもんね」と逃げ道を奪った。
新戸は観念して取調室に入った。
***
取調室でひととせは、新戸の前にスマホを置いた。画面には送ってもらったカメラの映像が流れ、そこには新戸の顔がはっきりと映り込んでいた。
「どういうこと?」
ひととせの短い質問。新戸は映像を見て口をパクパクさせた。
「し、知りません。これは何の
「悪戯ちゃうわ。聞きたいのんはこっちやで」
「画面に映ってるパネル、その手を見てもらってもいいですか?」
ひととせが拡大した認証パネルには新戸の手がかざされている。その下には白いカードがあった。
「これは外部の人間に渡す一日限定の認証カードです。副署長が渡したのはあなただけだそうで。侵入出来るのはあなたしかいないんです」
「……」
新戸は黙った。黙秘権の行使だ。だが今それをされると困る。普通の絵画とは訳が違うのだ。
「新戸はん、別に焼いたり煮たりしようってわけやないねん。能力は危ないんよ。早うせんとどんな被害出るか分からんのや」
杏が優しく諭しても新戸は口を開かない。ひととせは新戸の顔をじっと見つめた。
「絵を持ち出した理由より、その後の事が知りたいんです。情処課から出ていくところまでは記録済みですから」
ここに来る前に寄った科捜研にも保管室にも絵画は無かった。絵画を持ち出した事はこの際どうでもいい。絵画の行方だけは聞かねばならない。
新戸が沈黙を破った。頭を抱え、ため息混じりにぽつりぽつりと零す。
「上司の、命令でした。『絵画を警視庁が奪還したという証拠にする』為に」
それを聞き、杏はニュースを検索する。すると昨日の盗難が既にニュースになっていた。
『有名画家の絵画盗難』
『白昼堂々の犯罪にお手上げか』
『警視庁、失態を晒す』
警視庁はネットで散々叩かれ、悪質な噂を流される始末。少秘警に協力していた事を知らないが故に信用が底ついてしまったのだ。これは堪えるだろう。
「協力したとはいえ、あなた方を犯罪者として逮捕するのは容易です。しかし、それが報道されてみなさい。能力者の存在が明るみに出る。能力者を保護しようとする者も、利用しようとする者も出るでしょう。更に言えば、それを隠していた警察や政府も崩壊する。殺せば済む化け物を、犯人として挙げられない辛さを理解してください」
少秘警が起こした行動で、警視庁が危機に陥っていた。少しだけ心が晴れたが、それさえも暗く粘り気のある感情が押し潰した。
杏はニュースをもう一度見た。写真こそ流出していないものの、来場客が拡散したであろう呟きが掲載され、警視庁の不信感を煽る結果となっている。
焦るのも当然だ。本来居ないことになっている能力者が防衛のために起こした事件で、他人に罪を被せても信用を損なうだけ。取り返した絵画を公表し、適当な理由をつけてこれ以上信用の落下を避けるのが最良の策だ。
それを少秘警に言わずに行動するところが新戸らしい。
ひととせも反省の色を見せる。「予想外だ……」と弱く呟いた。
「絵馬くんの事しか考えてなかった俺の責任だ。警視庁の信用立て直しに協力します。なんなら昨夜の闇オークション閉鎖や盗品の回収、『赤獅子』の奪還も警視庁の功績にしても構いません。……どっちにせよ、俺らの功績になりませんしね」
「現行犯逮捕以外は警察の手柄やしな。アレに関しちゃあうちらの手柄やけど、ここまで言われとるさかい、譲ったるわ」
「で、聞きたいのは持ってったその後なんですけど。あの絵どうしたんですか?」
新戸は嫌々口を開く。
「絵画を回収したのは良いんですが、警視庁に戻る途中で車の接触事故に遭遇しまして……」
「ああ、警察だから行かんとアカンな」
「車を降りて仲裁に入ったら──」
「───車ごと盗まれました」
「「マジか」」
声をハモらせて肩を落とす。
少秘警が窃盗働いて警視庁をどん底に落として、名誉挽回に少秘警に窃盗で入ってそれを盗まれる。
めんどくさい構図に脳の処理能力がパンクしそうになる。杏は頭を掻き乱した。
「ぎぃぃいぃぃぃいぃい……」
「新戸警部、その車のナンバー教えてください」
「あの、発狂してますけど、放っといていいんですか?あれ大丈夫なんですか?」
杏はひととせが聞き出した車のナンバーの写真を撮ると、「先帰る!」と言い残して退室した。
ひととせは副署長に連絡を取ろうとスマホを出す。新戸は小さい声で言った。
「今なら警視庁を乗っ取れますよ」と。
だがひととせはそれを無視した。
「あ、副署長すみません。例の絵画の件、警視庁に輸送中に襲われたみたいで。──ええ、今日明日で済ませます。──はい、はい、分かりました」
電話を済ませると、新戸の電話番号を控えて席を立つ。新戸は自虐的に言い放った。
「あなた方だって警察にはウンザリしてるんでしょう?人権もなくこき使われて、牙を見せればすぐ死刑。ちょうどいいじゃないですか。私がヘマをした。警察の信用はない。嘲笑って奪われたものを奪い返したらどうですか。自由になれるチャンスが転がってるんです。私たちを下に見て、こき使えるんですよ。言ってくださいよ。………化け物って」
ひととせはドアノブに手をかけていた。
深いため息をついて、ドアに伸びる自分の影を見つめた。
「勘違いしないでください。俺たちは正しいやり方で権利を勝ち取ってみせます。こんなセコいやり方で権利を得ても、何も嬉しくない。嘲る理由なんてないですよ。だって──」
ひととせが言葉を詰まらせた。
背中合わせで言うセリフじゃない。だとしても、顔を見て言えなかった。
ひととせはドアを開けた。
「署長が端的に『犯罪に加担しろ』と言った時、あなたは俺らを殺そうとしなかった」
その一言を残してひととせはドアを閉めた。一人残った取調室で、新戸は胸に手を押し当てた。
鼓動が子守唄のように体を巡る。
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